昭和48年の10月、エジプトとシリア軍がイスラエルを攻撃し、第4次中東戦争が始まりました。
この時産油国である湾岸6ヶ国は一丸となり、イスラエル制裁のため、石油価格を一挙に70パーセント引き上げました。当時の日本の状況を、山本氏が説明しています。
「その頃、世界の第一次エネルギーに占める石油比率は47%、日本は78%、また石油の輸入依存度は、ヨーロッパが60~70%なのに、日本は99.7%にも達していた。」
「産油国が、日本に石油を分けてやらないと言ったら、日本が即座に崩壊してしまう数字である。経済王国の日本にも、致命的な弱みがあったのだ。日本が、初めて直面する石油不足の恐怖だった。」
都心のネオンサインが消え、会社の照明が半分に減らされ、日本の夜は活気を失いました。マスコミは連日、石油不足を報道し、国民に節約を呼びかけ、日本が騒然となったことを私は忘れていません。石油だけでなく、灯油、プロパン、マットレス、トイレットペーパー、チリ紙、合成洗剤など、物価が高騰し殺到した買い物客たちで品不足が生じました。
これについて、氏が語ります。
「世界のリーダー、アメリカは、どうしたか。もちろんイスラエル側に立ち、産油諸国と対立した。日本は盟友として、アメリカ側に立つものと考えられていた。」「安全保障条約がある限り、重要な外交案件において、日本とアメリカの方針は一致しているはずであった。」
「日本の外務省は対米関係重視という観点から、イスラエルを支持するアメリカ寄りの態度を取っていた。」「だが石油危機を境に、日本の外交方針が転換した。日本は初めて、アメリカの意向に反する閣議決定をし、これは戦後外交の歴史的転換点だった。政府は、次の新中東政策を発表した。」
1. 武力での領土の獲得、占領に反対する
2. 第3次中東戦争の、全占領地からのイスラエル軍の撤退
3. 同地域における、すべての国の安全保障
4. パレスチナ人の正当な権利を承認
「日本の外務省などから、アラブ国家支持の中東政策になりそうだと、情報を得たキッシンジャー国務長官は、血相を変えて来日した。」
「ユダヤ人である、キッシンジャーは、アラブ諸国と妥協してはならない。正義を貫かねばならない。」「エジプト、シリアが攻撃して始まった戦争でないかと、田中らに迫った。」
「日本の石油は、90パーセント以上を外国から輸入している。そのうち80パーセントが、中東石油だ。石油が止まったら、日本経済は崩壊する。それともアメリカが、日本の石油の面倒をみてくれるのかと、田中もキッシンジャーに迫った。」「そしてこの時から、アメリカの謀略は始まった。」
「この新中東政策と引き換えに、日本は石油を得たが、アメリカにとっては我慢のならないものであった。アメリカにとって、最も忠実な同盟国だった日本が、初めて見せてアメリカ離れだった。」
「しかしアメリカのユダヤ人は、強大な力を持っており、政府、経済界、学界、マスコミなど、国の中枢を占めている。」
「日本は石油のためなら、外交方針さえ変える危険な民族と、日本に対する評価が変わり始めた。日本不信はアメリカの各層に広がり、それは、石油メジャーへの挑戦と映った。」
「そんな雰囲気の中で、謀略は着々と進められたのである。謀略の照準は、田中首相ただ一人に合わされた。」
「石油利権を掌握しているメジャー各社は、軍部とも密接な関係を持っている。アメリカのメジャーの代表的人物といえば、石油王ジョン・ロックフェラーだろう。」
この3年後に、ロッキード事件が起きました。最大の国際的疑惑事件と言われましたが、当時山本氏は毎日新聞の社会部記者として、取材を担当していたと言います。担当記者としての思いを、次のように語っています。
「昭和51年7月27日の朝、東京地検は、田中角栄を逮捕した。だが、話はこれだけでは終わらない。後に田中の逮捕そのものが、アメリカの石油メジャーの謀略によるものだと知って、私たちは、唖然とさせられることになる。」
「私がロッキード事件を追っている間、常に何となく、割り切れないものがつきまとい、それが気がかりとなっていた。」
「それは、なぜロッキード事件が発覚したのか、という事である。ロッキード社の賄賂攻勢は、14ヶ国に及んだが、首相を務めるほどの実力政治家が葬られた国は、日本以外にはない。」
このまま氏の著作を紹介していると、ブログに収まらなくなります。多くの叙述を割愛し、肝心の部分だけを要約します。
当時アメリカ議会には、ロッキード社の国際的収賄事件を担当する専門の委員会が置かれ、厳しく追求していました。この委員会あてに、ロッキード社の贈賄を裏付ける文書が、誤って届けられました。すべてロッキード社の極秘文書でしたから、委員会はこの文書を元に、田中角栄の逮捕に繋げました。
山本氏が、最大の疑問としているのは、「いったい誰が、この極秘文書を誤配と称して、故意に委員会へ送りつけたのか。」、という点です。後に氏は、これを仕組んだのが、アメリカの石油メジャーの関係者というところまで、突き止めます。
田中元総理は屈辱の収監をされ、刑期を終えたある日、脳卒中で倒れます。今太閤と持て囃された実力者も、失意の内に亡くなりますが、この間の事情は誰もが報道で知っている通りです。報道されない事実を氏が語っていますので、これを紹介します。
「時が流れ、中曽根康弘が首相を辞めた後に、ロッキード事件当時の国務長官だったキッシンジャーが来日した。キッシンジャーは中曽根に、ロッキード事件を、ああいうふうに謀略として取り上げたのは誤りだったと、明かしていることが、」「中曽根の著書 『 天地有情 』 に、出てくる。」
「他国による謀略とは、日本の主権が脅かされることであり、国民が許してはならない重大事である。」「アメリカは、日本に対して謀略を使うことがあるのだ。アメリカは謀略を使うどころか、戦争にも出て行く。」
これがロッキード事件に関する、氏の締めくくりの言葉です。息子たちにも、国際政治の非情さの一端が伝わったと思います。他国による謀略は今も存在し、続いているということを忘れずに明日の日本を考え、政治家を選別する目を養って欲しいと、心から願います。