田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

飽食の時代に「一粒のコメ」を考える   麻屋与志夫

2020-01-17 10:59:56 | ブログ
1月17日 木曜日
飽食の時代に「一粒のコメ」を考える

●朝早く起きた。
いつものように牛乳がゆをつくろうと、炊飯器の蓋を開けたところ! 
あらあら、一箸くらいしかのこっていません。
文字通りお箸でつまんで、茶碗に移す。
釜をよく洗い、無洗米を二合五石ほどかまにいれて目印に合わせて水をみたし「そくうま」押し、「炊飯スタート」をポンとプッシュ。

●そこで小学生の時に、一粒を「イチリュウ」と音読みで教わったことを不意に思いだした。

●「お百姓さんが、米――八十八の手間をかけて作ったお米だ。一粒のお米でも食べ残してはいけない」
先生の言葉が身にしみた。
もっとも、戦中から戦後にかけての食糧難の時代だから、お米のご飯をたべのこすようなことは誰もしなかった。
お弁当をもってこられなくて、昼どきになると、教室をでて、校庭の隅のブランコにのっているともだちも数人いた。

●白米を五合マスですくいあげられるなったのは、わたしが旧制中学の最後の生徒になってからだった。

●「ハジメチョロチョロナカパッパ赤子泣いても蓋とるな」母が歌いながら竈の前に立っていたのを覚えている。
平和な時代になって米の、それも白米が食べられることの幸せを、しみじみと感じていたのだろう。

●社会科の先生が「白米のご飯で、マグロの刺身、お酒一合飲めたらいいなぁ」と慨嘆していた。
国語の先生は田中潔。のちにNHKにおつとめになり、大プロデュサーとなったときいている。
当時はまだ一高生だった。記憶にちがいがあったら、ごめんなさい。

●玄米が配給になり、一升ビンでついて、白米にするようなことをどこの家庭でもしていた。

●あの頃のことを急に思いだした。
それはまるで「弦のはってない琴」の調べのようだ。まだ、書き出してもいない、自叙伝の一節のようにわたしの心の中で、ひびきだした。

●やりたいこと、書き残しておきたいことがある。
なにがなんでも長生きしてやる。
まず飯を食うことだ。と自分なりの「オチ」をつけて釜の蓋を開けた。
炊き立てのご飯のいい匂いがキッチンに満ちた。


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