ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

庶民の一人として

2017-03-09 13:39:50 | 徒然の記

 庶民の一人としてなど、今更断るまでもなく、私は過去も未来も、名もなき衆生の一人なのですが、新聞の報道や国会中継などを見るかぎり、黙っておれなくなります。

 その筆頭が総理夫人の昭恵氏です。今では彼女こそが、安倍内閣最大の癌となっています。野党が倒そうとしても倒せないほど、国民が信任している総理を、昭恵氏が足元から穴掘りをしています。余計なことを言わなくて良いのに、つまらない話題をマスコミに提供し、愚かさぶりを天下に晒しています。総理夫人だから、注目されていることも弁えず、目立ちたがりを続け、その果てが森友学園です。

 自分の妻がコントロールできなくて、なんの総理かと、言いたい気持ちがつのりますが、考えてみますと、鳩山ルーピー氏の細君も、菅元総理の妻も、夫の立場を考えず、言いたいことを喋っていました。要するに、これが戦後世代の政治家の有り様なのか、男女同権を履き違えた者たちの愚かさなのか。考えさせられる現状です。言いにくいことですが、伴侶の自己主張を諌めることができないのは、皇室でもそうらしいのですから、安倍総理だけを批判できないのかと思ったりします。

 この厳しい国際情勢の中で、国益を損なうことなく国の舵取りをしている内閣を、バカな伴侶が駄目にするのかと、「庶民の一人として」言わずにおれなくなりました。現在の日本に、トランプ大統領やプーチン大統領を相手にできる政治家が他にいるのなら、私は何も言いません。今でも覚えていますが、胡錦濤主席と対話していても、終始下を向き、メモを眺め、小さくなってうなづくしかできなかった菅元総理の姿の惨めだったこと。「トラスト・ミー」などと大見得を切り、オバマ大統領を呆れさせた鳩山元総理など、国益を木っ端微塵にした民主党政権を、庶民なら忘れるはずがありません。

 国益という観点に立つとき、庶民の常識は、反日野党の政治家とは、別のものになるのです。習近平主席や、プーチン大統領や、トランプ大統領と対等に向き合い、日本のために力を尽くす総理を、なんでちっぽけな森友学園などのスキャンダルで潰すのか。国民の税金をだまし取るようにして、自分の土地を買い、自分の貯金を増やした、あの小沢氏でさえ、うやむやの内に問題をもみ消してしまいました。税金で賄われる党費から、テロ左翼の政治組織に献金した菅元総理の罪も、問われぬままになりました。

 その民進党が、よくも総理のちっぽけなスキャンダルで騒げるものと呆れる、これが庶民の常識でしょう。保守の中にも、後先を考えず、「安倍は駄目だ」と否定する人がいますが、後継者のないまま安倍氏を倒して、あとはどうするのかとお聞きしたい。安倍氏の勢いに乗り、安倍氏の周りに集まっている多くの自民党議員ですから、安倍氏がいなくなれば、政界はどうなるのか。

 それでなくとも自民党には、親韓・親中の議員がひしめき、野党が亡国の利敵議員だとすれば、政界の行き着くところは、現在の韓国みたいになるのではありませんか。なんのために、反日野党の議員たちが総理のスキャンダルに群がっているのか。森友学園の何億円と、国益のどちらが大きな問題なのか。こんな計算は、庶民の方が得意なのです。

 庶民は、政治家のように、こうした事件になんの利害関係もありませんから、岡目八目です。過去の事件も思い出しながら、野党の政治家の薄汚れた言動にそっぽを向くのです。庶民の一人として言わせて貰えば、「野党がそこまでいうのなら、」「森友学園のみならず、朝鮮学校・朝鮮総連への土地払い下げ」「朝日新聞や読売新聞への安価な土地払い下げ」など、ひっくるめてやるべきでないかと、提案します。森友学園の、何十倍ものスキャンダルです。

 安倍内閣も倒れるでしようが、野党の中にだって、これらの土地払い下げに関わった大物はたくさんいるはずです。日本の政界が大騒ぎになるのでしょうが、やるのなら腹を括ってそこまでやれと、中途半端な反日の野党議員に言いたくなります。これだって、いわば「庶民の一人」にしか言えない、正論ではありませんか。

 次は、森友学園とは関係ありませんが、昨日見た動画のバカバカしさです。稲田防衛大臣を詰問する福島瑞穂氏の、滑稽な動画でした。消えかけている元社会党の、元党首としては、もうこんな言葉遊びでしか国政に参加できないのかと、憐れみとともに見ました。

「かって稲田氏は、教育勅語が全て正しいといったが、今でもそういう考えなのか。」

「教育勅語の根幹となっているもの、親を大切にするとか、年長者を敬うとか、そういう根幹のものについては、今も変わらず大事だと考えています。」

「貴方は、戦後に教育勅語がなぜ廃止になったのか、その歴史を知らないのか。」

 こうして彼女は、GHQが日本の軍国主義を否定し、天皇制の過ちを正すために教育勅語を廃止したのだと、口を尖らせ声を荒げます。ようするに、自虐史観の解説を、恥じることなく国会で展開する。「何もかも日本だけが悪かった」という、時代遅れの歴史観です。反米でありながら、日本叩きにだけはGHQを利用する左翼の屁理屈です。

「貴方は、ご自分が大臣だったときは、自衛隊は合憲だと、おっしゃったんじゃありませんか。」

 稲田氏の答弁を聞き、氏がやっと、保守政治家らしい落ち着きを見せてくれたと感じました。反論できない国会答弁のやり方も、そろそろ考え直すべきではないのでしょうか。言われっぱなしの国会討論では、審議の中身がありません。昔と違い、国民は国会の議論を冷静に聞き、一人芝居で悦に入っているような議員は相手にしなくなりました。民主主義を推し進め、時代の流れに合わせるためにも、国会討論は、反論できる場としなくては無意味でしょう。

 これは与野党ともに厳しい提案となり、「諸刃の刃」となります。国民注視の中で、与党と野党の議員が、政府を相手に真剣な討議をする。これこそが、国民参加の民主主義というものでしょう。今までのように、時間さえ経過すれば終わるという芝居でなく、どちらの議員にとっても真剣勝負になります。

 こうなれば、中山千夏氏が福島氏を応援する愚行だって、一目瞭然です。反日の人々にとっては、愚行でなく、快挙となるのでしょうが、どちらであっても、これが真の言論の自由です。時の流れが、愚者を洗い流してくれるはずですから、庶民は淡々として日々を生きるだけです。

 支離滅裂なブログとなりましたが、昭恵夫人を始め、福島氏など、無茶苦茶な人物についてのブログですから、そうなるのは無理もなしと、ご容赦ください。

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国会という所

2017-03-06 23:25:39 | 徒然の記

  中山千夏氏著「国会という所」(昭和61年刊 岩波新書)を読了。

 先日のブログで、辛淑玉氏のことを取り上げたとき、中山千夏氏と故永六輔氏が登場する古い動画について述べました。

 「外国に攻められても、日本は憲法があるから戦えない。」

「いいことじゃない。日本人は平和憲法を守って、外国の軍隊に殺されればいい。」

「そう、日本人は、全部殺されればいいんだ。」

 どちらの言葉だったかは忘れていますが、中山氏と辛氏の会話でした。先日図書館で、恒例の廃棄図書の日に、偶然にもこの本を見つけましたので、貰ってきました。参議院議員として、六年間在籍した国会を、国民に紹介するという内容です。どうして氏が動画のような会話をするようになったのか、ヒントがないかと期待したからです。

 残念ながら、氏が「前書き」で述べている通り、国会という建物、国会という組織の解説、議員の活動実態等々、「国会ハンドブック」とか「国会の役割早わかり」というような、簡便書の類でした。外観から見ますと、国会議事堂は人気のない大きな建物ですが、中には売店あり、床屋あり、食堂ありで、賑わっています。両院をつなぐ地下道が何本かあり、行き交う議員や、清掃員など、結構喧騒でもあると、初めて知りました。

 新米議員だった氏が、明治以来のしきたりを守る国会の時代錯誤に驚き、率直に批判する面白さもありました。テレビで放映される国会中継も、こうした裏話を知ると、席で居眠りしている議員たちの姿が納得できました。本会議で、法案の提案者である所管大臣が、趣旨説明を行いますが、これがなんと「お経読み」と言われているとのこと。つまり法案の趣旨説明を、お経のように朗読するとの意味です。

 これが終わると、各党の質問者が質問をします。これもまた、事前に用意した原稿を棒読みするだけ。つまり、提案者も質問者も、用意された原稿を所定の時間内で朗読するという儀式なのだと、氏は批判します。少し長くなりますが、氏の言葉を転記します。

「大臣たちは、答案アンチョコともいうべき紙綴りを持ち、これを繰りつつ該当ページを読む。」「一通り終わると、つぎの質問者が登場し同じことを繰り返すのだが、」「反問の恐れがないから、答弁は的外れ、いや外したものが続出だ。」「質問も質問で、各党間の連絡がないせいか、」「先の党が聞き、同じ答弁が返ってくるに決まっているような質問を、」「いくつも重ねる。」

 「たまらんのは、観客議員である。」「ことに参議院は、新聞や衆議院の会議録などで、もうわかっている芝居を、」「もう一度見せられるわけだ。」「豪胆な人は大声で、退屈だと言い、」「小心な人は、小声で、苦行ですなあとこぼす。」「多くが居眠りし、あるいはあらぬことを考えながら、ひたすら時が過ぎるのを待っている。」

 これが31年前の本会議ですが、この通りの情景が今もテレビで映し出されています。「国会の常識は、世間での非常識」というべき事例を、氏は無数に書き出しています。党に属しない一人会派の氏は、民主主義の国会では、無力だということがよく分かります。そんな状況でよくも六年間我慢したものだと、感心もしますが、失望もします。この程度の内容の本なら、中山氏が書かずとも、ジャーナリストが小遣い稼ぎにやれそうな気がしてなりません。それとも、議員の歳費とか、年金や退職金、あるいはいろいろな日当や手当など、ジャーナリストが書いたら潰されてしまうのかもしれません。

 で、結局、動画の発言につながる発見はありませんでした。そこで、いつものようにネットの情報を探してみることとします。

 昭和23年に生まれた氏は、今年69才です。昭和45年代、時の女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画したのち、反差別、反戦などの市民活動に取り組んだということです。昭和52年には、芸術家や知識人からなる政治団体・革新自由連合の結成に参加し、代表の一人となっています。

 別の情報では、こんなものもあります。 

「時に社民党、民主党、共産党などと共闘することはあるが、根っからの政党政治嫌いで、支持政党はなく、政治的支援は無所属候補、無所属議員に限っている。」

 詳しいことは分かりませんが、昭和45年に女性解放運動に参加した頃から、左翼思想に傾いたのでしょうか。政党でなく、個人的に、氏は福島みずほ氏の熱烈な応援者です。だから私には無縁な人物であるということが、よく分かりました。これ以上付け加えることもありませんし、何か時間の無駄をしたような、余計な道草を食ったような、中途半端な気持ちです。

  最後に強いて述べるとしたら、昨日と同じ言葉です。

  「日本には、いろいろな人がいるものです。宮沢氏もしかり、五木氏もしかり、そしてもちろん私もしかり、在日の辛淑玉氏もしかり、中山千夏氏もしかり。みんな許容している、寛大な日本になぜ感謝しないのでしよう。不思議でなりません。」

 
 
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憲法講話

2017-03-04 21:00:48 | 徒然の記

 宮沢俊義氏著「憲法講話」(昭和42年刊 岩波新書)を、読了。

 氏の略歴を知らずにこの書を読めば、博識の教授に敬意を表すると思います。また実際、傾聴すべき意見も沢山ありました。例えば、明治憲法を復活しても、そのまま現在に通用するから現行憲法は不要だと、そのような意見がありますが、氏はそれに異を唱えます。

 説明を聞きますと、なるほど、明治憲法はそのまま現在の日本には通用しません。憲法を超えた天皇の「統帥権」が、再び軍による政府の軽視を引き起こす危険性についても、理解します。明治憲法は、天皇の助言者あるいは責任者として、国務大臣を置いていました。国務大臣は、帝国議会のコントロールを受けましたから、政府も政策遂行に制約されました。

 しかし統帥権は、政府から独立し、天皇自らが行使するという建前になっていましたため、天皇への助言者は、陸軍は参謀総長で、海軍は軍令部総長でした。軍務に関するすべては、結局陸軍と海軍が実質的決定権者となり、議会のコントロールが及びませんでした。婉曲ではありますが、氏はこれを明治憲法の欠陥とし、悪法のように語りますが、別の見方もあります。

 欠陥の明治憲法が、どうして明治、大正と、問題なく運用されてきたのか。それは明治の元勲が、存命であったからだという意見です。維新の改革を行ってきた元勲たちは、政府要人であると同時に、軍人でもありました。愛国者である彼らは、諸外国と日本の国力の差を十分理解し、日清、日露と、国運をかける大戦争をしても、いかにそれを終わらせるかを常に考えていました。無謀と思われる戦争をしても、早期の終結に心血を注ぎました。

 大国と戦争をしても、長期戦になれば日本に十分な国力がないことを知っていました。先の見えない大東亜戦争は、元勲たちがなくなった後の戦争でした。元勲がいなくなれば、統帥権の独立が幅を利かせ、軍部に手出しのできない政治家ばかりになったのですから、やはりこの時点で、明治憲法は見直しが必要でした。

 しかし、敗戦という辛い現実に遭遇しなければ、明治憲法の見直しはできなかったのです。これは、熱しやすく冷めやすい、私たちの宿命でないかと思ったりします。あるものを正しいと信じますと、一途にそれを思いつめ、他を排斥する狭さが、日本人の欠点であると認めなくてならない気がします。聖徳太子による仏教重用時代以来、わが国は外圧によって、あるいは外圧を利用して、国策を修正してきました。律令制を導入した大化改新もそうですし、ペリーの来航もそうでした。

 押しつけ憲法なのか、そうでないのか、相反する事実が沢山あり、いろいろな意見が流布しています。それでも冷静に観察すれば、GHQの提示した憲法も、外圧の一つです。押しつけられたのか、利用したのか、マッカーサーと幣原首相による「阿吽の呼吸」の産物なのか。今となっては、確かめようがありません。

 元勲がいなくなった後の帝国憲法の不備は、歴史の流れの中で露呈したものです。敗戦後も70年が経過すれば、現行憲法にだって不備が生じます。憲法一条と九条は、日本人が、叡智を絞って修正しなくてはなりません。つまり、「天皇」と「戦争放棄」の二つは、日本の土台なのです。

 さて私はここに来て、拙速主義を捨てました。どうやら安倍政権で、憲法改正はできないのでないかと、そんな思いがしてきました。移民政策やカジノ法案を推進する愚策と、森友学園のスキャンダルなどが、憲法改正を阻む障害となりつつあります。総理の後には、憲法改正を標榜する自民党議員が見当たりません。つまり、本物の憂国の士や憂国の議員が、まだ出現していないのです。議員諸氏は、安倍総理の流れに乗っているだけで、国論を二分する憲法改正に取り組む勇気が、ないのでしょう。

 宮沢氏の著作は、50年前の出版物とはいえ、今尚多くの人間が賛同しています。国際情勢の変化がどうあろうと、たとえ日本が滅びようと、気高い憲法を守るという、お花畑の住民が沢山います。ただ彼らの多くは、私同様老人が多いのです。私も含め、老人はそのうち消えていきますから、頑迷な彼らと不毛な諍いをする意味がどこにあるでしょう。

 意味のない諍いをやめ、私はこれからも、自分の信じるところをブログで述べ、明日の日本を考えます。この本で最大の収穫と感じましたのは、憲法の権威として今尚、日本人に尊敬されている氏が、次の3点を明確に述べているところでした。

  1. 現行憲法は、押しつけ憲法の性格が強いこと。

      2. 現行憲法は、手続き的には明治憲法を継続しているように見えるが、実質は革命でしか施行されない形の憲法であること。

  3. 占領国による憲法作成であり、国際法違反のおそれがあるとこ。 

 つまり、歴史的に見ましても、現行憲法は、日本人の手によって、改正されなくてならない定めにあるということです。内閣の一つや二つが吹き飛んでも、国家百年、五百年の計のためには、私たちが超えなくてならない高い山です。願わくば、アメリカや中国や、そのような外国の力を頼りにせず、日本人の手で作り変えたいものです。そうでなければ、いつまでも日本は、どこかの国の属国のままです。

  話が大きく飛びますが、2月25日付の千葉日報で、作家の五木寛之氏が大きく取り上げられていました。氏のベストセラーだった「青春の門」の続きを、23年ぶりに書くのだという記事でした。その中で、氏が次のように語っています。

「ナショナリズムは、祖国にこだわり過ぎるところから来ているのではないか。」「僕は、落ちたところに根を張る、デラシネの思想です。」

 デラシネという言葉を初めて知りましたが、簡単に言いますと、放浪とか流浪者をいうらしく、祖国を持たない人間の意味でした。先ずもって私は、氏の「祖国にこだわり過ぎる。」という言葉に、違和感を覚えました。自分の国を大切に思う気持ちは、こだわりすぎるという表現が適切なのでしょうか。国を大切に思ったり、愛したりする気持ちを、なんでわざわざナショナリズムという、大げさな言葉で表現するのでしょう。

 そんな無理やりにこじつけた思いでなく、自然な気持ちから生まれる感情のはずです。私たちは親を大切に思い、愛しますが、こだわり過ぎるからそうなるのでしょうか。 

 誰に教えられなくとも、多くの人は親を大切に思い、愛します。生まれた国への愛は、それと同じで、素朴な感情です。だから私は、有名な作家である五木氏にとって、憲法問題は、他人事でしかないのだと、知りました。氏はお花畑の日本人というより、親ソ派のニヒリストだと言います。

 日本には、いろいろな人がいるものです。宮沢氏もしかり、五木氏もしかり、そしてもちろん私もしかり、在日の辛淑玉氏もしかり。許容する寛大な日本になぜ感謝しないのでしよう。不思議でなりません。

 

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野良猫タビー

2017-03-02 20:55:28 | 徒然の記

 雨風の日は姿を見せませんが、このところ毎日朝の10時か11時頃になると、野良猫が一匹顔を出すようになりました。庭の昇降口に置いた踏み台の上で、きちんと両足を揃えています。

 茶と白と黒の混じった三毛猫のメスで、お目当ては、キャットフードです。正確な記憶がありませんが、三ヶ月くらい前から訪ねて来るようになりました。以前から、時々庭を横切りる猫が何匹かいましたが、その内の一匹です。

 亡くなった飼い猫の餌が残っていましたので、スーパーの空き容器に入れてやったら、警戒しながら食べ、それがいつの間にか習慣になってしまいました。けれども猫は決して私たちになつかず、近づくと逃げてしまいます。手渡しで餌をやろうとして、私も家内も、鋭い爪で引っ掻かれてしまいました。

 飼い猫と野良猫の違いは、決して体を人に触らせないところです。無理に近づくと激しく怒り、敵意を露わにします。常に周囲を警戒し、近づくものには敵意を燃やし、こうして野生の猫は生きながらえているのだと知りました。

 それでも毎朝来るようになりますと、どうしても可愛くなってきます。亡くなった猫の身の回りの品が、まだ倉庫に残してあります。今では餌入れも水飲みの容器も、この野良猫が使っています。

 「ねこ、ねこ。」とか、「みけ、三毛」とか呼びかけていましたが、こうなってくると、名前のないのがもどかしくてなりません。「たびー、たびー。」ある日家内が、そう呼びかけていました。何となく洒落た名前なので、理由を聞いてみますと、あっけない話でした。「揃えている前足が、まるで白いタビでも履いているように見える。」

 どこかの国の言葉で、野良猫をタビーと呼ぶのかと考えたのに、それだけの話でした。しかしこれも不思議なことで、毎日呼んでいると互いに馴染んでしまい、なんと野良猫までが反応し、かすかな鳴き声で応えるようになりました。近づくと離れていくのは今も同じですが、離れていく距離が短くなりつつあります。

 決して目を合わせず、話しかけても他所を向いているのは、今でもそうですが、少し違ってきましたのは、食事の後の行動です。餌を食べ水を飲み終えたら、どんなに呼びかけても無視して立ち去っていましたのに、この頃は昇降台の陽だまりで、時間つぶしをするようになりました。毛づくろいをしたり、爪研ぎをしたり、背を丸めて目を閉じたりします。寛いだ様子を見せはじめたということは、警戒心を少し解いたのかもしれません。

 気にかかっていますのは、尻尾のあたりの背中の毛が、縦方向に十センチばかり抜け落ちいてることです。皮膚病らしいので、病院に連れて行きたいのですが、捕まえるのは至難の技です。病院で治療をしたら、家に入れても良いと思っていますが、それもできません。病気の猫では、遊びに来る孫にも良くありません。

 そんなことを日々考えつつ、それでもタビーの愛らしさが日々強まり、毎朝やってくるのを楽しみにしています。亡くなった飼い猫が、元気だった頃から見かけていたので、人間の年で言えば、タビーはおそらく13か14才だと想います。元気そうに見えても、若い猫ではありません。もしかすると、野良猫なので、私たちより早く亡くなるのかもしれません。

 どうやらタビーは、歯が悪いらしく、ドライフードに難渋していました。近所のスーパーで缶詰を買ってきましたら、あっという間に、平らげました。

「タビーが亡くなるときは、私たちが面倒を見てあげようね。」

 これが妻と私の、約束です。亡くなった飼い猫については、忘れられないことばかりですが、タビーのお陰で、少し慰められます。きっと天の神様の贈りものなのでしょうが、その神様はキリストか、アラーなのかと、そんなややこしいことは考えません。八百万の神様のどなたかが、タビーを、ねこ庭に招いてくれたのだと、感謝だけしています。

 人生には、時々楽しいことがあります。

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