参道を60mほど進んだところは突き当りになっていて、四棟の社があります。その中で最も大きいのが、恐らく實相院かと思います。ところが、その社の入り口にはしめ縄のようなものが見えます。とすると、神社かなとも思いましたが、この境内にあるすべての社には平等にしめ縄があります。私の頭を遥かに超えた深い神秘な世界があるようです。そういえば、畑沢の熊野神社には御神体として仏像が祀られていました。明治以前の世界では、神も仏も仲が良くて所謂、神仏習合でした。歴史的な伝統を守る村々では、明治政府の神仏分離政策をものともせずに、堂々と神と仏を一緒に扱っています。こういう世界を私は好きです。こういう世界の方が、人間を大事にするような気がします。世界には様々な宗教がありますが、宗教の違いだけで人と人が争いを起こし、平気で殺戮しています。人間よりも宗教の方が大事なようです。これでは何のための宗教でしょうか。はっ、また偉そうに脱線しました。
まあ、そんなところで、一番大きな社を實相院と思いましたが、自信はありません。古殿の方々に聞けば直ぐに分かります。ところで、實相院はかなり由緒のある建物のようです。青井法善氏の「郷土史乃研究」によれば、野辺沢城主である野辺沢遠江守の姉が寛永年間(西暦1624~1644年)に開基したそうです。一方、菅藤貞次郎氏の「古城山史話」では、応永二年(西暦1395年)に實相院を大学介平満定が建て、寛永初期に野辺沢遠江守の姉が寛永初期(西暦1624~1634年)に再興したと見ています。難しいことは分かりませんが、とにかく野辺沢家とは深い縁があるようです。
次の大きい社と三番目に大きい社が並んで建っています。何を祀った社かは分かりません。
二つの社の前には大きな切り株がありました。表現に困るほどの大きさです。樹齢何百年も経った大樹があったようです。この木は、古殿の方々に深く愛されていたようです。伐採される前や伐採中の様子をブログで公開されていますので、それを御覧下さい。
一番小さな社です。その前には鳥居が建っています。鳥居があるのは、この社だけです。もしや、以前、古殿の祭の幟に書いてあった「正一位稲荷神社」とは、この社だったのでしょうか。