田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

トレッキング

2007-10-10 07:46:14 | Weblog
10月10日 水曜日 晴れ
●ようやく日曜日に歩き過ぎた疲れもぬけたのか、熟睡できるようになった。このところ覚えた楽しみのひとつは、眠れるだけ眠ることだ。あまり褒められたことではないが……、よく寝たあとは、体が軽い。この体が軽いということはありがたいことで、小説を書く気力が充実する。うらの空地を畑にして耕している老婆がいる。はやくから鍬をふるっている。その音をききながらうとうとしている。窓をほそ目に開けてみる。金と銀の木犀の木があるのでいい匂いが漂ってくる。ここでは、時間が停止している。静謐が周囲を支配している。クシャミをしても隣近所に響き渡る。おもしろい。

●田舎住まいの楽しみ方はいろいろある。テレビでやっている番組のように実際に農業を体験して、それにのめり込むのもいい。わたしはただひたすらなにもしない。カミサンと街を彷徨する。10ぷん歩けば田園だ。野歩きもいい。そのまま岩山の周辺の山野をtrekking(トレッキング)と洒落こむのもさらに楽しい。この年だと山に毎日のように登るのはすこしきつい。山頂などめざさず、おしゃべりをしながら上り下りを楽しみ、ときには小さな小さな滝などを見つけてよろこんだりする。

●午後になったらこの続きを書きます。

●パソコン教室の帰り、河原に白鷺がいた。カミサンはさっそくカメラを向けた。ズームだと画面がどうしてぶれるのかしら、と心配しながら撮った一枚だ。わたしは、カメラが光ってまぶしいという彼女に日傘をさしかけてやる。カメラで撮った写真をはじめてブログにいれた。教わってきたことが直ぐに役立ちうれしくてたまらないらしい。今までは、携帯からのみだったが、カメラからブログに入れられるということは、さらに写真が変化に富みおもしろいものになる。わたしも期待している。

●秋祭りがもうすぐだ。この土曜日と日曜日だ。河原まで祭り囃子の音が聞こえてくる。どこかの町内で練習しているのだろう。大勢の観光客が訪れてくれるといいな。

●子猫が迷い込んできた。かわいいクロトラで生後4か月くらいだろうか。しっぽの長いメス猫だ。捨てられた猫だったらどうしよう。と、カミサンが心配している。猫を飼うとご近所に迷惑をかける。ブラッキーがいるだけで肩身の狭い思いをしている。もし、捨て猫だったとしても飼うことはできないだろう。庭に置いてある外猫チビの皿の残りエサがなくなっていた。あの子猫がもどってきたのだろうか。もういちど会いたいという期待ともう来ないでほしいという気持ちと半々だ。

石塀の秋

2007-10-09 17:39:19 | Weblog
10月9日 火曜日 朝小雨
●朝から秋雨。トタン屋根をうつ幽かな雨音で目覚めた。昨夜は下の部屋でひとりで寝たブラッキーがわたしの起きたようすをいちはやくさとりダダっと階段をかけのぼってきた。ドアを開け階段を愛猫を小脇に抱えておりる。皿にエサをひとつまみあげる。わたしとおなじで、すこしふとりぎみだ。「わるいな、ママにエサのやりすぎだーといわれているからな」少なすぎるエサに不満をもらすブラッキーにいいわけをする。

●石塀が三十数年経って、ようやく鄙びた感じがでてきた。檜の板塀がシロアリの害にあったとき石塀にした。大谷石というが、正確には深岩石だ。すこし青みをおびている。掛け替えた当時はなにかはれがましい感じがしていやだった。やっと侘しい風情をただよわせてきた。塀にからまった蔦が黄葉してきた。すぐに枯葉色にかわりやがて蔓だけをのこして落葉していくだろう。塀の上にも雨が降っている。

●アスパラドリンクが一ビンついて495円だ。リックを背負い買いにでかけた。このところ毎日で歩いているので体の調子がいい。三ケースしか持てなかった。一ケースはカミサンがレジ袋にいれる。横断歩道を渡っていたら、眼の前を車が横切った。あぶなかった。信号が青でも、横断歩道でも注意しないと危険だ。

●午後、塾の卒業生、美穂ちゃんが遊びに来てくれた。この春高校を卒業したひとたちの噂が聞けてたのしかった。


怠惰

2007-10-09 00:41:19 | Weblog
10月8日 月曜日 晴れ
●昨日は歩き過ぎているので、ぐっすり寝られると思った。だが、早く起きてしまった。どうも、最近疲れがすなおにでないので困ってしまう。数日経ってからどっとでることがある。小説のほうはスランプ。しかたなく、日曜日のブログを書いた。半覚醒状態で書いたので地名などにだいぶミスがあった。カミサンが写真を入れる時に直してくれた。

●結婚式に出てくれた妹夫妻に写真を届けに行った帰途。河原に白鷺が舞っていた。釣り人がいて、絵にかいたような田舎町の風景だった。空気が澄み切ってきた。遥か日光連山がよく見えるようになってきた。冬、雪の山々の写真をはやくブログにのせたいとカミサンは言う。

●こうした田舎住まいをしていると、世間の動きには疎くなる。小説家としては、それでは困るので週刊誌でもこれからは読もうかな。なにをするにも怠惰になってきた。なまけていては、駄目だよ、ねえ作家先生。と、自嘲。


23、432歩

2007-10-08 04:03:59 | Weblog
10月7日 日曜日 晴れ
●所用ができてオペラシティまででかけた。新京王線を初台で降りた。街を歩きだして気がついた。昨日ブログに書いた文芸首都の保高徳蔵先生のお宅のあった地名だ。そして、カミサンは、代々木山谷町の生まれだ。この偶然に彼女も驚き、興奮していた。幡ヶ谷小学校の時の厚い色眼鏡をしていた担任の女の先生の思い出などを話し始めた。今度は小田急線に乗ってきて、参宮橋で降りよう。ここからどれくらいの距離なのか歩いてみよう。空襲で焼けてしまったろうから、小学校を訪ねても、なつかしクラスメイトの消息なんて全くわからないだろう。そんなことを話し合いながら、地名だけ知っていて、見知らぬ街を歩いた。カミサンの家は幡ヶ谷で乾物屋をしていた。母が仕入にいくとき、リヤカーをひいていた。のりなさい。そういわれても、恥ずかしくてのれなかった。さもありなん。いまでもひかえめで恥ずかしがりやな性格はのこっている。彼女の中にはまだ戦中戦後がのこつているのだ。

●新宿に戻った。和食で食事をした。

●帰途。電車の中づり広告で古河邸で秋のバラ祭りがあるのを知った。バラ好きのカミサンだ。見逃す手はない。お供をする。カミサンはバラのアイスクリーム。わたしは冷たい物には弱い。ホットなものを買ってきてくれた。お茶だ。秋のバラはきれいだつた。なにか、はりつめた美しさがあった。カミサンはこんどは予約して邸宅の中、豪華な部屋をみたいといっていた。リヤカーを引いている人にあった。いまどき田舎町でも見られない真新しいリヤカーだった。その荷台に六十年前のカミサンを乗せてみた。想像することは楽しい。

●想像にふけるわたしをおいて、プラスチツク製のイスから立ち上がったカミサンは、シャカシャカ写真を撮っていた。そんな彼女の姿を遠目に眺めていてた。いつまで、こうして二人で歩けるだろう。

●歩行数。23、432歩。


運命の女

2007-10-06 22:08:10 | Weblog
10月6日 土曜日 晴れ
●彼女とは故郷の田舎町の小さな剣道場で出会った。演劇サークルが稽古場として借りていた。わたしはまだ東京にいた。母の病気で帰省してきた。その翌日だった。なにか演技の参考になるような話をしてくれとたのまれた。わたしはシナリオ研究所の四期生だった。
ぶらりとでかけたそこに彼女がいた。剣道場の片隅に白いユリの花が咲いているようだった。薄暗いなかになにか白い霞がかかっていた。ああ、運命の女がここにいた。ついに生涯をともにするべき女性に出会った。からだがふるえた。

●昭和27年に文芸首都の会員となった。彼女と出会ったころにはよく投稿していた。31年ころからは毎月のように推薦作その他という欄に名前がでていた。あとひといきで推薦作、その月に作品が掲載されるところまでがんばっていた。文学的には、いちばん充実した日々を過ごしていた。

●あれから50年。息子の披露宴で贈られユリの花の匂いに触発されての回想である。よく生きてこられたと思う。

●彼女とはいまのカミサンだ。


披露宴の花

2007-10-05 07:07:34 | Weblog
10月5日 金曜日 晴れ
●昨日のブログに写真がはいっていた。披露宴に息子夫婦から贈られた花束だ。元気のいいユリとリンドウを分けて花瓶に生けなおしたものだ。ユリはまだ生きいきとしている。若者が大勢い集まった。その熱気がこの花々にのこっているのだろう。たのしかった。職場にも恵まれている。仲間にもサポートしてもらっている。育児放棄のような状態で小学校の4年生で上京させてしまった息子。わが人生で悔いがのこるとすれば、このことだ。長いこと息子にすまなかったと心の中で謝ってきた。

●「よかったな。ほんとうによかった。11年もおまえを見守り、励ましてくれたこころやさしい女性と今は新婚生活……よかったな」

●いろいろな<愛>の形がある。ふたりでしあわせに暮してください。

●わたしたちの愛もいよいよ最終章にさしかかっている。しぶとく、三桁まで生き抜いてみせる。恋愛小説はまだ書いていない。でも、恋愛小説のような、そのもっとも理想的な日々を生きている。老後などとはいわせない。

●いつであったか、コピー機を定期的にメインテナンスに来てくれるキャノンの若者にいわれたことがある。

●「国分寺の万葉公園で遠くからお見かけしました。隣にいた彼女にいいました。あのご夫婦のように仲の良い夫婦になろうね。ほくらの理想像です」うれしかつた。      

●いつでも幸せとはかぎらなかった。いまでも、思うように小説が書けないという悩みをかかえている。国語教室は止めて、英語教室だけで生活が成り立つかという心配もある。ともかく現在話題沸騰の国民年金にはある事情から加入できなかった。生涯働きつづけなければならない。これが、幸いしてしまのところは健康だ。でも、将来は……。

●4日のブログの写真を見ていて考えた。
鉄砲ユリの花言葉は純潔、貞操。
竜胆の花言葉は悲しんでいるときのあなたが好き。
ともに結婚式や披露宴の花にふさわしいようだ。

●花束の包装紙に包みこんだ花の名前と花言葉を印刷したらどうだろうか。あるいは、その祝い事に、あるいは病気見舞いにふさわしい言葉を印刷しておくとか。洒落た詩の1節でもいいだろう。

●ユリの匂いがまだ部屋にただよっている。


説得

2007-10-04 23:29:14 | Weblog
10月4日 木曜日 晴れ
●今日は朝6時に起きた。たっぷり寝たので体が軽い。玄関を開けて庭の空気をおもいきり吸いこんだ。金木犀の香りをふくんだ大気をすいこむ。体をのばし、ストレッチする。裏山でカラスが鳴いている。空気が澄んでくると、カラスや小鳥の鳴き声までよく伝わってくるようだ。そうだ、朝からジャズを聴こう。なににするかな? とかんがえる。このきままな幸福感をだれに伝えよう。

●正嗣(まさし)の冷凍餃子があるのを思い出した。風呂から出て、明日からは塾が休みになるのでイッパイやろうとした。そのつもりだったのだが、カミサンからダメと拒絶されてしまった。悲しいことだが、わたしには冷凍餃子を解凍することはできない。お酒を飲むことはあきらめて、HALに向かう。ブログを書きだした。

●相撲界の不祥事が連日テレビを賑わしている。個々の事件に対するコメントは差し控えるが、すこし考えることがあった。説得力の低下という問題である。暴力に頼らなければ弟子や後輩を指導できないというのではあまりに悲しい。学校のクラブ活動、とくに運動部で連日のように暴力沙汰があったことが聞けてくる。どう解決するべきなのか、その糸口さえみつからない。穏便にすませるために、緘口令をしいたり、ともかくそんな目先のごまかしでどうにかなる問題ではない。GGは嘆いているのだ。

●説得力の低下は広い意味での国語力の低下に起因しているようだ。人の話をよく聴き、その話に感応する力がなくなった。国語の授業をやっていて、GGのものの見方の話など始めようものなら「漢字の書取しようよ」と声がかかる始末だ。国語の勉強をただ単に、識字教育としかとらえていない。作文の時間もない。子供たちは特に男の子は一冊も本らしい本を読まないで中学を卒業してしまう。GGはあきらめてしまった。35年間続けた国語教室は止めることにした。これからは、英語教室だけで細々と生活していかなければならない。英語より国語とおもってささやかな塾を主宰してきたがもういけない。なにをいっても通じないようだ。悲しい。

●言葉を失えば、あとには暴力による説得、指導、教育しかない。

●さてさてと。夜の化粧をしているカミサンをどう説得して餃子で一杯やるか。

●それが、問題だ。


花の香

2007-10-03 21:46:22 | Weblog
10月3日 水曜日 うす曇り
●金木犀のいい匂いがしている。庭から部屋に忍び込んでくる。部屋には披露宴から持ち帰った花が活けられている。花々の香しい匂いの中にいる。すごく豊かな気持ちになる。

●ふくいくとした香りだった。こころを洗われるような香りだった。一日幸せな気分で過ごした。隣の空地に背高泡立草が咲きだした。この花が咲きだすとそろそろ山では紅葉がはじまるのだ。

●外猫のチビがひさしぶりであらわれた。エサ皿にたっぷりと、もりあがるほどあげた。がつがつたべてニャと一言鳴いて帰っていった。

●テレビでは連日いやなニュースばかりon airされている。わたしの生活が隠者のものに思えてくる。


深まる秋

2007-10-02 06:54:07 | Weblog
10月2日 火曜日 晴れ
●秋海どうの花がうなだれたようになってきた。夏の間、そして秋にかけていままでわたしたちを楽しませてくれた花々が凋落の季節をむかえている。でも、四季咲きのバラはまだときおり花を咲かせている。

●披露宴にもらってきた花束。花瓶にさしてカミサンと眺めている。花をみながらいろいろな話をしている。部屋の中が花の匂いに満ちている。結婚式と披露宴での興奮が余韻としてまだのこっている。息子を支えてくれている大勢のひとたちにあった。「これからもよろしく」

●このところ、訪問者がふえている。これで4か月このブログを書きつづけたことになる。ご愛読ありがとうございます。わたしはこのブログを私小説を書くような手法で書き続けています。ときどき、前のブログにも目をとおしてください。北関東の舟形盆地にある小さな田舎町と東京の間をせわしなく行き来している老いたカップルの生きざまがよみとれるはずです。

●いまは、朝の6時46分。この続きは夜また綴ります。室温18度。涼し過ぎる。セーターを着たい季節になった。

●そと猫のチビがこない。カミサンは心配している。
「どうかしちゃったのかしら」                          
「雨ばかりふっていたから、外にだしてもらえないんじゃないの」
「まちがいなく、飼いネコよね」
「それはもう。去勢してあったじゃないか」
「そうですよね」
それから二人で顔を見合わせてキャハハと笑いころげた。これには愉快な思い出がある。
ムックというオス猫を飼っていた。初代の飼い猫、ミユの生んだ子だ。年頃になったのでカミサンが獣医さんに電話した。
「どんな症状ですか」
「あの……オス猫が……一年たったので、年頃になったので……」
そこでカミサンは言葉に詰まった。
「もしもし、どうしたのですか」
「たま、たまとってください」
貞淑でまだまだ若かったカミサンが電話口で赤面していた。去勢ということばが、とっさに思い浮かばなかったのだ。
的確な、そのものずばりのことばだ。よくぞ思いついたとわたしは感心した。

曼珠沙華

2007-10-01 20:19:25 | Weblog
10月1日 月曜日 曇り
●いつも東武電車で上京するときに、車窓から外を眺める。金崎の河原がいいなぁと思う。人口の、コンクリートで固めた土手がないのがいい。むかしながらの鄙びた河原の風景には風情がある。

●畦道の彼岸花が赤い列をつくって群生していた。田は、稲が実って黄金色。赤い彼岸花で区画がきわだっている。                            

●彼岸花が好きになったのはつい最近だ。母が彼岸花と猿すべりがきらいだった。お墓の花と木だといって、忌み嫌っていた。なにか悲しい思い出があったのだろう。どうも、子供は女親からものごとの嗜好を受け継ぐようだ。お墓の花だからといわれれば、ああそうかと納得してしまう。彼岸花の燃え立つような赤の美しさ教えてくれたのは、カミサンだ。だからわたしは彼岸花とはいわない。曼珠沙華という。花言葉がじつにいい。

● 法華経からの出典といわれるマンジュシャゲという名前。「思うはあなたひとり」という花言葉。いいなぁ。じつにいい。この秋の彼岸のころになると、カミサンと亡き母のことをよく話し合う。愛情の豊かな、物静かな母だった。その母が、彼岸花と猿すべりをなぜあれほど嫌ったのか聞いておけばよかった。