今回は、「パレスチナに、ユダヤ人の独立国家を作ろう、」というシオニズムについて、山本氏の著作の紹介から始めます。
「世界各地での、ナショナリズムの高揚を背景にシオニズムを提唱し、組織化したのは、ウイーンに住むユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツルだった。彼は1897 ( 明治30 ) 年、スイスのバーゼルで、初めての世界シオニスト機構を結成し、シオニストの父と呼ばれている。」
「世界の列強が覇権を競い、文明の接点である中近東に、熱い視線を注いでいる時代だった。ジャーナリスト感覚抜群の彼は、新聞記者の立場をうまく生かし、ドイツ皇帝ウイルヘルム二世に会い熱っぽく語った。」
「シオニズム運動がうまくいき、ユダヤ人の国家が中東にできれば、このドイツからユダヤ民族が一掃され、国内のナショナリズム勢力も、静かになるでしょう。そのうえ、ドイツの息のかかった国家が、中東にできることになりますからこれは一石二鳥です。」
イスラエルの建国が、シオニズム運動から始まるとは聞いていましたが、一人の著名ジャーナリストの活動から始まったとは、知りませんでした。皇帝に単独で会えるというのですから、並みの記者ではありません。この叙述で分かるのは、こういう策略的な話が皇帝と交わされるほど、ユダヤ人問題がドイツを悩ませていたという事実です。
参考のため、明治30年当時の日本が、どういう状況にあったかを調べました。
「欧米列強が金本位制に移行していくなか、軍備拡張と産業振興を図る日本も、金本位制をめざしていました。」
「明治28年に日清戦争の賠償金を得たことにより、金本位制確立への動きが加速され、明治30年3月第2次松方正義内閣の下、第10回帝国議会で成立した貨幣法で、金本位制が作られました。」
幕末の混乱期に、列強と結んだ不平等条約を改正しようと、「富国強兵」「殖産興業」を国是に、日本が懸命に頑張っていた頃の話です。おそらく当時の日本人は、自分の国のことに精一杯で、シオニズムについては知らなかったのではないでしょうか。
テオドール・ヘルツルの話に驚いていると、次にはイギリスが登場します。当時の英国は列強の中の筆頭で、現在のアメリカみたいな立場にいました。氏の叙述を紹介します。
「当時パレスチナは、オスマン・トルコの支配下にあった。第一次世界大戦が始まるとイギリスは、敵国となったオスマン・トルコの国力を弱体化するため、パレスチナを守っていたアラブの指導者シャリーフ・フサインに、アラブの独立を保障するからと言い、トルコへの反乱をそそのかした。」
「その一方でイギリスは戦争を有利にするため、アメリカやヨーロッパのユダヤ人の支持を取りつけようとし、パレスチナにユダヤの国家を樹立すると、約束した。」
現在のアメリカや中国ばかりでは、ありません。 世界の大国は、常にこうして二枚舌を使い、周囲の国々を良いように使います。第一次世界大戦は、イギリス、フランス、日本が勝ち、ドイツやトルコは敗れました。
「パレスチナはイギリスの委任統治となったが、イギリスによる約束を、証拠として握っていたユダヤ教徒が、シオニズム運動に乗り、パレスチナへ殺到したため、そこに何世紀も前から住んでいたアラブ民族との間に、深刻な衝突が起きるのは、必然であった。」
ある日突然、北海道に他国の人間が大挙して押し寄せ、ここは二千年前、自分たちの国があったから、日本人は出て行けと居座ったら、私たち日本人は黙っているでしょうか。ユダヤ人たちは、パレスチナの地でそれを実行し、イギリスやドイツも関与していました。こうなると、イスラエルとアラブの闘いは、簡単に収まらなくなることが理解できます。
似たような話が現在の沖縄で、発生しています。軍事大国となった中国が、かって沖縄は中国の属国だったと言い始めました。沖縄ではこれに呼応する反日活動家がいて、「日本より中国に親しみを感じる。」と公言し、「沖縄独立」の旗を振っています。
保守自民党の政府は、見て見ぬ振りをしています。違う民族のように暮らしていただけで、もともと沖縄住民は日本人です。日本人として誇りを持つ人々が暮らしています。シオニズムのユダヤ人とは、事情は違いますが、軍事大国の横暴さは、今でも変わりません。
こういう現実と重ね合わせて氏の本を読みますと、日本人は覚醒しなくてなりません。国難の時だというのに沈黙し、安倍総理は何をしているのか。
「第二次大戦時には、戦火のヨーロッパを逃れ、多くのユダヤ人がアメリカへ渡った。アメリカはユダヤ教徒には、自由の国と映っていたから、移住するユダヤ人が多く、その数は600万人にも達していた。」
「勤勉で、優秀なユダヤ人たちは、アメリカの経済界やジャーナリズムに進出し、ついには、アメリカの国家の行く末に、大きな影響力を持つことになった。」
アメリカではユダヤ人が、政治や経済やジャーナリズムの世界を握っている。このことを、私たちは肝に銘じておかなくてなりません。アメリカの従属国となっている日本は、ユダヤ人の従属国ともなっているという現実も知っておく必要があります。
ブログのスペースが無くなりますので、イスラエルの建国の結末を急いで述べます。
「イギリスの謀略で、ユダヤとアラブが衝突したパレスチナ問題は、イギリスが大戦後に経済的苦境に陥ったため、国際連合の手に委ねられることとなった。1947 ( 昭和22 ) 年11月の国連総会で、イギリス委任統治下のパレスチナを、ユダヤ国家、パレスチナ国家、エルサレムだけを特別管理地区に、三分割する議決案が、出された。」
「総会決議は、賛成33ヶ国、反対13ヶ国、棄権10ヶ国で可決した。ユダヤは、可決された分割案を受け入れたが、アラブ側は強く反発して認めなかった。」
これが、イスラエル建国の一部始終です。事情を知ると、アラブとイスラエルの対立は、地球がある限り、解決困難な問題として存在し続けると理解できます。
流浪の民として何世紀も迫害を受け、辛酸を舐めた彼らだから、他国の民の苦労を理解すると、そんな風に考えるのは間違いです。それは日本的思考で、国際社会では通じません。辛酸を舐めた国や国民は他国をおもんばかるのでなく、他国が同様な目にあっても無視するというが、国際社会の常識のようです。
本は現在、まだ30ページです。日本の現在を考えながら読むと、反日左翼の記者の著作も、示唆に富む書籍となります。