長男家族が先月の21日から昨日の7月8日まで18日間滞在し、元気な孫に翻弄された毎日でした。長男はマレーシア勤務となったために滅多に会えないのですが、幸いにも今回、日程をやりくりして孫の滞在時間を作ってくれました。当然、長男自身はたったの5日間だけで、13日間は長男の嫁さんと孫だけです。大変、思いやりがあるお嫁さんで、爺と婆に孝行を尽くしてくれました。人生の中でかけがえのない時間を過ごすことができました。今日、無事に飛行機に乗ったようですので、ブログを再開します。
さて、これまで大平山の大岩について、2013年7月12日には「大獅子岩伝説」として、同年11月12日には「大平山登山」として投稿しました。その中で私が見た岩を「烏帽子岩」と紹介しましたが、これが間違いでした。実は投稿してから1年ぐらい経った冬に、古瀬T氏と大平山(ほうざやま)を眺めていた時に、稜線に岩らしき物が見えました。その岩は私が以前に烏帽子岩と言っていたものです。それでも、自信がありませんでしたので、大先輩である同氏にその岩の名前を尋ねました。答えは「大獅子岩」でした。そこで真面(まとも)な人ならば、そのまま大獅子岩と思うのでしょうが、何の証拠もなくて自信がないにもかかわらず、鉄のように固い思い込みを得意とする私は、素直に大先輩の言葉を信じませんでした。
ところが、5月29日に細野地区から大平山(畑沢のほうずやま)へ登った時に、頂上から直ぐ見える場所の岩を「烏帽子岩」と教えて下さった細野地区の長老がいらっしゃいました。私が烏帽子岩と言っていた岩とは違いました。それを聞いた私の頭は暫しパニックになりましたが、古瀬T氏の言葉が浮かんできました。そして頂上から眺めている岩をじっくりと見ますと、これも烏帽子に似ています。私が思っていた岩も烏帽子と似ていると思っていたのですが、そもそも私が「イメージしていた烏帽子」がかなり実際とはかけ離れていたようです。
そこで、あらためて大平山の大岩の名前を紹介します。頂上近くにある大岩は「烏帽子岩」、そこから畑沢側へ下った宝沢山(ほうざやま)と桂葉(かつらぱ)との境の稜線上にある大岩が「大獅子岩」です。