-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

お城山の真下にありました。

2014-02-06 19:15:20 | 思い出

 畑沢出身者は、常盤小学校へ通学しました。畑沢と袖原は小学校の学区の中で最も遠い位置にあったようです。遠い所の小学生は、十分な距離を徒歩で通学しました。当然、健脚になります。畑沢出身者は、長距離走が強かったようです。例外的に、私は長距離走を苦手としていました。でも、還暦を過ぎた今でも年の割には、足の衰えがありません。これも畑沢出身だからでしょうか。あ、脇道に反れました。

 本題に戻ります。下の写真は昭和37年に小学校の正門前で撮影した記念写真です。プライバシーの問題がありますので、児童の顔が分からないようにしています。本当は、「かわいい良い子」です。そのままをお見せできないのが残念です。この中には、畑沢出身者が4人います。児童のすぐ後ろには、階段があります。なんの用だったか忘れましたが、私たちは小学校のグランドへ自転車で出かけ、その際にこの階段を自転車に乗ったままで降りてきました。当時の自転車は、大人用のがっしりとしたものです。サドルの位置も小学生には高すぎる位置にあります。それをものともしないで、最上段から下ってきたのです。完全なる無謀です。さすがの私も下っている時は、怖ろしい思いをしました。二度とこのようなことはしなくなりました。少しは学習する能力があったようです。

 階段の上には、グランドが広がっていました。グランドは中学校との兼用です。さらにグランドから校舎へ至る長い階段がありました。その階段を上って直ぐに児童用の通称「下駄箱」がある出入り口です。校舎のある同じ水平面には、小さなグランドもありました。毎日のラジオ体操は、この小さい方で行っていました。校舎の後ろに見える山は、通称「おしろやま」で正しくは「古城山」だそうです。野辺沢城の遺跡となっていて、ハッキリと台形状になっている姿が分かります。今は樹木が成長していて、山の形を見ることができません。

 古い小学校は、竜護寺の北側の丘に鉄筋コンクリートで移転新築されました。児童数は全学年で63人です。一つの学年は平均して10人ぐらいです。随分と減ったものです。当時は、1学年でも100人以上はいました。10分の1以下になったということでしょうか。