田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

昔だったら/麻屋与志夫

2011-03-18 08:03:21 | Weblog
3月18日 金曜日

●東日本大震災から一週間が過ぎた。
まだ余震は続発している。
グラッとくるたびに。
おどろき、恐怖におびえている。
地震はさいしょの揺れがいちばん大きい。
という常識。
それが、あのときはながく揺れ、さらに激しくなった。
これはただごとではないと。
手すりにつかまりながら階下のカミサンのところにかけおりていった。

●被災地では家族別れ、生死があの瞬間にすでに決まっていた。
お悔やみのことばもない。

●寒い。
このところ三月も中旬だというのに零度を下回る朝がある。
広い体育館などに石油ストーブがぽつんとおいてある画像。
毛布にくるまった年寄と子ども。
寒さどころではない。
飲み水がない。
一日一個のおにぎり。
現地の事情はGGにはわからない。
どうなっているのだろうか。
テレビでは被災地の直ぐ傍の救援物資集積所まではきている。
それを細かく仕分けして配達する車がないと伝えていた。

●大八車とまではいわないが、リャカーはどこに消えてしまったのか。
石炭や薪を使用するあのダルマストーブは廃棄処分してしまったのか。
わたしたちの周辺でもこのところの街の変化。
ひとびとのこころのかわりようはただごとではない。
古いものはすべてダサいという感覚に支配されている。
いかに古いもの不要なものを捨てるかという本がベストセーラになったりする。
読んでいないからなにもいえない。
残すものは残す。そうしたことを再考するべきだ。

●廃材となった家の残骸。
ドラムかんで燃やして暖をとっいいた。
ダルマストーブがあればな。
リャカーがあればな。
これからはポンプ井戸だってみなおされるだろう。
いや、ひと昔前の生活を支えてくれていたものが復活することはないだろう。
だが、どうだろうか、GGたちの世代の話にもときには耳を傾けてもらいたいものだ。
戦時中わたしたちの親は、自転車に荷物を積んで疎開してきたものだ。
ガソリンに頼る社会の脆さ。
竈に火をくべる。
火をおこす。
井戸水を汲む。
リャカーで荷物を運ぶ。
すべて死語同然だが、GGはその全部を日常の生活の中で経験してきた。

●物質的なことだけではない。
古い世代のモノの考え方や、生活感がひきつがれていかない。
寂しいことだ。



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