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-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の硬質頁岩はこんな所に隠れていました。

2017-04-07 19:39:37 | 自然

 硬質頁岩とは、読んで字のとおりで、「硬い頁岩」のことです。などと分かったような分からない説明から入ってしまいました。「硬質頁岩」は、私における「馬鹿の一つ覚え」の一つです。畑沢の千鳥川や沢から流れてくる小川には、とても硬い石があります。畑沢の大抵の川の石は、「みそっかす石」と呼ばれているもので、脆(もろ)い砂岩のようです。そのために、千鳥川は上流域にありながらも、朧気川や丹生川のように大きな石がごろごろとした風景ではありません。一つ一つの石が小粒で、平べったい形をしています。ところが、それらの石の中に、たまに極めて硬い石に出会います。二つの硬い石をぶつけると、キーンキーンと金属音を発します。この硬い石が縄文時代に御先祖様が石器を作っていたそうです。石器と言えば、直ぐに黒曜石を思い浮かべますが、決して黒曜石だけでなく、畑沢にもあるこの硬い石が材料に使われていたそうです。このことを考古学に詳しい友人から教えられてから、私は「硬質頁岩」を連発しています。何十年もこんなことをやり続けて得意がっているのですから、無邪気を通り越して「馬鹿の何とか」と言われてもしょうがありません。

 ところで、「硬質」の意味は直ぐに分かると思いますので、「頁岩」についてインターネットで覚えたての知識をひけらかします。頁岩の「頁」は、本のページのことです。本を一枚一枚めくれるように石が剥がれやすいことから命名されたようです。元々は細かい泥が固まったもので、それが硬く固まったのが頁岩です。ただ硬質頁岩は、普通の頁岩のようには薄く剥がれません。その頁岩の中でも、特に硬く固まったのが硬質頁岩というわけです。硬くて剥がれるような性質は石器を作る時に重宝する性質です。鋭い刃物を造れるというわけです。

 上述のように、確かに畑沢から硬質頁岩は出て来るのですが、それが崖などで大きな岩となって露出している姿を見たことがありません。川にあるのですから何処からか出土しているはずです。しかも、あらゆる川で見られますので、発見は難しいものではないはずですが見つかりませんでした。畑沢の地質図を見ると、大平山(別名 ほうざ山)と立石山(たですやま)での流紋岩以外は、どこもかしこも凝灰岩です。どこを見ても「頁岩」らしきものは全くありません。しかし、硬質頁岩はどこかに潜んでいるはずです。

 

 普通、山は分厚い腐葉土で覆われていて、本来の地質を見ることができません。今回、重機で傷つけられた山の斜面の崖が顔を出していました。春先は草木の葉が出ていませんので土が丸出しです。下の写真は、ほぼ実物大です。細かい礫が沢山、入っていて、火山灰が凝固したもの、すなわち「凝灰岩」です。名前に「岩」が入っているものの、岩には程遠い脆さです。強く素手で押しただけで、ボロボロになってしまいます。これでは石仏を作るような石材にはなれません。同じ凝灰岩でも、栃木県の大谷石、山形県高畠町の高畠石、山形市山寺の岸壁などは硬く締まっています。畑沢の凝灰岩でも硬く締まったものは、ローデンなどの旧石切り場にあります。しかしこの写真の凝灰岩は脆過ぎますので、表面を覆っている腐葉土が重機などで剥ぎ取られたりすると、直ぐに斜面の崩壊を起こしやすいものと思われます。近年、山で伐採する際に、重機で強引に斜面を傷つけながら道を作るやり方が多くなっています。昨年の台風で地滑りが各地で起きた一因は、こんなところにあるような気がします。けっして、花崗岩が風化した真砂土(まさど)だけが、斜面崩壊するわけではありません。脆い凝灰岩も危ないと思います。

 

 さて、その脆い凝灰岩の中に、とんでもないものが入っていました。下の写真の中央にある丸い物体です。下の写真は実物の2分の1ぐらいです。触ってみましたらとても硬いものでした。硬質頁岩です。畑沢の硬質頁岩は、単体で大きな岩などを作らず、凝灰岩の中に紛れ込んでいました。頁岩は水成の堆積岩ですし、火山灰は火山からの噴出物です。全く成因が異なります。この二種類の物体は、同時に生まれたものではなくて、先ず硬質頁岩があって、そこで火山活動が生じて火山灰が降り積もったのでしょう。次に硬質頁岩と火山灰が入り混じる作用が起きたことになります。その作用とは、果たしてどんなものでしょう。聞きかじりの知識で、火砕流とか火山泥流とかの単語を出してみても、地球科学のベースがない私には手の出しようがありません。

 まあ、そんなことは分かりませんが、「畑沢の硬質頁岩は、凝灰岩の中に混じっている」ことだけは、分かりました。

 

 そう言えば、この脆い凝灰岩ではなくて、硬く締まった凝灰岩で作られた「背中炙り峠の湯殿山」にも硬質頁岩が混じっていたことを思い出しました。下の写真は背中炙り峠の石仏「湯殿山」の一部です。大部分が凝灰岩の中に、一角だけが硬質頁岩です。この石仏の中の硬質頁岩は、全く面取りがされていません。畑沢の川の中にある硬質頁岩は、総て面取りになっていますが、割れたばかりの硬質頁岩は本来、このように角ばったもののようです。当たり前の話ですね。

 ところで、背中炙り峠の湯殿山は、村山市との境にあるローデンという石切り場からの石材を用いたそうです。

 

 

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千鳥川のほとりも春が来ました。

2017-04-05 19:14:47 | 自然

 千鳥川と言われても畑沢の川を思い浮かべにくいのですが、しようがありせん。明治時代までは「畑沢川」だったのに、いつの間にか千鳥川になっていました。千鳥はいないのですが、私のように畑沢の飲ん兵衛が、千鳥足で歩いたのが悪かったのかもしれません。

 さて、その千鳥川にも春が来ていました。昨日の投稿と同じ平成29年4月2日の様子です。下の写真において、千鳥川は左端の中央部から右端の下部に流れています。周囲一面がまだ白い世界です。

 

 川は普段よりも増水しているのにもかかわらず、濁りは殆んどりません。私の子ども時代のこの季節の川は、もっと増水していて川底が見えないくらいに泥の濁りがありました。なのに、この様子は何なのでしょう。昔の濁りは何処から来ていたのでしょうか。増水で削られた川岸の土砂が濁り元だったのかもしれません。今はコンクリートブロックで護岸されていますので、川岸が削られることも少ないのかもしれません。それとも、増水そのものが大したことがなくって、川岸を削るエネルギーが小さいのかもしれません。昔の春の川は、大人でも流される怖さがありました。

 

 春の川辺となれば、思い浮かべる植物はネコヤナギの蕾(つぼみ)です。そこで、一応、撮影してみましたが、私のカメラはバカチョンです。マクロモードに設定したのですが、勝手に背景にピントを合わせて、肝心のネコヤナギにはピントが合いませんでした。あーあ、一眼レフカメラがほしい。

 ところで、この柳は果たしてネコヤナギでしょうか。私は全く責任を負いかねます。魚と飛行機以外は分かりません。川岸に生える潅木(かんぼく)性の柳の種類は、ネコヤナギの外にも複数種あるようですので、興味のある方は御自身でお調べください。「自己責任」で同定願います。どこかの国の大臣みたいな言い方をしてみました。


 川岸に積もった雪は、樹々を川面の方向に引っ張ります。引っ張られているのは、アブラチャンというクスノキ科の木です。私が好んでカンジキの材料にする柔軟性のある木です。柔軟性があるからこそ、雪にも負けずに、耐えて耐えて耐え忍んで春を待ちます。柔軟性がある木が積雪地の優占種になれます。それは、雪国生まれの私の正体でもあります。なーんて恰好つけたいですね。でも、辛いことがあって潰(つぶ)れてしまえばお終いです。ナニクソ、潰れてたまるかで難局を乗り切ってきたつもりです。恰好なんか気にすることはないです。自分の生き方を通せばいいのではないでしょうか。

 

 雪の中で耐えて耐え抜いたアブラチャンは、可憐な花を咲かせる蕾を膨らませていました。

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マンサクを見に行きました。

2017-04-04 17:22:28 | 自然

 前回は畑沢へ福寿草を見に行きましたが、もう一つ大事なことを忘れているような気がしました。よく考えてみますと、それはマンサクでした。春一番に山に咲くのがマンサクで、土手に一番早く咲くのが福寿草です。これまで、しばしばマンサクの最盛期を逃してきましたので、今度はどうしても間に合わなければなりません。

 平成29年4月2日(日)も快晴でした。畑沢に入ると、ある先輩がスタッドレスタイヤを外して夏タイヤに交換していました。車を止めて、畑沢の新役員をお聞きしました。今回は丁度、改選時期で、役員の交代がありました。副区長と会計には、私よりも若い世代の方が就くことになったそうです。実は、男の場合ですが、私の年代から三歳上の方までの4歳分の年代は誰も畑沢に残っていません。団塊の世代の終わり辺りから世の中の様子が変わり、長男でも畑沢に残らないことが珍しくでなくなってきたのです。この私も長男ですが、畑沢を離れて山形で暮らしています。それが良かったのか悪かったのかは分かりません。若い時の頭では結論を出すことができなくて、ずるずると畑沢から遠のく選択をしてしまいました。

 少し前までは三歳上の方がおられたのですが、不幸にも事故で亡くなりました。そのために、役員が大きく若返ったようです。前の役員の方々から計算すると、6歳分のひらきがあります。


 畑沢地区生涯学習推進センターに近づくと、県道を下ってくる自転車競技部のトレーニングと思われる二人と会いました。夏季なら何ら違和感がないのですが、周囲がまだ白い中でのこの姿には戸惑いました。この時期から頑張る熱心な高校生かと思います。山形県内の高等学校のうち、自転車競技部があるのは4校で、最上地区に2校、北村山地区に1校です。畑沢を通る県道は、自動車の通行が少ないので、自転車競技部の練習にはもってこいです。春から秋の土日には、このような光景がよく見られます。

 急な斜面の山肌は斑(まだら)模様になっています。今から60年近く前に、この山の木が薪用として伐採されました。その年からは何十年もの間は、雪が積もると直ぐに雪崩が起き、春先にこのような斑模様にはなりませんでした。少々、伸びた程度の樹木では、重い雪に押し潰され、下に引っ張られて地面にひれ伏せられます。ようやく十分に成長して、雪をしっかりと受け止めて頑張れるようになりました。

 その山に登ってマンサクを探しました。山の裾には全く見当たらないので、がっかりしていたのですが、上の方に目を揚げると、沢山、ありました。屏沢の入り口付近から中畑沢方向を見た写真です。

 マンサクは小さな花です。少し拡大しました。

 サービスでもっと拡大しました。これで2、3倍になっています。遠くから見ると、地味ーな感じですが、拡大すると中々、奇麗なものです。マンサクを撮影する時は、背景に工夫があります。

 下の写真は、マンサクの木肌です。独特の模様が見られますので、他の樹木と区別できます。私はこの模様で、ヤマアカガエルの後脚を連想します。マンサクの幹は、根元から5、6本もの幹が伸びている武者立ちになっています。過去に伐採され証(あかし)です。

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昭和5年の常盤村の人口

2017-04-01 20:40:36 | 歴史

 尾花沢市史編纂委員会が昭和51年12月に発行した「市史資料第三輯 郷土調査」には、昭和5年に尾花沢小学校、宮沢小学校及び常盤小学校が「郷土調査と学校経営」とした調査内容が記載されています。

 そこで、この資料から昭和5年当時の常盤村の様子を見るにあたっては、当時の全国的な状況を把握していただきたいと思います。などと言いたいのですが、私の高校時代の日本史については、江戸時代あたりまでしか覚えがありません。高校3年3学期の日本史の授業では、しばしば机の板が私の頬にぴったりと張り付いていました。とても現代史が頭に入るわけがありません。そんな私ですが、ブログ投稿上、長女が使っていた古い日本史の本を出して、俄(にわ)か勉強をしました。

 その勉強の成果を御披露いたします。まず、昭和5年の5に25を足すと30になります。そうですね、昭和5年は西暦1930年です。さて、1920年頃までは第一次大戦などの不幸なことがありましたが、幸い日本は大きな戦禍の外にありました。そればかりか、米国と日本は、ヨーロッパの不幸を尻目にして、ぼろ儲けしていました。戦争が終わっても消費がまだ伸びていないのに、飽くなき利潤を追求して過剰生産が続き、1920年代はたびたびの恐慌に襲われたそうです。特に1929年は大恐慌となってしまい、世界の経済はどん底に落ちてしまいました。日本の輸出産業は大きな痛手を蒙り、農家に関係が深い生糸が暴落して、農家の困窮は著しかったそうです。しかも、このころの小作地率、48.1%の最高を記録したそうで、小作農家の生産物は、半分を地主によって持っていかれます。小作農家は二重三重に苦しめられ、身売りなどの悲惨な光景があったようです。

 皆さんは、私のように日本史を粗末に扱っていないでしょうから、こんなことは既に御承知でしょう。それでは、常盤村の人口を見てみましょう。当時の3校からの報告書では、集落のことを「」「聚落(しゅうらく)」と記述していましたが、ここでは「集落」と統一いたしました。また、「郷土調査」のグラフは、漢数字を用いていましたが算用数字に置き換え、列の順序も左右逆にしました。右端には1家族の人数を計算しました。

 幕末期の畑沢の戸数は、50戸と言われていましたので、昭和5年までの62年間にに6戸が増加しています。1家族の人数おおよそ人ですので、3世代が一緒に住んでいるようです。これまでのデータに昭和5年を加えて、江戸時代からの戸数の変化を下図に示しました。

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