《 4. さとみみのる氏・・ 「 東井義雄における聖戦の意味 」》
里見実と漢字の名前があるのに、わざわざ読みにくい仮名書きにするところからして、変わった学者なのでしょう。ネットで検索した略歴を、紹介します。
「昭和11年東京生まれ、85才」「東大大学院修了」
「國學院大学名誉教授」「第三世界の民衆文化運動の翻訳や、紹介もしている」
氏の証言は教育家である東井義雄氏への批判で終始しますので、東井氏の略歴も調べました。
「明治45年兵庫県生まれ、 平成3年没、79才」
「日本の教育者、浄土真宗僧侶」「昭和7年、姫路師範学校卒」
「小学校教師として奉職、多くの著作を著す」
東井氏が左翼教師でなく愛国教師の一人だったため、気に入らなかったのでしょうか。里見氏の名前も東井氏の名前も今回初めて知りましたので、なぜ氏が東井氏を批判するのか、詳しい事情を知りません。
違和感のある証言なので、あえて紹介する気になりました。「ねこ庭」を訪問された方々は、それぞれでご賢察ください。
・大いなる戰の最中にあって、日ごとに深しめられる痛切の思い。それは、私が生きているということ。
・私の命をいただいているということの、ただごとでなさの思いである。誠にこれは、ただごとではない。
・しかしなんという、鈍感さであったのだろうか。生まれて、30年。私は、生きることが当たり前のことであるかのように生きた。当然、生きる権利があるかのように生きた。
さとみ氏の証言は、この東井氏の著書の引用で始まりました。
・東井義雄『学童の臣民感覚』の、冒頭の一節である。この書物が刊行されたのは、昭和19年。おりしも戦争は、破局を迎えつつあった。
・自分の命が、自分を超えた『大いなる命』と繋がっているという思想は、この書物の主役をなすものと言ってよい。そしてこの命の自覚をもたらしたものは、なんと言っても戦争と、その中での死の想念であったと思われる。
昭和19年といえば、私が満洲ハイラルの無号地で生まれた年です。すぐに敗戦となり引き揚げて来ましたが、その年にこのような本が出版されていたと知りますと、感慨深いものがあります。
里見氏が引用する東井氏の説明を、そのまま紹介します。( 略歴にある通り、東井氏は寺の住職でした。)
・私の村に、〇〇〇〇という婦人がある。農を業としている。
・支那事変では、長男をお国に捧げた。その婦人が、私にしみじみと語ったことがあった。
・乃木大将さんは、二人の息子さんを戦死させなさった。日露の戦争では、たくさんの兵隊さんが戦死されて、お国を守ってくださった。そのおかげでわしらは、今まで生きさせてもらっとるのに、なんとも思わんとおりました。
・そしたら息子が死んで、ああわしは、なんというもったいない恩知らずだったろうかと、初めて気づきました。
( 中 略 )
・その夫人の次男は、今また、死んだ父と戦死した兄の法名と、母の写真を胸につけて大陸で戦っている。
・腕白者を長い間親切にしていただいて・・と、と彼は、鎮守の森の庭で挨拶をして征った。胸にある父と兄の法名は、私が書いたものであることを思い、彼が言った腕白者を長い間という挨拶を思い、私は胸が迫った。
・私が法名を渡した時、これで生きても死んでも大安心ですと、彼は静かに笑った。
戦前の日本には、こういう母親と僧侶のような人物が日本のあちこちにいたと、教えられました。そしてここから、さとみ氏の東井氏批判が始まります。
・殉国の死は、少なくとも建前としては少年の夢であった。この時期の東井の実践も、おもむくところは『死にがい』の追求であった。
・死とは何か、それは民族の本念の『いのち』への回帰とみえた。死の中に彼は、大いなる生をみる。死が証しだてる『無窮のいのち』、それに連なって生きることの喜びを東井はうたいあげてやまない。
自分の命が、ご先祖以来の『無窮のいのち』に繋がっているという思いは、私たちの中にある自然な気持です。「個人は個人でありながら普遍の存在であり、遡れば祖先に繋がり、歴史に繋がっている。」と、以前本で読みました。東井氏の思いは日本人の心とも言え、共感はあっても違和感を覚えません。
しかし、里見氏は違います。
・戦時期の東井の思想を一語に集約すれば、それは一種のエロチシズムであったと言っても良いと思う。
・まことにバタイユが言うようにエロチシズムとは、死にさえも至る生の謳歌なのだ。
・魂は自我を離れ、愛するものと一体となる。この没我を完成するものは死であり、死はエロスの究極の形となる。
久野収氏もいい加減愚かな左翼でしたが、さとみ氏も負けず劣らずの左翼です。大体こんなところで「エロチシズム」などという場違いな言葉が、どうして出てくるのでしょう。辞書で調べみたら、次のように説明しています。
・エロチシズムとは、性愛・ 情欲をよび起こす性質。
・芸術作品などでするそのような傾向の表現。例えば、 エロチシズムを漂わせる裸婦像など。
氏は違った意味で使っているのでしょうが、私のような一般庶民の理解は辞書の説明と同じ理解です。東井氏の書を読みエロチシズムを連想するというのは、さとみ氏の人格が歪んでいるからです。彼が引用しているバタイユを、ネットで検索してみました。
・ジュルジュ・バタイユ ( 明治30年 ~ 昭和37 )
・フランスの哲学者、思想家、作家。
・研究分野は、形而上学、認識論、死・性の哲学、エロチシズム
今の日本もそうですが、野心を抱く学者は自分のおかしな意見の権威づけに、欧米の著名人の論を持ち出します。すると世間はそのおかしな意見を、たちまち素晴らしいものであるかのように称賛します。今でさえそうですから、本の出版された昭和51年頃はさらに欧米人が有難がられていたのでしょう。
・この没我を完成するものは、死であり、死はエロスの究極の形となる
バタイユの文章を読めば、こんな意見もあるのでしょうが、東井氏への批判に使うとすれば、「冒涜」ではないでしょうか。
東井氏と関係のない自分ですが、里見氏の批評に憤りを覚えます。氏のような人物は日本にとって「獅子身中の虫」で「駆除すべき害虫」でないかと思います。大事な息子と可愛い孫たちのため、次回に反論を試みようと思います。