第2章 イジメの記憶。誠の父。勝平。昭和20年。夏。
激しい活動力はそれを持つ人間に罪の観念をにぶらせる。彼が良心に咬まれるのはただその活動力が阻まれた時だけである。 モーム
1
……どよめきが起きて、友だちに囲まれていた。
いっしょに遊ぼうよ。
勝平ちゃん、アソボウ。
いっしょに遊ぼう。
勝平君。
ことばのアクセントはきれいな標準語だ。
集団疎開の友ちゃんだ。
しかし、この思い出は誠のものであるはずがない。
(ここに想起されているのは、わたしの記憶ではない)
戦時中のことは。
集団疎開児童の話しは。
まちがいなく父から聞かされてきたものだった。
なんどとなく、おなじことばで聞かされたものだ。
その記憶は父とわかちあっている。
誠の記憶ともなっていた。
父のこの学校についての記憶は誠のものだ。
それは親子で暴力教師の橋田の担任クラスに所属した経験からきている。
遠い父の記憶が誠のものとなっている。
そのころは暴力教師などという表現はなかったろう。
なんども幼いときから聞かされてきたからだ。
奇妙なことたが、教師による暴力は、いまも起きている。
暴力が肉体にたいするものだけではなく、精神的なものまで含んでのことだが。
ことばによって生徒をイジメる。
教室はいつになっても現在形なのだ。
思い出は古くなることもなくこの現在においても、ここに存在している。
ここで学ぶ児童がいつも同じ年齢であるのと同じだ。
父の体験と誠のいまの情况が心情的に同調している。
ここには、子供たちの苦悩をくいものにしているモンスターかいる。
苦悩だけではない。
これから成長しようとしている可能性の芽を摘みとっている。
過去と現在が交差する学校に、モノの怪がいる。
子供たちの精気を吸っていつまでたってもここに在りつづけている。
それが、なぜ生きているのか、わからない。
この街で起きていることは、なぜそういう事になるのだろうか。
かわからない。
わからないことだらけだ。
街が腐臭を放っている。
ひどい場合は側溝が糞便の異臭をたてて流れている。
まだ、下水道の、水洗の工事をしていない家庭があるのだろうか。
そうしたことについては、街の人は不感症になっている。
噂にものぼらない。
ヨーカ堂に買い物にいっても。
さほど混雑しているわけでもないのに。
どすっどすっと対向からくる人がぶつかってくる。
衝突を避けるためにはサット避けなければならない。
無表情なひとびとがすれちがっていく。
なにかに怯えた顔。
外に向かって心をひらいていない顔。
そして、たえずいらいらして怯えきった顔。
だから街が静かに狂いだしているように誠には思えてならない。
教室には過去などというものはないのだ。
友ちゃんが青白くやせ細った両手をさし出す。
迫ってくる。
飢えがいわせる言葉だ。
よせ、やるよ。
わけてやるからそんな格好……するなよ。
友ちゃんの物乞いのようなしぐさ。
気の毒で耐えられなかった。
遊ぼうというのは、勝平のもっている食べ物をくれ、ということだった。
さすがに、何か食べ物を恵んでください。
食べ物をくれ。
サツマ芋を食べさせて。
お腹が空いている。
食べ物のくださいと乞食のようなことばはいえないでいる。
それがかわいそうだった。
遊ぼうよ。
こんどは、太田だ。
太田の声がこだまする。
良家の生れだという、ビロードの学生服を着た、誇りたかい太田が訴える。
飢えが自尊心にまさり、恥ずかしいことばと行動を促している。
勝平にはそれが痛いほど感じられた。
勝平は、手にしたサツマ芋を、二つにおった。
大きいほうを友ちゃんに渡した。
友ちゃんがそれを太田とわけ合う。
友ちゃんの喉が芋を飲み込む。
ゆっくり噛んでなんかいない。
細い喉がもりあがり芋を燕下するさまがよくみえる。
太田が食べている。
食べている。
食べている。
友だちの飢えをすこしでもやわらげてあげることができた。
お腹の皮が背中にくっついちゃうよ。
お腹になにもはいってないんだから。
今朝から水しか飲んでいないんだよ。
お腹がすいているよ。ハラペコだヨ。
友ちゃんがいう。
太田がいう。
みんなが訴える。
どんなことがあっても、じぶんだけで飢えをみたすようなことはしない。
サツマ芋の半分はきみらに食べてもらう。
いや、ぜんぶあげてもいい。
きみらの飢えはおれの飢えでもある。
きみらの飢えが満たされなかったら、おれの飢えも満たされことはないのだ。
きみらだけはおれにイジワルをしない。
だから、集団疎開のきみらはおれのみかただ。
遊ぼうよ。
遊ぼうよ。
遊ぼうよ。
……無数の手が。
記憶の中の父にむけられた栄養失調で筋ばった手。
かさぶただらけの手が、いま誠に迫る。
すっかり干からびて朽ち木色をした手がにゅっと誠にせまる。
鉤爪のように曲げられた指が、誠をとりこもうと延びてくる。
どこまでも追いかけてくる。
暗がりにひっぱりこまれる恐怖に誠は教室をとびだした。
古い板壁にはこの教室で学んだものたちの悲しみや恐怖が――。
目にはみえない垢となって染み込んでいた。
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……どよめきが起きて、友だちに囲まれていた。
いっしょに遊ぼうよ。
勝平ちゃん、アソボウ。
いっしょに遊ぼう。
勝平君。
ことばのアクセントはきれいな標準語だ。
集団疎開の友ちゃんだ。
しかし、この思い出は誠のものであるはずがない。
(ここに想起されているのは、わたしの記憶ではない)
戦時中のことは。
集団疎開児童の話しは。
まちがいなく父から聞かされてきたものだった。
なんどとなく、おなじことばで聞かされたものだ。
その記憶は父とわかちあっている。
誠の記憶ともなっていた。
父のこの学校についての記憶は誠のものだ。
それは親子で暴力教師の橋田の担任クラスに所属した経験からきている。
遠い父の記憶が誠のものとなっている。
そのころは暴力教師などという表現はなかったろう。
なんども幼いときから聞かされてきたからだ。
奇妙なことたが、教師による暴力は、いまも起きている。
暴力が肉体にたいするものだけではなく、精神的なものまで含んでのことだが。
ことばによって生徒をイジメる。
教室はいつになっても現在形なのだ。
思い出は古くなることもなくこの現在においても、ここに存在している。
ここで学ぶ児童がいつも同じ年齢であるのと同じだ。
父の体験と誠のいまの情况が心情的に同調している。
ここには、子供たちの苦悩をくいものにしているモンスターかいる。
苦悩だけではない。
これから成長しようとしている可能性の芽を摘みとっている。
過去と現在が交差する学校に、モノの怪がいる。
子供たちの精気を吸っていつまでたってもここに在りつづけている。
それが、なぜ生きているのか、わからない。
この街で起きていることは、なぜそういう事になるのだろうか。
かわからない。
わからないことだらけだ。
街が腐臭を放っている。
ひどい場合は側溝が糞便の異臭をたてて流れている。
まだ、下水道の、水洗の工事をしていない家庭があるのだろうか。
そうしたことについては、街の人は不感症になっている。
噂にものぼらない。
ヨーカ堂に買い物にいっても。
さほど混雑しているわけでもないのに。
どすっどすっと対向からくる人がぶつかってくる。
衝突を避けるためにはサット避けなければならない。
無表情なひとびとがすれちがっていく。
なにかに怯えた顔。
外に向かって心をひらいていない顔。
そして、たえずいらいらして怯えきった顔。
だから街が静かに狂いだしているように誠には思えてならない。
教室には過去などというものはないのだ。
友ちゃんが青白くやせ細った両手をさし出す。
迫ってくる。
飢えがいわせる言葉だ。
よせ、やるよ。
わけてやるからそんな格好……するなよ。
友ちゃんの物乞いのようなしぐさ。
気の毒で耐えられなかった。
遊ぼうというのは、勝平のもっている食べ物をくれ、ということだった。
さすがに、何か食べ物を恵んでください。
食べ物をくれ。
サツマ芋を食べさせて。
お腹が空いている。
食べ物のくださいと乞食のようなことばはいえないでいる。
それがかわいそうだった。
遊ぼうよ。
こんどは、太田だ。
太田の声がこだまする。
良家の生れだという、ビロードの学生服を着た、誇りたかい太田が訴える。
飢えが自尊心にまさり、恥ずかしいことばと行動を促している。
勝平にはそれが痛いほど感じられた。
勝平は、手にしたサツマ芋を、二つにおった。
大きいほうを友ちゃんに渡した。
友ちゃんがそれを太田とわけ合う。
友ちゃんの喉が芋を飲み込む。
ゆっくり噛んでなんかいない。
細い喉がもりあがり芋を燕下するさまがよくみえる。
太田が食べている。
食べている。
食べている。
友だちの飢えをすこしでもやわらげてあげることができた。
お腹の皮が背中にくっついちゃうよ。
お腹になにもはいってないんだから。
今朝から水しか飲んでいないんだよ。
お腹がすいているよ。ハラペコだヨ。
友ちゃんがいう。
太田がいう。
みんなが訴える。
どんなことがあっても、じぶんだけで飢えをみたすようなことはしない。
サツマ芋の半分はきみらに食べてもらう。
いや、ぜんぶあげてもいい。
きみらの飢えはおれの飢えでもある。
きみらの飢えが満たされなかったら、おれの飢えも満たされことはないのだ。
きみらだけはおれにイジワルをしない。
だから、集団疎開のきみらはおれのみかただ。
遊ぼうよ。
遊ぼうよ。
遊ぼうよ。
……無数の手が。
記憶の中の父にむけられた栄養失調で筋ばった手。
かさぶただらけの手が、いま誠に迫る。
すっかり干からびて朽ち木色をした手がにゅっと誠にせまる。
鉤爪のように曲げられた指が、誠をとりこもうと延びてくる。
どこまでも追いかけてくる。
暗がりにひっぱりこまれる恐怖に誠は教室をとびだした。
古い板壁にはこの教室で学んだものたちの悲しみや恐怖が――。
目にはみえない垢となって染み込んでいた。
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