三陸鉄道北リアス線田野畑駅は別名「カンパネルラ田野畑」です。
その駅は3.11の津波で跡形も無く流されてしまいました。
私は残された階段のその先にカンパネルラのほほ笑みが見えてくるようで、とても悲しい気持ちになりました。
そして、やはりカンパネルラと共に在るジョバンニみたいに見える田野畑の人々の生きる未来や想いや感情を共有したいと強く想いました。
何もないガレキの中に宮沢賢治の詩碑だけがすくっと残っています。
発動機船 第二 宮沢賢治
船長は一人の手下を従へて
手を腰にあて
たうたうたうたう尖ったくらいラッパを吹く
さっき一点赤いあかりをふってゐた
その崖上の望楼にむかひ
さながら挑戦の姿勢をとって
つゞけて鉛のラッパを吹き
たうたうたうたう
・・・
今回田野畑村を訪問して、普通の暮らしを取り戻すために一生懸命日々を送っている方々とお会いすることが出来ました。
支援物資をお届けすると、とても感謝の気持ちを伝えて下さいます。
でも、そうじゃないんです。私こそ、その方々に感謝を伝えなければならないのです。
私がそこに足を運びたくなるわけはその人たちの大切なエネルギーを分けて頂くことができるからなのです。
私に惜しげも無くそのエネルギーを分けて下さるお一人
NPO法人ハックの家施設長 竹下敦子さん。
行政の手の行き届かない住民の不便の解消のために日夜全力を注いているのです。
カンパネルラ田野畑。
私はこの村がとても大好きになりそうです。