令和4年6月1日に尾花沢市役所、宮沢地区並びに玉野地区での用事が順調に終わったので時間の余裕ができました。畑沢へ向かう途中、暫くぶりに県道29号線から北から六沢へ入りました。もう何年も通っていません。
六沢へ近づくと、左側に白い石造物が見えました。シルエットが石仏に見えましたので、恐らく不動明王かと思ったのですが、よく見ると一つの体から何本もの手が出ています。車を降りて確かめると腕は6本ありましたし、右わきに庚申供養塔がありましたので、「青面金剛象 しょうめんこんごうぞう」であることが分かりました。その台座には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)も刻まれています。丁寧な作りです。
これまで、青面金剛象は畑沢を始めとして細野地区、古殿地区などで何体か見たのですが、どの青面金剛象も江戸時代に造られた風化が著しい古ぼけた石仏でした。地元の凝灰岩や安山岩で造られて、黒っぽくなっています。ところが、この度の六沢の青面金剛象は白く輝いていて、全く風化している跡がありません。生まれたばかりのような神々しさがあります。
裏には「令和弐年八月吉祥」と刻まれています。まだ建てられてから2年も経っていません。真新しい訳です。
脇の石柱に説明がありました。個人名と番地がありましたので、プライバシーに配慮して写真は載せませんが、おおよそ次のような趣旨でした。
「近くに青面金剛象があったのですが、風化による損傷が著しかったので、少し場所を移動して新しく造って建てた」
とのことでした。
並んで立っている庚申供養塔は「天保三年」らしき文字が見えるのですが、光の当たり方が悪くて、はっきりと読み取ることができませんでした。干支も見えません。後日、時間帯を変えて確認しなければなりません。もしも、天保三年が正しければ、西暦1832年になります。青面金剛象も「庚申講」に関わる石仏です。約190年を隔てた二体の石仏が一緒に並んでいるのは、中々、貴重な光景です。
青面金剛象の道路を隔てた真正面に石屋さんがありました。もしや青面金剛を造られたのではないかとお聞きしたところ、案の定、そのとおりでした。六沢の石屋さんに関係する常盤中学校の親しかった先輩がいますので、つい先輩の話で長話をしてしまいました。
六沢には懐かしい同級生も大勢います。私と同じような魚好き、私の相撲のライバル、素晴らしい絵を描く、素晴らしく立派な書を書く、いつも成績優秀で真面目、若いのに人格者、道理を通す頑固者、特別元気な活動家等々。個性溢れる顔が浮かびます。
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