京都駅の南に位置する教王護国寺。東寺真言宗の総本山で、通称『東寺』と呼ばれています。京都のシンボル的存在の五重塔がで~んとそびえています。平成6(1994)年12月には「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。
国宝に指定されている五重塔は、高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さです。現在の塔は5代目で、寛永21(1644)年、徳川家光の寄進で建てられました。
東寺の略歴を紹介しますね。延暦13(794)年の平安京造営に際し、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。その2年後、これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院として創建された。「西寺」はいまはもう存在していないのですが。その後、弘仁14(823)年になって、東寺は空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えていました。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門、金堂、講堂、食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままと考えられています。平安後期には一時期衰退しますが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになりました。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院(1181年-1252年)でした。中世以後の東寺は後宇多天皇、後醍醐天皇、足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えていました。文明18(1486)年の火災で主要堂塔のほとんどを失いましたが、豊臣家、徳川家などの援助により、金堂、五重塔などが再建され、今に至っています。
下の写真は、金堂です。国宝に指定されていて、現在の建物は慶長8(1603)年、豊臣秀頼の寄進によって再建したものです。内部には広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。中尊の像高2.9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代におけるものです。重要文化財に指定されています。
講堂側からみた金堂です。
下の写真は、講堂です。室町時代の延徳3(1491)年の再建で、国宝に指定されています。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されています。これらは、日本最古の本格的な密教彫像である。講堂の諸仏は空海没後の承和6(839)年に完成しているそうです。堂内中央には五仏(五智如来)、堂内向かって右には五大菩薩、向かって左には五大明王を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には四天王像を安置しています。これら21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は後世の補作に代わっており、残りの15体が国宝に指定されています。(五仏は重要文化財に指定)
下の写真は、御影堂(大師堂)です。南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂で、国宝に指定されています。この堂のある一画を「西院」といい、空海の住房跡とされています。康暦元(1379)年の火災による焼失後、その翌年に再建されたのが現存の建物です。ただし、堂の北半分は弘法大師像を安置するために明徳元(1390)年に増築されたものだそうです。堂の南側には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝)を安置していますが、秘仏で非公開です。日本の不動明王像としては最古の作例の1つだそうです。
◆『教王護国寺(東寺)』詳細データ
住 所:京都府京都市南区九条町1
宗 派:東寺真言宗総本山
本 尊:薬師如来
創建年:延暦15年(796年)
開 基:官立(桓武天皇)
国宝に指定されている五重塔は、高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さです。現在の塔は5代目で、寛永21(1644)年、徳川家光の寄進で建てられました。
東寺の略歴を紹介しますね。延暦13(794)年の平安京造営に際し、平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立が計画された。その2年後、これら2つの寺院は、それぞれ平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院として創建された。「西寺」はいまはもう存在していないのですが。その後、弘仁14(823)年になって、東寺は空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えていました。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、南大門、金堂、講堂、食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままと考えられています。平安後期には一時期衰退しますが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として、皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになりました。中でも空海に深く帰依したのは後白河法皇の皇女である宣陽門院(1181年-1252年)でした。中世以後の東寺は後宇多天皇、後醍醐天皇、足利尊氏など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えていました。文明18(1486)年の火災で主要堂塔のほとんどを失いましたが、豊臣家、徳川家などの援助により、金堂、五重塔などが再建され、今に至っています。
下の写真は、金堂です。国宝に指定されていて、現在の建物は慶長8(1603)年、豊臣秀頼の寄進によって再建したものです。内部には広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。中尊の像高2.9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代におけるものです。重要文化財に指定されています。
講堂側からみた金堂です。
下の写真は、講堂です。室町時代の延徳3(1491)年の再建で、国宝に指定されています。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されています。これらは、日本最古の本格的な密教彫像である。講堂の諸仏は空海没後の承和6(839)年に完成しているそうです。堂内中央には五仏(五智如来)、堂内向かって右には五大菩薩、向かって左には五大明王を安置するほか、堂内の東西端には梵天・帝釈天像、壇上四隅には四天王像を安置しています。これら21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は後世の補作に代わっており、残りの15体が国宝に指定されています。(五仏は重要文化財に指定)
下の写真は、御影堂(大師堂)です。南北朝時代に建てられた住宅風の仏堂で、国宝に指定されています。この堂のある一画を「西院」といい、空海の住房跡とされています。康暦元(1379)年の火災による焼失後、その翌年に再建されたのが現存の建物です。ただし、堂の北半分は弘法大師像を安置するために明徳元(1390)年に増築されたものだそうです。堂の南側には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝)を安置していますが、秘仏で非公開です。日本の不動明王像としては最古の作例の1つだそうです。
◆『教王護国寺(東寺)』詳細データ
住 所:京都府京都市南区九条町1
宗 派:東寺真言宗総本山
本 尊:薬師如来
創建年:延暦15年(796年)
開 基:官立(桓武天皇)