ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

獅子身中の虫を辿る - 2 ( 類は友を呼ぶ )

2016-09-09 21:10:48 | 徒然の記

   新聞記事で初めて知った、小田氏の細君の名前だった。玄順恵 ( ヒョン・スンヒェ ) 氏は、昭和28年に神戸で生まれ、今年63才だ。両親は、戦前に済州島から来た密航者だった。

 最初は朝鮮籍だったが、後に韓国籍になった。結婚後に名前を変えていないところからすると、帰化はしていないようだ。水墨画家として有名らしいので、日本での生活は経済的には問題なしというところか。

 しかし彼女の意見は、問題だらけだ。小田氏の妻君だけあり、日本を非難することにおいては負けていない。安倍総理の「美しい国」への批判だ。

 「ナショナリズムは、社会が重大な変化を迎えたり、人々が不安になっている時に現れ、権力者が恣意的に利用する。こんな時は、冷静にならなくてはいけない。」

 言論の自由も、職業選択の自由も、国内移動の自由すら奪っている、北朝鮮の国籍だった人間が、何を言うのかと言いたくなる。 北朝鮮を礼賛した夫の小田氏と、似た者夫婦だ。

 こんな批判は北朝鮮へ行き、金日成の銅像の前ででもすれば良い。ナショナリズムを朝から晩まで、年から年中煽り立てているのは、貴方の母国ではないか。多くの日本人は、安倍総理の「美しい国」発言で、初めてナショナリズムに目覚めたのではない。

 韓国か北朝鮮か、彼女の母国がいずれなのか知らないが、国民を拉致した無法国家北朝鮮への怒りと、ありもしない慰安婦問題で難癖をつけ、日本の歴史とご先祖様を貶めた韓国への怒りが、目覚めさせたのだ。

 見当違いの批判をする彼女に賛同し、日本叩きに参加する虫の仲間がいる。

 瀬戸内寂聴氏と澤地久枝氏だ。吉永小百合氏は、平和憲法を死んでも守れという共産党の広告塔だったし、岸惠子氏は小田実氏の心酔者だった。「類は友を呼ぶ」という言葉の通り、小田氏の周囲には「獅子身中の虫」がうごめく巣がある。以前は「ベ平連」だったが、今は「九条の会」だ。

 現憲法を平和の法典と崇めたて、他国の攻撃で日本が滅びても、「憲法を守れ」というたわ言の会だ。九条だからとふざけているのか、9人の呼びかけ人が名前を連ねている。

 井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の各氏だ。名の売れた作家や哲学者、法律学者、果ては元首相の夫人までいる。どんなに著名でも、権勢家であっても、国民は騙されてはならない。こうした人物はまごうかたなき「獅子身中の虫」であり、害虫の仲間だ。全国の「お花畑」の住民たちが、虫たちの外見に惑わされ、今では日本の各地に「九条の会」が作られている。

 面倒なので詳しく調べていないが、県単位か市単位にか、「京都九条の会」「福岡九条の会」「熊本九条の会」と、空恐ろしくなるほど全国展開している。どこから運営費が出ているのか、網の目のように張り巡らされた虫のネットワークを知るだけでも、虫退治が簡単でないと分かる。

 「映画人の九条の会」というものもあり、山田洋次、羽田澄子、降旗康男、堀北昌子、小山内美江子、大林宣彦の各氏がいる。「九条の会」は平成16年に、9人の呼びかけ人により創立されたが、元々の会は米国にある。

 こちらの正式名称は「第九条の会」と言い、平成3年に米国人チャールズ・オービー氏が創設している。氏はB29の元パイロットで、オハイオ大学の名誉教授だ。同会の設立の経緯があるので、紹介する。

 「昭和56年、氏は広島平和記念資料館を訪れ、原爆の悲惨さに驚くとともに、日本国憲法第九条の理念に感銘を受け、「第九条の会」を創立した。」

 氏も玄順恵 ( ヒョン・スンヒェ ) 氏同様、おかしな思考をする人物だ。原爆の悲惨さに驚いたのなら、アメリカへ帰り反核運動をすれば良いのだ。広島へ来て、なぜ憲法九条を知ったのか、どうして九条と原爆を結びつけたのか。思考回路に疑問を抱く。

 現在は日本カトリック教の司教までが、「九条にノーベル平和賞を」などと、訳のわからない運動を起こし、美智子様がこの司教と親しくされていると聞く。

 「九条の会」の呼びかけ人の中にいる、鶴見俊介氏の姉は、鶴見和子という社会学者だ。氏は平成18年に、88才でなくなっている。中国人や韓国人でないから、死者に鞭打つことをしたくないので、和子氏については触れずにおきたかった。しかし小田氏と妻の玄順恵氏の言葉を思うと、その得手勝手な意見がどれほど国内の害虫育成にの栄養となっているか、彼らの侮れない存在と恐ろしさを、何も知らない人々に伝えたくなった。

 だから、鶴見和子氏について少しだけ説明する。

 「氏は社会科学者として著名で、上智大学の名誉教授をしていた元共産党員だった。母方の叔父は後藤新平氏で、上流階級の一員だったせいか、美智子様と親しい間柄で、おつき合いもされていた。」

 つまり私の言う「獅子身中の虫」とは、ブログで紹介した全ての人物のことであり、覚悟をしなくては語れない人々のことだ。虫退治の困難さの一端が、見えたのでないかと思う。戦後70年かかって繁殖した虫は、70年以上かけて駆除する覚悟がいる。物理的障碍は目に見えるが、「害虫の思想」はぼんやりした人間には見えない。

 一つだけ希望があるのは、私の住む国が日本であるということだ。中国や北朝鮮なら、「ミミズの戯言」のブログ主は、即刻逮捕、監獄行き、即拷問、即処刑だろう。これだけでも日本は有り難く、感謝せずにおれない国だ。

 戦後70年、反日左翼の虫たちに攻撃され、足蹴にされても黙って耐え、国民を守ってきた日本という国のため、この虫たちの勝手な主張が許せなくなる。政府と自衛隊に守られながら、敵対する国のために活動する彼らを黙認して良いはずがない。

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獅子身中の虫を辿る ( 共産党、朝日新聞、NHKと政治家 )

2016-09-09 18:08:26 | 徒然の記

 私はブログの中で、「獅子身中の虫」、「駆除すべき害虫」という言葉をしばしば使っている。

 左翼のように、やみくもに並べている軽い言葉と、勘違いしている人がいるのかも知れない。本日は、虫たちが、どのような姿で国内に生息しているかを紹介することで、害虫駆除の困難さを、私が軽々しく口にしているのでない証としたい。

 GHQ内にいた米国の左翼主義者たちが、日本の刑務所の中の共産党員を釈放して以来、敗戦後70年間に、国内での生息地を拡大したのが「獅子身中の虫」だ。天皇陛下の「お言葉」騒ぎに時間を取られ。すっかり遅れてしまったが、害虫駆除の困難さを痛感したのは、千葉日報の7月8日の記事だった。

 小田実氏の碑の除幕式が兵庫県芦屋市で行われ、妻の玄順恵 (ヒョン・スンヒェ) 氏が挨拶をしたという記事だ。

 平和運動で知られた小田氏の言葉を、後世に伝えるための碑とのことだった。昭和36年に出版された氏の著書『なんでも見てやろう』は、その年のうちに60版が出され、大ベストセラーになった。フルブライト留学生だった氏が、米国からの帰途、貧乏旅行をした思い出を綴った本だ。
 
 貧しかった日本が、厳しい為替管理をしていたため、誰もが自由に海外へ出られなかった時代の話だ。私もその一人だったが、「海外へ出て、なんでも見て来たい。」と多くの若者がすうずうずしていたから、氏の本が超ベストセラーになったという背景がある。
 
 私もそんな若者の一人だったが、今は冷めた目で氏を眺めている。というより、獅子身中の虫の一人として、嫌悪さえ感じている。昭和51年に、氏は朝鮮総連の世話で北朝鮮を訪問し、『私と北朝鮮』を出版した。
 
 「北朝鮮には、あの悪魔の如き税金がない。」と賞賛し、「食料はほとんど完全に自給自足できる国だ。」と感嘆した。
 
 税収なしで国が成り立たないという、基本知識の欠如した氏は、北朝鮮が別の形で税を調達していることに気づかなかった。自給自足している国が、どうして食料品という性格必需品を、厳格な配給制度しているのかにも疑問を抱かなかった。独裁者金日成の国を目にしても、圧政政治の片鱗さえ感じ取れなかった。
 
 「北朝鮮の社会を見ていると、それはあたかも働き者の一家で、みんなが懸命に働いていて、一家の頂に〈 アポジ  ( おやじ  ) 〉として、金日成さんがいる感じだ。」と、能天気な印象を述べていた。昭和60年に氏は、雑誌のインタビューで次のように語った。
 
 「北朝鮮は、ものすごい管理体制の中で蓄積しているから、去年くらいから、もの凄く豊かになった。」「これから韓国との差が、もの凄く出てくる。」
 
 昭和59年には、朝日新聞の入江特派員が、次のような記事を日本へ送った。
 
 「北朝鮮の経済建設のテンポは、もの凄く早い。」「鉄、電力、セメント、化学肥料や穀物の、一人当たり生産高は日本を凌ぐと政府は言っている。」「深夜の街で、酔っ払いなど一人も見かけない。」「深夜の街を歩いているのは、夜勤へと急ぐ労働者だけだ。」
 
 少し前になるが、昭和33年には、NHKの解説委員だった寺尾五郎氏が、次のような手放しの礼賛をした。
 
 「昭和61年になれば、一人当たり生産額で北朝鮮が日本を抜く。日本が東洋一の工業国だと自負していられるのは、せいぜい今年か、来年のうちだけである。」
 
 ちなみに寺尾氏は共産党の幹部で、宮本顕治氏の秘書みたいなこともしていた。
 
 共産党、朝日新聞、NHKは、こんな昔から親北・反日路線でしたから、左翼かぶれの若い小田氏が北朝鮮にもてなされ、宣伝に惑わされても不思議はない。
 
 許せないのは、小田氏のみならず、名前を挙げた人物たちが北朝鮮に丸め込まれ、利敵行為に加担したことだ。どんな便宜を図ってもらったのか知らないが、昭和50年代といえば、拉致被害者のニュースが少しずつ流れていた頃だ。
 
 彼らは、金日成の独裁国家の称賛を優先して、拉致被害者を無視し、被害者家族を見捨てる人間たちに手を貸した。
 
 「北朝鮮が、そんなことをするはずがない。」「悪意のでっち上げだ。」「拉致の十人より、北朝鮮との国交回復が先だ。」
 
 被害者の救済を忘れ自国民をないがしろにし、北朝鮮の大嘘を信じたのは、社会党の土井委員長だけでなく、自民党の野中広務、加藤紘一氏も同類だった。小泉首相が訪朝し、金正日が拉致を認めた以後、彼らは沈黙しているが立派な虫の仲間だ。
 
 マスコミの寵児だった小田氏は、現在に続く、北朝鮮親派の育ての親の一人だ。未だに、こうして除幕式の様子が記事にされるのだから、氏の蒔いた虫の卵の拡散度合いが、いかに大きかったかが推し量られる。
 
 これからが本論なのに、前置きが長くなってしまった。 序論を長くして、本論を端折ることはできないから、いったんここで終わるとしよう。
 
 今でも日本からの救いを待っている、多数の拉致被害者のことを思えば、疲れたなどと言っておれない。高齢で疲れたと、そんな贅沢が許されるのは、日本国では、天皇陛下ただお一人だ。
 
  (それにしても、あれほど国民に寄り添うと言われている陛下と、美智子様が、拉致被害者の悲惨さにはなぜ関心を示されないのだろう。) 
 
 頑迷固陋な保守の人間から、不敬と言われると困るので、心の中だけでする独り言だ。
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マスコミの愚行、ここに極まれり  

2016-09-07 20:32:17 | 徒然の記

 今夜7時のNHKニュースで、腹立たしい報道に接した。

 新聞協会賞に、NHK「天皇陛下 生前退位の意向」が決定したというものだ。陛下のお言葉報道が、内閣に相談もせずになされ、憲法違反の行為であるにもかかわらず、亡国の官僚か、元官僚からかのリークを受け、故意に報道したNHKは、厳しく糾弾されるべきと、今でも怒りが鎮まらない。

 それなのに、新聞協会が、この報道に賞を贈るのだという。

 日本の歴史と伝統が、まさに崩壊しようとしている現在、心ある国民が憂国の情を深くしているというのに、犯罪にも近い報道に「新聞協会賞」を贈るという。反日のマスコミでも、どこかに良心が残っているはずと期待していたが、この愚行に言うべき言葉を失った。

 戦前は、日本国中を戦意高揚の記事で湧かせ、敗戦後は率先して、自分の国を否定し、貶め、世界の軽蔑を集めているにもかかわらず、反省の色さえない、亡国のマスコミが、ここでまた皇室の崩壊、ひいては日本の崩壊に率先して行動する姿は、見ている方が恥ずかしい。

 

 赤い美智子様に引きずられた今上陛下が、悲しむべき自己主張をされているというのに、無批判に正当化するマスコミは、天皇制の崩壊を望む、共産党の手先としか言いようがない。

 わかる人には分かるのだから、これ以上は述べない。平成の末期に、マスコミの馬鹿どもが一丸となり、国を崩壊させている事実をしっかりと残しておこう。

 

  ネットの情報から、やっと正しい北畠親房の言葉を探し当てたので、怒りとともに、追記しておきたい。

 「君は尊くましませど、一人をたのしましめ、万民をくるしむる事は、天もゆるさず、神もさいはひせず。」

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在日コリアンの歴史 (歴史教科書)

2016-09-04 21:43:20 | 徒然の記

 在日本大韓民国民団 中央民族教育委員会企画 在日コリアンの歴史作成委員会編 「在日コリアンの歴史 (歴史教科書)」(平成18年刊)を読了。

本を編纂した中央民族教育委員会の李委員長の巻頭言を、紹介する。

「本書は、学校で実際に使われている教科書に、代わるものではありません。」「副読本として、民族学校や、民族学級などで活用されることを望むものであり、」「いわば学校教材であり、知識を満たす読み物でありたい、とのスタンスにたっています。」「日本の方々にも、在日コリアンの歴史を、事実ありのままに、知って欲しいというものです。」

 内容は大きく二部に分けられ、一部の表題が「解放前」で、二部の表題が「解放後」となっている。韓国政府の言う、「日帝支配36年」からの解放前と、解放後の在日コリアンの歴史という意味だ。さらに一部が、一章と二章に分けられ、二部が、四章と五章に分けられている。

 例えば二章の中身を引用すると、1. 関東大震災と在日朝鮮人の受難  2. 差別と偏見の中での定着過程 3. 強制連行、徴用、徴兵の時代、と表題がついている。中身を述べると煩雑になるので省略するが、要するに戦後の韓国政府が一貫してする、日本非難の主張が貫かれている本だ。

 先日読んだ黄文雄の著作の言葉を引用すると、内容全体がもっと分かりやすくなる。

「韓国政府は、" 日帝36年 " の略奪、搾取、虐殺などを強調し、」「義兵運動や三・一運動などの反日運動を、あたかも英雄的な抗戦のように宣伝している。」「しかし韓国人の反植民地運動など、いかなる国のそれと比べても話にならないほど小規模で、勢いがない。」「それは、台湾の民族・民衆運動と比べても明らかだ。」

 つまりその通りだから、これ以上の説明は、いらない。

 この本も叔父の蔵書の一部なのだが、何を好んで、叔父はこんな教科書の副読本を購入したのだろう。在日の韓国人があまり日本人を非難するので、どうしてそうなるのかと、叔父は事実が知りたくなったのだろうか。

 日本人の書いた本でなく、民団の教育委員会の本なら間違いないと、真面目な叔父は、疑わずに買ったのだろう。一途な気持ちが、自分にはわかる。

 けれども叔父は、本の中身に納得せず、すぐに別の一冊を求めている。叔父の本棚で、隣り合わせにあった書が、今そのまま手元にある。

 平成18年刊「別冊 正論」7月号だ。表紙に書かれた文字は、「反日に打ち勝つ!」「日韓・日朝歴史の真実」。民団の教科書副読本も、平成18年刊だから、読後即座に求めたのか、あるいは用心深く、あらかじめ二冊同時に買ったのか。自分なら、予め二冊を求めるだろうから、もしかすると叔父はそうしたのかもしれない。

 昨年の5月に、徐京植(ソ・キョンシク)氏著「在日朝鮮人てどんなひと?」(平成24年 平凡社刊)を、読んだ時は、怒りに駆られ、可燃物のゴミ袋に入れて捨てたが、民団の本も同類の書だ。こうした類の書物が、国内で沢山出版され、書店に並べられていると知った今では、怒りにかられることが少なくなった。

 それよりも、どうしてこのように事実を歪曲し、日本を憎悪する本が、かくも大量に流通しているのか、そちらの方が疑問になってきた。事実ならまだしも、捏造に近い本が、在日の学校で副読本として使われていても、黙認している日本がおかしいのではないか。

  徐氏は東京経済大学の教授だったが、民団の副読本の執筆者も、大学の教授が大半だ。面倒だが、参考までに書き抜いてみよう。

     1. 姜在彦  花園大学客員教授

     2. 姜徳相  滋賀県立大学名誉教授

     3. 金敬得  故人 弁護士

     4. 朴一   大阪市立大学教授

     5. 姜誠   ルポライター

     6. 鄭大聲  滋賀県立大学名誉教授

 執筆者たちは、在日の生じた原因は日本の植民地支配だと、口を揃えて述べているが、これについては、今回わざわざ調べなくとも、昨年五月に、私が、徐氏の「在日朝鮮人てどんなひと?」を読んだ時に調べた事実を、一部引用すればこと足りる。

「しかし当時は、朝鮮そのものが、北と南に分裂して互いに戦争状態にあったため、在日朝鮮人の帰還は困難を極めた。」「在日朝鮮人の多くは共産主義者を弾圧する韓国への帰国を躊躇し、韓国政府も又在日朝鮮人の受け入れを拒否した。」

「結局赤十字の斡旋のもとで、北朝鮮への帰還が大々的に行われ、170万人が日本を後にし、残りの60万人が自分の意志で残ったと、私の調べた事実はそうである。」「この事実のどこを見て、日本政府が彼らを見捨てたと断定できるのだろう。」

「残っている60万人の在日朝鮮人のほとんどは、職を求めてやって来た密航者であり、これが植民地支配の結果だと、どうして決めつけられるのか疑問でならない。」

 あの時、私は、次のようにも述べた。

 「自殺したノムヒョン大統領が、在日朝鮮人を評した言葉を氏は知らないのだろうか。」「在日は同朋ではない。国が一番苦しい時に、彼らは日本でぬくぬくと暮らしていた。国を裏切った人間たちだ。」

「だから氏のような在日朝鮮人には、帰る祖国がないというのが現実なのだ。」「それなのに彼らは、日本で言いたい放題をしている。」「自分の立場を知り、もっと謙虚になり、反省しなさいと、こっちの方が言いたい。」

 この言葉は、そのまま民団の執筆者たちにも当て嵌まる。行くあてのない棄民なら、日本にいて憎悪を燃やし、わがままを言うなど、どうしてできるのか。むしろ民団の執筆者たちは、ノムヒョン大統領の言葉や、在日の帰還に力を尽くした日本政府の努力を、きちんと伝えるべきでないのか。

 お花畑の日本人たちが、そんな私に向かって言ったことがある。

 「在日は、惡い人ばかりではありません。」「日本人以上に立派で、良い人が沢山いるのです。」

だから私も、言った。

「日本の軍人たちは、惡い人ばかりではありません。」「韓国人以上に立派で、良い人が沢山いたのです。

「だが韓国政府と、韓国人達は、バナナの叩き売りみたいに一まとめにして、」「日本軍は全部極悪非道で、暴虐の限りを尽くした。」「韓国人を、なぶり殺しにしたと言っています。」

「日本人全体を悪口雑言する、韓国が目の前にいるのだから、在日を一まとめにして批判する私の、どこがおかしいのか。」

 私は親韓の左翼や政治家やマスコミや、赤い美智子様とは違う。相手が捏造の嘘で攻撃するのなら、卑屈に詫びを入れたりしない。このような副読本が、堂々と在日の学校で使われ、反日思想の発信源となっていることを、果たして多くの日本人は知っているのだろうか。


 そのうち、いずれ日本は、在日問題に真正面から取り組む日が来ると思う。在日をこのままにしておくと、彼らは日本の中に治外法権の町や市を作り、日本の治安を乱す元となる。

 私たちは、共産党や民進党、あるいは訳の分からない左翼小野党に、選挙の一票を入れてはならない。帰化人や二重国籍者が大ききな顔をしている野党に、騙されてはいけない。彼らこそが、このような有害図書に理解を示し、支援し、援助している元凶の一つだから、選挙の一票を入れてはならない。

 手前味噌になるが、自分の縁者ながら、叔父は偉かったと思う。いくら本を読んでも、一方の意見だけにせず、対立する側の本を常に求めていた。そんな叔父と、生きている間に、会話をしなかったことが、悔やまれる。

 しかしこれもまた、人生だ。

 今晩は禁酒の日でないから、三男から貰った特上の焼酎を、オンザロックでなみなみといっぱい飲んだ。心地よい酔いが、暗い話を吹っ飛ばしてくれた。だからもう、今夜はこれで終わりとする。

 酒の肴は、やっぱり今夜も沖縄の「モズク」。それと焼きちくわにベビーチーズだった。

 

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千葉日報は、果たして「マスコミの鏡」になれるのか?

2016-09-02 11:27:50 | 徒然の記

  8月26日の記事に、姜尚中氏の論文が掲載されている。「姜尚中 思索の旅」と題する、一面記事だ。

 これも、共同通信の配信記事なのだろうが、千葉日報は、どうしてこうも姜尚中氏が好きなのか。飽きることなく、氏の論文記事を掲載している。読んでみると、内容は大したこともない、日本の政治家と、政治家を作り出す制度についての意見だ。

 マックス・ウエーバーの著書を引用しながら、政治家の役割やあるべき姿を語り、問題点を浮き彫りにするというものらしい。

  平成6年に、衆議院に小選挙区制が導入された以後の政治家と、導入前の、中選挙区制下の政治家について、分かりやすく述べている。中選挙区制では、金権政治が幅を利かせ、親分子分の派閥政治が、議員の系列化を進めたが、小選挙区制では、金と人事、公認権が党に集中し、総裁である総理が、独裁的権限を有するようになっている。

 現在の小選挙区制下で、議員は、党首の言いなりになるイエスマンにならざるを得ないと、こういう意見だ。

 また日本では、与野党を含め、衆議院での世襲議員の比率が、4分の1に上っており、自民党だけで見ると、4割になっている。これでは政治が、特定政治家の家業みたいになってしまい、議員の新陳代謝ができなくなる。

 ここで氏が、何か画期的な解決策を語るのでもなく、「それを打ち破るような、天職としての政治家を排出する、新たな浄化装置は、どこにも見当たらないのだろうか。」と、読者へ投げかけをしているに過ぎない。

 今回の記事が、上下二回のシリーズのうちの上だから、もしかすると下で、氏の卓見が披露されるのかもしれない。

 内容はさほど過激なものでなく、ごく常識的な解説である。これが姜尚中氏の寄稿記事でなければ、取り上げる必要もないのだが、姜尚中氏であるところに私はひっかかる。あるいは、狭い了見かもしれないが、喉に刺さる小骨のようにひっかかる。

 もともと氏は、過激な反日というより、護憲左翼という立場にいて、語り口が穏やかなため、好感をもつ日本人が多い。

 氏の意見は、日本に対する、憎しみの強烈なパンチでなく、ゆるやかな、ボディーブローのような攻撃である。無視しても、大した害は無いと言う人間もいるが、私はどうしても、気になる。

 第一に氏は、未だに国籍を韓国においている人間だ。慰安婦問題以降、韓国政府は、軍艦島の世界遺産登録問題にしても、竹島の不法占拠にしても、敵対国としか思えない対応をしている。韓国の大統領は、独裁者とも言える権力を持ち、しかも周りにいる政治家たちは、利益誘導と露骨な収賄をする人間たちでないか。

 そんな国の人間である氏が、何の権利を持ち、他国である日本の批判をするというのか、不思議でならない。むしろ問題点の沢山ある韓国で、韓国の政治制度や、韓国の政治家のレベルを語るべきで無いのかと、私はいつもそう思っている。

 韓国では、自分の国の批判ばかりする人間を、国立大学の教授にしたりするのだろうか。ひとかどの学者でもあるかのように持ち上げ、新聞で大きく取り上げたり、テレビに登場させたり、このようなことをする日本というのは、やはり、お人好しを通り越してバカというのではなかろうかと、記事を読むほどに不愉快になってくる。

 陛下の「お言葉」に関する、東大総長の意見に比べれば、その拡散する害毒は「月とスッポン」の違いがあるが、不愉快であるのは同じだ。即座に千葉日報の購読を止めることはしないが、疑問は抱かざるを得無い。

     千葉日報は、果たして「マスコミの鏡」になれるのか?

  台風一過、薄雲のかかる青空に、飛行機が飛んでいる。今日は、三男夫婦と孫娘がノルウエーから帰る日なので、家内が成田へ出迎えに行っている。穏やかな一日になりそうだ。大雨のおかげで、関東のダムが平年の水位を取り戻し、節水・制限も無くなった。

 だから今日は、気持ちが穏やかになり、姜尚中氏の記事への不愉快さも薄れている。こんな私は、間違いなく、「お人好しのバカ」としか呼べない、日本人の一人なのだろう。

  愛する息子たちが帰ってくるから、今日一日は、何と言われても構わない。 

 

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