前回は畑沢へ福寿草を見に行きましたが、もう一つ大事なことを忘れているような気がしました。よく考えてみますと、それはマンサクでした。春一番に山に咲くのがマンサクで、土手に一番早く咲くのが福寿草です。これまで、しばしばマンサクの最盛期を逃してきましたので、今度はどうしても間に合わなければなりません。
平成29年4月2日(日)も快晴でした。畑沢に入ると、ある先輩がスタッドレスタイヤを外して夏タイヤに交換していました。車を止めて、畑沢の新役員をお聞きしました。今回は丁度、改選時期で、役員の交代がありました。副区長と会計には、私よりも若い世代の方が就くことになったそうです。実は、男の場合ですが、私の年代から三歳上の方までの4歳分の年代は誰も畑沢に残っていません。団塊の世代の終わり辺りから世の中の様子が変わり、長男でも畑沢に残らないことが珍しくでなくなってきたのです。この私も長男ですが、畑沢を離れて山形で暮らしています。それが良かったのか悪かったのかは分かりません。若い時の頭では結論を出すことができなくて、ずるずると畑沢から遠のく選択をしてしまいました。
少し前までは三歳上の方がおられたのですが、不幸にも事故で亡くなりました。そのために、役員が大きく若返ったようです。前の役員の方々から計算すると、6歳分のひらきがあります。
畑沢地区生涯学習推進センターに近づくと、県道を下ってくる自転車競技部のトレーニングと思われる二人と会いました。夏季なら何ら違和感がないのですが、周囲がまだ白い中でのこの姿には戸惑いました。この時期から頑張る熱心な高校生かと思います。山形県内の高等学校のうち、自転車競技部があるのは4校で、最上地区に2校、北村山地区に1校です。畑沢を通る県道は、自動車の通行が少ないので、自転車競技部の練習にはもってこいです。春から秋の土日には、このような光景がよく見られます。
急な斜面の山肌は斑(まだら)模様になっています。今から60年近く前に、この山の木が薪用として伐採されました。その年からは何十年もの間は、雪が積もると直ぐに雪崩が起き、春先にこのような斑模様にはなりませんでした。少々、伸びた程度の樹木では、重い雪に押し潰され、下に引っ張られて地面にひれ伏せられます。ようやく十分に成長して、雪をしっかりと受け止めて頑張れるようになりました。
その山に登ってマンサクを探しました。山の裾には全く見当たらないので、がっかりしていたのですが、上の方に目を揚げると、沢山、ありました。屏沢の入り口付近から中畑沢方向を見た写真です。
マンサクは小さな花です。少し拡大しました。
サービスでもっと拡大しました。これで2、3倍になっています。遠くから見ると、地味ーな感じですが、拡大すると中々、奇麗なものです。マンサクを撮影する時は、背景に工夫があります。
下の写真は、マンサクの木肌です。独特の模様が見られますので、他の樹木と区別できます。私はこの模様で、ヤマアカガエルの後脚を連想します。マンサクの幹は、根元から5、6本もの幹が伸びている武者立ちになっています。過去に伐採され証(あかし)です。