今時、グミと聞けば、お菓子を思い出すことと思います。今の私も似たようなものです。しかし半世紀前の私は違いました。グミと聞けば、畑沢の光景が浮かびました。
それは常盤小学校時代です。無雪期でかつ学校へ「留め置かれる時」を除けば、同級生と一緒に下校しました。「真っすぐに家に帰って宿題をする」ことはなかったので、通学路から反れて「田んぼの畔」や「山中の作業道」をさまよいました。これが少年時代の大きな財産です。
さて、川のほとりを「さまよい」ながら、常に満たされていないお腹の足しにするために、頬(ほお)ばる物がありました。それがグミです。学校からの帰り道、荒町を過ぎて松母という墓地を避けて千鳥川へ向かいます。特に目的はないのですが、「幼児は見たことがない物に興味を持つ」と同じです。そして、うまそうな物なら何でも試してみようともしました。無難なのは、スイバです。酸っぱい汁をジュウジュウと吸いました。桑の実なら最高ですが、川辺には殆どありません。そして御馳走なのがグミです。上手く熟した果実に「当たる」と、食べるだけ食べて、さらに上着やズボンのポケットに押し込みました。やがて潰れてポケットはグジュグジュと汚れました。
ところが思惑が「外れて」未熟な果実にもしばしば遭遇しました。
「苦い。ペッペッ」と唾と共に吐き出しますが、渋が舌にへばり付きます。散々な目に会いますが。それでも、今度こそ今度こそと挑戦は続けられました。
当時このグミは川岸の此処彼処(ここかしこ)にあったのですが、河川工事で川岸が大きく改変され、さらに水田も区画整理された際にグミはなくなりました。それが、再び私の前に現われました。果実はないのですが、新しい葉が展開し、花も咲いています。この葉を見ただけで、「苦い」思い出が舌に蘇ってきました。普通の葉と異なり、表面にどことなく白い粉を掛けたような雰囲気があます。苦さを強調しているかのようです。
苦い思い出は小学校3年生ぐらいまでで、それ以上になると農作業の手伝いをさせられるので、「真っすぐ」に帰宅しなければならなくなりました。
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