クーリー氏著『非聖戦 』の172ぺージです。379ページの本ですから、やっと三分の一進みました。
この辺りになりますと、英国の諜報員だった「ジェームス・ボンド」の、スパイ映画さながらの叙述になります。ソ連の覇権を崩壊させるため、アメリカが中心となり、アフガニスタンを舞台に激しい戦闘を展開します。
米国の大統領とCIAが画策し、中東諸国の大統領、首相、王様、将軍、企業家、銀行家など、国のトップを巻き込んだ話になります。盗聴、略奪、収賄、誘拐、殺人が、当然のように行われ、国のリーダーたちが、本当にこのような悪事に加担するのだろうかと首を傾げたくなります。
本を訳したNHKの記者たちは、どんな思いで作業をしたのでしょう。世界ではこんなことが、日常茶飯時に行われていると、国民に伝えたかったのでしょうか。それとも、日本でも同様のことが既に行われていると、お人好しの国民に知らせたかったのでしょうか。
平成13年の9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ事件の首謀者として、ブッシュ大統領が激しく非難したのが、オサマ・ビン・ラディンでした。大規模な捜索活動にもかかわらず、彼を拘束できないまま、10年が経過しました。しかし平成23年の5月、パキスタンの地方都市に潜伏する彼をついに発見し、殺害しました。
深夜の時間帯にもかかわらず、米国の複数のメディアが、ビン・ラディンの死亡ニュースを報道し、その約一時間後、オバマ大統領が全国テレビ中継で公式発表をしました。
今回は著者が語る、ビン・ラディンの人となりと、活動の一部を紹介し、息子たちの目覚めを促したいと思います。
「人種」と「宗教」が対立すると、どんなに残酷なことが行われるかを知って欲しいからです。安倍政権と、安い労働力を求める企業家たちの浅慮が、やがて日本に及ぼす厄害について、警鐘を鳴らします。
「イエメンに起源した、世界最大の建設会社である、ビン・ラディン王朝について語ることは、問題の国際的な性格を理解する上で、助けになるかもしれない。」
「オサマ・ビン・ラディンの父である、ムハンマド・ビン・ラディンは、この王朝を築いた、イエメン人である。」
「アラムコのレンガ職人から出発した、ムハンマドは、懸命に節約して金を貯め、小さな建設会社を作った。慎ましい仕事から始めたが、やがてサウド王家のための、宮殿の建設を手がけることとなった。」
「彼の好機は、外国資本の撤退後に訪れた。サウジ王国、湾岸首長国、ヨルダンで、大きな道路、空港、その他のインフラ建設に、彼は次々取り組んだ。ムハンマドは、世界中から優れたた技術者を呼び寄せ、瞬く間に巨大な資産を築き上げた。そして彼は、富と同様、信心深さでも敬意を払われた。」
「しかし彼は、ビジネス用の自家用飛行機事故で不慮の死を遂げ、彼の息子の一人である、オサマ・ビン・ラディンが後継者となった。彼の指導で、グループの名声は保たれ、巨大プロジェクトに意欲的に取り組んでいった。」
つまり彼は私が誤解している、二代目の坊ちゃんでなく、やり手の経営者でした。彼は一族の資産をさらに増大させ、自分の相続分も膨らませたのです。彼に転機が訪れたのは、1981 ( 昭和56 ) 年でした。CIAのケーシー長官と、サウジ政府の協力者が、アフガン戦争のための、秘密資金の提供者を探し求めていました。この時、ビン・ラディンのグループ企業は、すべてに役立つ会社としてリストに加えられました。
彼は、CIAとの関係を持ちましたが、他の者たちのように、武器や人質の取引仲介で、金儲けをすることはしませんでした。むしろ彼は、自身の資産と会社の資金を、アフガン戦に集まってくるアラブの志願兵たちのために使いました。募集、輸送、訓練のための、金銭的支援です。
彼の建設会社が、聖地メッカとメディナの、神殿の建設と改修に携わっていたので、CIAとサウジの情報省は、ビン・ラディンのリーダーシップを理想的なものとして見ていました。彼はイスラム教を信ずる、敬虔なムスリムとして知られていましたが、実際は過激思想の持ち主でした。
彼は、「イスラム法の復権だけが、イスラム世界を正しい道へ導き、社会主義、共産主義、民主主義、国民主義、汎アラブ主義などは、打倒されるべき対象である。」と唱える、イスラム原理主義の信奉者でした。
またアメリカに関しては、
「アメリカ人は、どこへ行っても、世界の大泥棒であり、最悪のテロリストであると、見られている。」、と言う主張を持っていました。
彼は仲間と力を合わせ、アラブとムスリムの世界から、欧米、とくにアメリカの影響力と権益を駆逐したいと考えていました。アメリカに協力するサウジの王族も、いつか権力から引き摺り下ろし、壊滅させると敵対心を燃やしていました。
反ソのアフガン戦争を活用し、彼は聖戦を戦う「アルカイダ」と「イスラム救済基金」を組織しました。アルカイダ募集センターのネットワークを、サウジアラビア、エジプト、パキスタンに張り巡らせ、彼が組織する者の多くは、彼自身のような熱狂的なムスリム、あるいは勇敢な戦士たちに育っていく。
だから彼は、アフガン戦争がソ連の敗北で終わり、ソ連邦が崩壊すると同時に、次の敵であるアメリカへの攻撃を始めました。
ここで息子たちに言います。アメリカに従属している日本では、ビン・ラディンは憎むべきテロの指導者となります。罪もないアメリカ人を無差別に殺した、極悪人として断罪されます。しかし中東に住むイスラム教徒たちにとって、ビン・ラディンは英雄であり、殉教者です。欧米列強が、中東で行ってきた侵略の歴史を、イスラム教徒の側から見れば、そうなります。
繰り返しになりますが、ここで又言います。「正義は、民族の数、宗教の数だけある。」「欧米の正義だけが、正義ではありません。」
今はビン・ラディンとアメリカと、どちらが正しいかについて、語ろうと思いません。アメリカと、イスラムの側を離れ、「日本なら、どうするのか」という思考に立つ時、答えが出てきます。
「日本にとって不都合でないものが、正義となる。」
国際社会では、おそらくこれが答えです。国を守る軍隊もなく、憲法もない、今の日本にやれることは、じっと我慢の微笑外交しかありません。アジアの小国がするように曖昧な立場をとり、お茶を濁すしかありません。それを是としないのなら、いつもの考えになります。
「正義が民族の数だけあるのに、なぜ日本人はいつまでも、東京裁判の正義を信じ続けるのか。」「どうして、独立国となるための、憲法改正をしないのか。」
過激なテロリストは、オサマ・ビン・ラディンのように、普段は敬虔なイスラム教徒です。彼のような過激思想の人間が、日本への移民に混じっていたら、政府は発見できるのでしょうか。
諜報機関のない日本に、他国は情報をくれません。アメリカを支持する日本人は、アラブの過激派から見れば、殺すべき敵です。そんなことは何も考えず、総理と自民党の議員はバカなのかと、今夜も私の言葉は同じです。
明日も又、「非聖戦」を読みます。