千鳥川と言われても畑沢の川を思い浮かべにくいのですが、しようがありせん。明治時代までは「畑沢川」だったのに、いつの間にか千鳥川になっていました。千鳥はいないのですが、私のように畑沢の飲ん兵衛が、千鳥足で歩いたのが悪かったのかもしれません。
さて、その千鳥川にも春が来ていました。昨日の投稿と同じ平成29年4月2日の様子です。下の写真において、千鳥川は左端の中央部から右端の下部に流れています。周囲一面がまだ白い世界です。
川は普段よりも増水しているのにもかかわらず、濁りは殆んどりません。私の子ども時代のこの季節の川は、もっと増水していて川底が見えないくらいに泥の濁りがありました。なのに、この様子は何なのでしょう。昔の濁りは何処から来ていたのでしょうか。増水で削られた川岸の土砂が濁り元だったのかもしれません。今はコンクリートブロックで護岸されていますので、川岸が削られることも少ないのかもしれません。それとも、増水そのものが大したことがなくって、川岸を削るエネルギーが小さいのかもしれません。昔の春の川は、大人でも流される怖さがありました。
春の川辺となれば、思い浮かべる植物はネコヤナギの蕾(つぼみ)です。そこで、一応、撮影してみましたが、私のカメラはバカチョンです。マクロモードに設定したのですが、勝手に背景にピントを合わせて、肝心のネコヤナギにはピントが合いませんでした。あーあ、一眼レフカメラがほしい。
ところで、この柳は果たしてネコヤナギでしょうか。私は全く責任を負いかねます。魚と飛行機以外は分かりません。川岸に生える潅木(かんぼく)性の柳の種類は、ネコヤナギの外にも複数種あるようですので、興味のある方は御自身でお調べください。「自己責任」で同定願います。どこかの国の大臣みたいな言い方をしてみました。
川岸に積もった雪は、樹々を川面の方向に引っ張ります。引っ張られているのは、アブラチャンというクスノキ科の木です。私が好んでカンジキの材料にする柔軟性のある木です。柔軟性があるからこそ、雪にも負けずに、耐えて耐えて耐え忍んで春を待ちます。柔軟性がある木が積雪地の優占種になれます。それは、雪国生まれの私の正体でもあります。なーんて恰好つけたいですね。でも、辛いことがあって潰(つぶ)れてしまえばお終いです。ナニクソ、潰れてたまるかで難局を乗り切ってきたつもりです。恰好なんか気にすることはないです。自分の生き方を通せばいいのではないでしょうか。
雪の中で耐えて耐え抜いたアブラチャンは、可憐な花を咲かせる蕾を膨らませていました。