畑沢で農作業に耕運機が使われ始めたのは、昭和30年代の前半だったような気がします。それまでは、人と牛が主体でした。田起こしは、人が三本鍬とか四本鍬とかを振るいました。代掻きは牛がマンガンという代掻き機を引っ張り、その牛を私が引っ張ります。父親は代掻き機を操ります。
ところが、エンジンが付いた耕運機が登場しました。一人で作業ができ、牛よりもかなり早く動き回ります。でも、耕運機はかなり高額で、当時でも30万円などと大人たちが話していたような気がします。テレビは白黒でも5、6万円でした。どちらも私の家では到底、無理なお話でした。耕運機を持っている人は、多くの人から代掻きを頼まれていました。次から次に頼まれていたようですので、それなりに収入もあったようですが、大変な重労働だったと思います。
いくら耕運機が高価でも、とうとう我が家も買わざるを得ない時代がやってきました。私は小学校4年生になっていました。ところで耕運機を主に扱うのは、私の役割です。今なら小学4年生が耕運機を操作するなどということは考えられません。実際、非力な私には荷が重かったようです。耕運機に振り回されることがしばしばでした。代掻きをやっていて、耕運機とともに千鳥川に転落したこともあります。その時に脛に耕運機の部品が突き刺さり、今でも傷跡が残っています。耕運機にトレーラーを付けて道路上を運転していました。完全な無免許運転です。でもそうしなければ、生活できないのですから、しょうがありません。
写真の耕運機は、3代目です。春先に自宅前の畑を耕運しました。このころは、私も十分な体力がありましたので、耕運機に舐められることはありません。耕運機の操作をいとも簡単にこなしていました。