田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

滝尾古道 7

2007-10-16 11:16:12 | Weblog
10月15日 月曜日 晴れ
●写真は三本杉。弘法大師が修行をしたとき、田心姫命が現われた場所だそうです。みごとな杉の巨木が御神木として崇められています。疲れてやや前かがみにここまで歩いてきたわたしは、空に向って立つ神なる木にならって背筋をのばした。
「人生いろいろ、これからがおれの真骨頂だ」
あまりそりかえりすぎた。とくいの、インナバウアも決め損ねた。よろけてしまった。
田心姫命ならぬカミサンが「あぶないわよ」と微苦笑。


滝尾古道 6

2007-10-16 10:48:20 | Weblog
10月15日 月曜日 晴れ
●写真は北野神社。学問の神様、菅原道真が祀ってある。神社に詣でた帰りに「手掛石」がある。ここの石に手を掛けて祈願すると願いがかなうという信仰があるそうです。道道真公を祀った神社だから、字の上達を願うのが筋だろうが、わたしはいい小説がかけるように願った。「手掛石」も撮ったのだが、ムサクルシイGGが写っているのでカミサンから掲載許可がとれなかった。


滝尾古道 5

2007-10-14 23:56:45 | Weblog
10月14日
●楊柳観音を祀った「観音堂」別名は「将棋っ駒」あるいは「香車堂」。妊婦のかたはぜひ参拝してください。因縁故事来歴はインターネットでどうぞ。

●妊婦のかたはぜひ、と書いてカミサンにたしなめられた。滝尾古道と並行して車道があります。それでも参拝が無理な方は代理のひとでも可。将棋の駒をお持ち帰りになり、自宅の神棚にかざり、安産の後に返す。そうした習慣があるそうです 香車は直進する駒なのでそれにちなんだ安産信仰なのでしょう。

滝尾古道 3

2007-10-14 23:38:55 | Weblog
10月14日 日曜日 晴れ
●滝尾古道から二荒神社方面に道をとった。そこでであった地蔵だ。自作を一句思い出した。日光は芭蕉翁にもたいへん所縁のある地だ。少し恥ずかしいが載せて置く。

野仏や首欠けてなお背に野分

●まだ、日光の滝尾古道、憾満ヶ淵を散策した興奮が冷めない。このあたりは、月末ごろは紅葉も観られるだろう。こんどは、裏見の滝方面にも足をのばしたい。

滝尾古道 2

2007-10-14 11:00:46 | Weblog
10月13日
●同一日付で写真を何枚も入れる方法がわかりません。分散して載せることになりました。神橋の隣の「日光橋」を渡ってすぐ向かいにこの道標が見えます。ここから入るのが一番わかりやすいですよ。では古道散策をおたのしみください。

日光 憾満ケ淵  1

2007-10-14 00:59:07 | Weblog
10月13日 土曜日 晴れ
●今日は一日家にいて過ごした。日光の興奮が冷めず、再訪をカミサンと誓いあった。カミサンは写真のプリントと整理で忙しい。

●「どこがいちばんよかった」
「憾満ヶ淵」
わたしの意外な答えにカミサンが振り返る。

●苔生した石畳。苔生した石垣。苔生した石像群。苔生した杉の大木。老木の根元のボッカリと空いた穴の奥まで苔生していた。そして漆塗りの剥げかけた建物の古びた感じもすばらしかった。

●帰路に回った憾満ヶ淵。慈雲寺の化け地蔵もおもしろかった。カミサンはなんども数えていたが、そのつど数があわないと不思議がっていた。

●わたしは、あれが霊庇閣なのだろうと思うのだが、流れに面した東屋のような建物で外人が読書をしているのに気づいていた。坐禅をくんでいるような清々しい姿勢で本を読んでいた。もちろん横文字だが、それがなぜか仏典のようにわたしは思い込んでしまった。

●眼下を大谷川が巨岩を噛み、白い波頭を逆立て滔々と流れていた。その音すら遠のいてしまった。修行僧の坐像のようだった。懸命に日本の美を、仏の道を体感しようとしている。こういう、観光もあるのだ。感心した。

●精神の修養のために、自然ととけあうような小さな旅にすぐにでもでたい。
ストレス解消のため。神社仏閣を見てたのしむため。だけではなく、自然と対峙しながら、自然と融合するような修行をするこころでまた日光を歩きたい。

裏日光観光案内 滝尾古道 1

2007-10-12 22:40:29 | Weblog
10月12日 金曜日 晴れ
●早朝4時に起床した。昨日来た子猫のことが気になって外灯をつけて、外猫用の皿を見るために玄関をそっと開けた。ひとつまみほどのエサはそのまま残っていた。外猫のチビもあの子猫もきていなかった。よかったな、捨て猫でも、迷子になったのでもないようだ。ご近所で新しく猫を飼った家がどうやらあるらしい。そのうちまた遊びにくるだろう。

●無洗米を二合ほど炊く。お腹が空いて待ち切れず、バナナ一本とビスケットを食べる。これだから太ってしまうのだよな。昨日息子よりIちゃんが体調をくずしているので祭りには帰省できないとの連絡がはいる。いますこし近ければお手伝いにいってあげるのにね。とカミサンは残念がる。

●さて今日は前から計画していた、日光の行者道を歩く日だ。東武電車で30分の距離に世界遺産の街があるのに訪れないのはもったいない。わたしは、60年ほど前、高校生のときに、英会話の勉強をするために、毎週東照宮に通い詰めた。おおらかな時代だったので、Y新聞の記者が頼みこんでパスを発行してもらった。拝観料はとられなかった。ありがたかった。回想はこのへんで、さあウォーキングにいきましょう。                                       

●インターネットでウォーキングin日光を調べておいた。できるだけ細かく何枚もプリントを持参するといいと思う。それでも、行者道(滝尾古道)を見つけるのには苦労した。

●修行者の道、行者道といろいろ呼び方はあるがこの滝尾古道はあまり訪れるひとはいない。まず、神橋の隣にかかっている日光橋を渡る。橋のたもとに天海僧正の銅像がある。東武日光駅から真っすぐここまで歩いて30ぷん。橋をわたり、道路を横断すると石段がある。古びた道標の石碑が立っいる。これを決して見落とさないように。途中で道をききたくても案内所はありません。

●入口さえ分かればこっちのものだ。史跡探勝路と書かれた道標に従って山内の趣のある道を歩くこと老人の足で20ぷん、いよいよ古道にでる。いろいろなルートがあるがこの道から歩きだすのがいちばん楽しい。ほとんど人が歩いていない。表の日光とは想像もつかない静謐さがある。それこそ、誰にも教えたくはない秘境中の秘境の雰囲気をただよわせている。

●ごつごつした石畳が延々とつづく。そして、この山岳修行者の歩んだ古い路がわたしたちのためだけにあるというように、つづき、人の気配がない。苔生した石の道を歩きながら前調べしてきた通り、観音堂から白糸の滝、子種石まで拝観する。ここまで、やはり30ぷん。霊場というだけあって身のひきしまるような感動があった。石像も石垣も老杉の太い幹まですべて青々とした苔に覆われているのが印象にのこった。勝道上人とその弟子たちの浄衣姿を幻視して励ましとし、歩いた。ただひたすら歩いた。こころが洗われる。

●空地の石に腰かけて持参のおにぎりを食べた。うまかった。カミサンはこれまでに撮ってきた写真を点検している。「また、月末頃紅葉が始まったらきましょうよ」と興奮している。「ああ、家の庭みたいなものだ。一時間足らずて゛、こんなすばらしいところにこられるのだ」

●帰路、「大小べんきんぜいの碑」の付近から右に曲がる。二荒山神社方面に道をとる。ここも、石畳の道がつづく。あまり紹介されていない道だがぜったいにこの道を歩いてもらいたい。川音を聴きながら。鳥のさえずる声をききながら二荒神社や大猷廟にでた。人がごったかえしている。いままでの静寂が別世界に思える。

●興奮冷めやらず、こういうときのわたしとカミサンの癖だがさらに「憾満ヶ淵」から「お化け地蔵」までいくことにした。いろは坂の方角へ大通りを20ぷん。日光植物園の裏側です。

●憾満ヶ淵のことは折を見てブログに載せます。やはりすばらしかったです。写真もたくさん撮りました。カミサンは疲れて早く休みました。明日あたりからシリーズで今日の成果がブログを飾るはずです。

●本日の歩行数。24、512歩。これから風呂に入り疲れを癒します。おやすみなさい。

●写真は仏岩の基部の石像群。

●滝尾古道入口写真は明日掲載。

死んでいたN

2007-10-11 17:19:07 | Weblog
10月11日 木曜日 晴れ
●「ぼけちゃか、ぼけちゃか、ぼけちゃっちゃ」
わたしは酔うとよくわけのわからない言葉を口ずさむ癖がある。

●家の横の側溝を市で修復してくれることになった。60数年会っていなかった友だちが土建屋さんになっていた。挨拶が済んだ後で聞いた。
「Nと親戚だったよね」
「いとこ同士だ」
「どうしてる」
「死んじゃったべな」
「いつごろで」驚いて、つい土地言葉になった。
「とっくだべな。もう7年くらいになっかな」

●そのころのクリスマスにNを訪ねた。そのときのことは、随筆に書いて「全作家」に発表してある。調べてみればいつであったか正確にわかる。あのあと、すぐになくなったことになるのだろう。このところ無性にNのことが気にかかりじつは訪ねていったばかりだった。引っ越してしまっていた。そう、おもっていたのだが……すでに泉下に移ったとはしらなかった。

●「いちばんやろう」Nが将棋盤をとりだした。わたしは将棋をやらない。わたしが勝負事はやらないのを彼はよく知っているはずだった。ぐびりとコップ酒を飲みほす。
「脳梗塞で倒れたんだ」足を引きずっていることのいいわけらしい。絵筆を持っていた手に、いまはペンキの刷毛をもっているんだ。寂しそうにつけくわえた。
「まあ飲めよ」わたしのグラスに鬼殺しのパックからなみなみと注いだ。

●「将棋しょう」
「絵は描かないのか」
「クレヨンで描く」
グラスを持った手で欄間を指す。なつかしい千手山の裏道らしい絵がはってあった。
「おれとおまえだ」
小道をいく少年が、彼の記憶の中のわたしだった。
「たのしかつたな」
「ああ、たのしかった」そう返事をした。もっとはやく、会いにくればよかつた。

●「将棋やろうよ」
将棋くらい覚えておけばよかった。わたしは、初めて駒を指先に挟みでたらめにうちだした。彼にはなにもわからなくなっていた。わたしは、涙をながしながら将棋の駒をうごかしていた。そのうち、Nは畳に横になった。うたたねをしてしまった。

●ボケる。痴ほう症。認知症。といろいろ表現はかわってきた。でもわたしには、晩年のNの寝姿だけがいつまでも脳裏に残るだろう。これからは、ぼけちゃかぼけちゃかと酔って歌うときいつもNよ、おまえと一緒だ。