ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自由民主党への疑問 - 21 ( 青山繁晴氏の経歴 )

2025-02-05 14:47:52 | 徒然の記

 今回は青山繁晴氏の経歴と、株式会社独立総合研究所について調べました。

 経歴はウィキペディアが、これでもかというほど詳しく説明しています。シリーズでの中心人物ですから、省略せずに紹介します。メインテーマである「自由民主党への疑問」が、少しでも明らかになればと期待しています。

 〈 青山繁晴氏の経歴 〉

  ・昭和27年神戸市生まれ、政治家、作家

  ・自由民主党参議院議員 ( 2期 ) 日本の国益と尊厳を護る会 ( 護る会 ) 代表

  ・参議院環境委員長、自由民主党大阪府支部連合会会長

  ・近畿大学経済学部客員教授、東京大学学生有志ゼミ講師

  ・「政治献金を1円も受け取らず、政治資金集めのパーティーも一切開かず、団体の支持は受けず、後援会を作らず、後援会長を置かず、完全無派閥」という新しい国会議員の生き方を掲げている

 政治献金なし、資金集めパーティーなし、ナシナシのスローガンを氏の動画【ぼくらの国会】で知った時、「ねこ庭」は注目しました。視聴者の多くが同じだったらしく、氏はこの動画で全国に支持者を得ました。

  ・自由民主党・党員獲得数3年連続1位(2021年度、2022年度、2023年度)

 その結果が上記となり、自由民主党内での基盤を動かないものにしました。議員になる前の氏の肩書きは、次のとおりです。

  ・元独立総合研究所代表取締役社長・兼・首席研究員(安全保障および国家政策など)

  ・元三菱総合研究所専門研究員

  ・元共同通信社記者(事件記者、経済記者、政治記者 )

        ・東京大学教養学部  元非常勤講師

 家族についての情報もあります。

  ・妻青山千春は水産学研究者・水産学博士、東京海洋大学特任准教授、独立総合研究所社長

  ・長男は、同研究所前社長の青山大樹

 次は「氏の生い立ちから共同通信社へ入社するまで」と、「同社記者時代」の経歴が説明されています。そんなに詳しく知る必要がないと思われる方は、スルーしてください。

 「ねこ庭」が拘るのは青山氏を検討することが、現在の自由民主党の疑問の解明につながるのではないかと推測をしていからです。というより、日本の政界に関する課題提起にもなるのではないかという気がしています。

 〈 生い立ちから就職以前 〉

  ・昭和27年7月25日、神戸市長田区に生まれる。3人兄弟の末っ子

  ・長田幼稚園に通う。父親の青山濱二 ( はまじ ) は8人兄弟の末弟で、明治維新後に創業した実家の青山織物株式会社の神戸支店に勤務、

  ・やがて社長に就任した濱二が河西郡和泉町( 現:河西市 )へ転居。繁晴は高校卒業まで同地で過ごした

  ・昭和46年3月年3月、淳心学院中等学校を卒業。同年4月慶應大学文学部に入学。

  ・昭和49年2月に中途退学し、早稲田大学政治経済学部経済学科を受験、入学

  ・共同通信社の追加募集を見つけた当時の恋人で、現在の妻である千春から勧められ、採用試験を受験し合格

  ・昭和54年3月、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業

 慶應大学の文学部に3年間もいたということは、やはり文学の才能があったということなのでしょう。それだけに卒業の1年間を残して、早稲田大学の政治経済学部へ変わるというのは大英断ではなかったかと思います。

 今は知りませんが、当時の早稲田大学の難関学部は理工学部と政治経済学部でした。慶應を中退して受験するのも、簡単でなかったはずです。それを実行しているですから、決断力のある優秀な学生だったと言えるのかもしれのせん。

 共同通信社の追加募集を見つけ、氏に受験を進めた当時の恋人だった千春氏も、優秀な学生だった印象を受けます。どうやら二人は、この頃から「似たもの同士」だったようです。

 次回は、〈 共同通信記者時代 〉の経歴を紹介します。

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