おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

幡多三崎2

2021年03月16日 22時50分48秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月30日)
 貝類を展示している林雅子さん設計の『海のギャラリー』です。日本の三宝と称されるテラマチダカラ、オトメダカラ、ニッポンダカラをはじめとして、1mm以下の小さなものから、1mを超える大きなものまで、約3000種の貝が展示されています。鉄筋コンクリート造2階建て、金属板葺きで、昭和41年(1966)に建築されています。平成17年(2005)に大規模改修されています。二枚貝が天に開く様なイメージでデザインされています。
 平成15年(2003)には、DOCOMOMO Japanにより、日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されています。平成31年(2019)には、国の有形文化財に登録されています。


海のギャラリー|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


海のギャラリー|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)

▶海のギャラリー
住所:高知県土佐清水市竜串23-8
開館時間:9時~16時(7・8月は~17時)
入館料:300円
休館日:木曜日
電話:0880-85-01347

▶幡多郡三崎村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡三崎村(はたぐんみさきむら)
(対象)幡多郡三崎村・奥猿野村・下猿野村・斧積村・爪白村
②町制施行|1947年|昭和22年11月3日|幡多郡三崎町(はたぐんみさきちょう)
③新設合併|1954年|昭和29年8月1日|土佐清水市(とさしみずし)
(対象)幡多郡清水町・下ノ加江町・三崎町・下川口町

幡多三崎1

2021年03月15日 23時13分49秒 | 自然風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月30日)
 土佐清水市の見残し海岸です。「見残し」という地名の由来は、弘法大師がこの地を見残した事から始まったと伝えられています。長い年月をかけて波や風で浸食された不可思議な造形が特色です。


見残し海岸|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


見残し海岸|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


見残し海岸|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


見残し海岸|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


見残し海岸|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)

▶見残し海岸
住所:高知県土佐清水市三崎

▶幡多郡三崎村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡三崎村(はたぐんみさきむら)
(対象)幡多郡三崎村・奥猿野村・下猿野村・斧積村・爪白村
②町制施行|1947年|昭和22年11月3日|幡多郡三崎町(はたぐんみさきちょう)
③新設合併|1954年|昭和29年8月1日|土佐清水市(とさしみずし)
(対象)幡多郡清水町・下ノ加江町・三崎町・下川口町

幡多後川1

2021年03月14日 21時36分01秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月30日)
 佐田の沈下橋(正式名:今成橋)は、四万十川に架かる沈下橋のうち、最下流に位置し、長さ約291mで最長の橋になります。生田斗真さんや桐谷健太さんらが出演した平成24年(2012)のドラマ「遅咲きのヒマワリ」でも登場したことから、観光シーズンには賑わっているようです。また、平成21年(2009)には、四万十川流域の景観が国の『重要文化的景観』に選定されています。訪問したのは2003年だったので、川で泳いでる人はいましたが、のどかな風景を独占できて、とても心地よかったのを思い出しました。


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


佐田の沈下橋|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十川(佐田の沈下橋から)|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)

▶佐田の沈下橋
住所:高知県四万十市佐田

▶幡多郡後川村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡後川村(はたぐんうしろがわむら)
(対象)幡多郡利岡村・若藤村・板ノ川村・鴨川村・敷地村・佐田村・岩田村・田野川村
②新設合併|1954年|昭和29年3月31日|中村市(なかむらし)
(対象)幡多郡中村町・下田町・東山村・蕨岡村・後川村・八束村・具同村・東中筋村・富山村・大川筋村・中筋村
③新設合併|2005年|平成17年4月10日|四万十市(しまんとし)
(対象)中村市・幡多郡西土佐村

幡多下田1

2021年03月13日 23時39分24秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月30日)
 中村市(現・四万十市)下田の「四万十の宿」に宿泊しました。平成14年(2002)7月に四万十河畔にてオープンしたリゾートタイプのホテルです。生態系との共存を考え、自然と一緒に呼吸することをコンセプトに設計されたそうです。丁度、オープン1年後の宿泊でした。結構、空間的に贅沢なつくりでゆっくりとさせていただきました。


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)


四万十の宿|2003年7月30日おさかな撮影(NIKON E5)

▶四万十の宿
住所:高知県四万十市下田3370
電話:0880-22-1600

▶幡多郡下田村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡下田村(はたぐんしもだ-)
(対象)幡多郡下田村・井沢村・竹島村・鍋島村
②町制施行|1927年|昭和2年11月3日|幡多郡下田町(はたぐんしもだちょう)
③新設合併|1954年|昭和29年3月31日|中村市(なかむらし)
(対象)幡多郡中村町・下田町・東山村・蕨岡村・後川村・八束村・具同村・東中筋村・富山村・大川筋村・中筋村
④新設合併|2005年|平成17年4月10日|四万十市(しまんとし)
(対象)中村市・幡多郡西土佐村

幡多⼊野1

2021年03月12日 23時24分59秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月29日)
 佐川町から中村市(現・四万十市)に向かう途中、幡多郡大方町(現・黒潮町)の「大方あかつき館」に立ち寄りました。2階部分が上林暁文学館となっています。上林暁(かんばやしあかつき)は、昭和期を代表する私小説作家の一人です。私小説とは、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさすそうで、心境小説とも呼ばれるようです。上林の代表作として、『薔薇盗人』『聖ヨハネ病院にて』『春の坂』『白い屋形船』『ブロンズの首』などがあるようですが、どれも読んだことないので、これ以上文章が書けなくて、すいません。


大方あかつき館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)

▶大方あかつき館
住所:高知県幡多郡黒潮町入野6931-3
開館時間:9時半~18時(土日は~17時)
料金:無料
休館日:木曜日・祝祭日
電話:0880-43-2110

▶幡多郡入野村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|幡多郡入野村(はたぐんいりのむら)
②新設合併|1943年|昭和18年4月29日|幡多郡大方村(はたぐんおおがた-)
(対象)幡多郡田ノ口村・入野村・七郷村
③町制施行|1956年|昭和31年9月1日|幡多郡大方町(はたぐんおおがたちょう)
④新設合併|2006年|平成18年3月20日|幡多郡黒潮町(はたぐんくろしおちょう)
(対象)幡多郡佐賀町・大方町

高岡斗賀野1

2021年03月11日 23時08分41秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月29日)
 佐川町上町地区の街歩きの後、高知県畜産試験場に向かいました。目的は『家畜学習館』の見学でした。平成10年度に公共建築賞・特別賞を受賞した建物です。軒の出を深くし自然光をふんだんに取り入れるよう計画された、高知県らしい建物でした。建物内は、畜産に関する農機具類や家畜の生態を学ぶことができるように実物やパネル等の資料を展示していました。


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


高知県畜産試験場 家畜学習館|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)

▶高知県畜産試験場
住所:高知県高岡郡佐川町中組1247
電話:0889-22-0044

▶高岡郡斗賀野村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|高岡郡斗賀野村(とがのむら)
(対象)高岡郡斗賀野村・永野村
②新設合併|1954年|昭和29年3月20日|高岡郡佐川町(たかおかぐんさかわちょう)第二次
(対象)高岡郡佐川町・斗賀野村・尾川村・黒岩村

高岡佐川1

2021年03月10日 23時24分47秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月29日)
 藩政時代の風情が今も残る高知県高岡郡佐川町の街歩きです。佐川町の中心部である上町地区は、城下町として栄え、商家を中心とした街でした。司牡丹酒造の酒蔵が建ち並ぶ風情のある町並みを楽しむことが出来ます。他にも酒造り商家の一つであった浜口家の屋敷も残っています。当日、写真を撮ってないですが、重要文化財の竹村家住宅・佐川文庫庫舎・名教館・牧野富太郎ふるさと館・青山文庫など見どころが沢山あります。山側の方へ歩いていくと臨済宗妙心寺派の寺院・青源寺があります。見学はしてませんが、土佐三大名園の一つにあげられる庭園があるそうです。


旧浜口家住宅|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


旧浜口家住宅と司牡丹酒造酒蔵|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


酒蔵の町並み|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


司牡丹酒造 酒ギャラリーほてい|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


青源寺|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)


青源寺|2003年7月29日おさかな撮影(NIKON E5)

▶上町周辺
住所:高知県高岡郡佐川町甲

▶高岡郡佐川村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|高岡郡佐川村(たかおかぐんさかわ-)
②町制施行|1900年|明治33年1月10日|高岡郡佐川町(たかおかぐんさかわちょう)第一次
③新設合併|1954年|昭和29年3月20日|高岡郡佐川町(たかおかぐんさかわちょう)第二次
(対象)高岡郡佐川町・斗賀野村・尾川村・黒岩村

東京麻布2

2021年03月09日 23時02分34秒 | 街の風景
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月25日)
 六本木ヒルズを見学した後、元麻布を散策してみました。東京の中心部に近い場所ではあるものの、大使館や公館があったりする、どことなく静かな町でした。比較的新しい家も外壁が板張りのものがあったりと、東京を感じさせない一面も垣間見ることができました。とはいっても、元麻布ヒルズ フォレストタワーなど現代的なタワーマンションも経ってたりします。西町インターナショナルスクール本部館は、明治期の政治家である松方正義の六男・松方正熊の邸宅で、ヴォーリズの設計による建物です。一般公開はされてないので、見学は外観だけになります。


西町インターナショナルスクール(旧松方正熊邸)|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布ヒルズフォレストテラスウエスト|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布ヒルズ フォレストタワー|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


元麻布2丁目附近の風景(狸坂)|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)

▶街歩き場所
住所:東京都港区元麻布

▶麻布区の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月2日|東京府麻布区(とうきょうふあざぶく)
①市制施行|1889年|明治22年5月1日|東京府東京市麻布区(とうきょうふとうきょうしあざぶく)
②都制施行|1943年|昭和18年7月1日|東京都麻布区(とうきょうとあざぶく)
③区設置 |1947年|昭和22年3月15日|東京都港区(とうきょうとみなとく)
(対象)東京都芝区・麻布区・赤坂区

東京麻布1

2021年03月08日 22時39分08秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月25日)
 東京都港区六本木を歩いてみました。この年の4月にオープンした『六本木ヒルズ』を見学するのが目的でした。高さ238mの高層オフィスビル(六本木ヒルズ森タワー)を中心に、集合住宅(六本木ヒルズレジデンス)、ホテル(グランドハイアット東京)、テレビ朝日本社社屋、映画館(TOHOシネマズ)などの文化施設や商業施設で構成されている複合商業施設です。こういった施設は四国では目にすることがないですから、あまりもの規模の大きさに圧倒されながら歩いた記憶が蘇ってきました。


巨大モニュメント:ママン|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズ森タワー|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズ森タワー|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズレジデンス|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズレジデンス|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズけやき坂テラス|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


六本木ヒルズ|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)


毛利庭園|2003年7月25日おさかな撮影(NIKON E5)

▶六本木ヒルズ
住所:東京都港区六本木6丁目10−1

▶麻布区の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月2日|東京府麻布区(とうきょうふあざぶく)
①市制施行|1889年|明治22年5月1日|東京府東京市麻布区(とうきょうふとうきょうしあざぶく)
②都制施行|1943年|昭和18年7月1日|東京都麻布区(とうきょうとあざぶく)
③区設置 |1947年|昭和22年3月15日|東京都港区(とうきょうとみなとく)
(対象)東京都芝区・麻布区・赤坂区

安佐広島4

2021年03月07日 22時00分47秒 | 建物
※おさかなの旅アーカイブ(2003年7月17日)
 広島平和記念資料館です。この日で多分三回目くらいの訪問だったと思います。偶然にも訪問客が少ない日だったようです。中島町の広島平和記念公園敷地内に位置し、当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」として昭和30年(1955)に開館しました。設計は丹下健三で、丹下氏の代表的作品の一つでもあります。昭和48~50年(1973-75)に第1回目の改修が行われ、劣化したコンクリートの補修及び窓ガラスの交換が行われています。平成3年(1991)に第2回目の改修が行われ「平和記念資料館(東館・西館)」と呼ばれるようになりました。当初からの建物を西館、記念館跡地に新たに建設されたものを東館と呼ぶようになり、両館を空中回廊で繋げました。平成25~28年(2013-16)にかけて、展示内容を含め大規模なリニューアルが行われています。下に掲載してる写真は2003年のものなので、リニューアル前のものになります。


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島平和記念資料館本館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

 平成10年(1998)に広島国際会議場と合わせて公共建築百選に指定。平成11年(1999)に広島ピースセンター(広島平和記念資料館および平和記念公園)として日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に指定。平成18年(2006)には資料館西館が、同じく広島市内の世界平和記念聖堂(村野藤吾設計)とともに、第二次世界大戦後の建築物としては初めて重要文化財に指定され、従来の「西館」の名称を「本館」と変更しています。

▶広島平和記念資料館
住所:広島県広島市中区中島町1-2
開館時間:8時半~18時(閉館時間は季節により変化)
入館料:200円(大人)
休館日:12月30日・31日
電話:082-241-4004(総合案内)

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)

安佐広島3

2021年03月06日 23時36分16秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月17日)
 広島城の後、ひろしま美術館へ向かいましたが、休館日してて入館出来ませんでした。開館は昭和53年(1978)で、広島銀行が創業100周年を記念して建てられたものです。印象派を中心としたフランス近代美術と、日本洋画や日本画などの日本近代美術コレクション、約300点を所蔵しているようです。建物の設計は日建設計(與謝野久)です。與謝野久さんは、与謝野晶子・鉄幹のお孫さんにあたります。


ひろしま美術館|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

以下は主な収蔵品リストになります。
『聖家族』フランチェスコ・クルラーディ 油彩キャンバス 17世紀前半
『墓地のアラブ人』ウジェーヌ・ドラクロワ 油彩、キャンバス 1838年
『刈り入れ』ジャン=フランソワ・ミレー パステル、カルトン 1866年-1867年
『サン・マメス』アルフレッド・シスレー 油彩、キャンバス 1885年
『ドービニーの庭』フィンセント・ファン・ゴッホ 油彩、キャンバス 1890年
『浴槽の女』エドガー・ドガ パステル、カルトン 1891年頃
『アリスティド・ブリュアン』アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック グワッシュ・油彩、紙・キャンバスで裏打ち 1893年
『坐る農夫』ポール・セザンヌ 油彩、キャンバス 1897年頃
『ポン・ヌフ』カミーユ・ピサロ 油彩、キャンバス 1902年
『要塞の眺め』 アンリ・ルソー 油彩、キャンバス 1909年
『青いブラウスの婦人像』アメデオ・モディリアーニ 油彩、キャンバス 1910年頃
『麦わら帽子の女』ピエール=オーギュスト・ルノワール 油彩、キャンバス 1915年
『四人の水浴する女』パブロ・ピカソ パステル・カルトン 1920年
『恋人たちと花束』マルク・シャガール グワッシュ、紙 1930年頃

▶ひろしま美術館
住所:広島市中区基町3-2 中央公園内
開館時間:9時~17時
入館料:600円(大人)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日休)、年末年始、臨時休館日
電話:082-223-2530

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)

安佐広島2

2021年03月05日 23時00分37秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月17日)
 原爆ドーム見学後、広島城へ移動。広島城訪問も初めてではなかったのですが、記録写真残したのはこの日が初でした。城跡は昭和28年(1953)に国の史跡に指定されています。天守は鉄筋コンクリート造で復元されたものです。
 広島城の築城主は毛利輝元になります。もともと毛利氏の居城は吉田郡山城(安芸高田市)で堅固な山城でした。吉田郡山城は要害であり、また山陰・山陽を結ぶ地にあたり、戦国の領土拡張期においては絶好な位置でした。毛利元就の孫である輝元の時代になると、豊臣秀吉によって天下は安定期に入り、それまでの防御を主目的とした城造りから、城を権力のシンボルとして領国の政務・商業の中心地とした城下町を形成する時代となり、太田川下流の三角州に城を築いたのが広島城になります。築城は天正17年(1589)に始まり天正19年(1591)入城。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで減封されて広島を去った毛利輝元に代わって福島正則が入城。福島家の時代に穴太衆によって城が整備され約1km四方の広大な城になりました。元和5年(1619)福島家が改易され、紀伊和歌山藩から浅野長晟が転封して入城し、以後明治まで浅野家の居城となっています。


広島城 天守閣|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)



広島城 天守閣|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

 江戸期の天守閣は、原子爆弾投下までは現存していました。当初は爆風で吹き飛ばされたとなっていましたが、調査の結果、建物の自重で自壊したことが判明されています。昭和28年に国の史跡に指定されたことから、天守再建の機運が高まり、昭和33年(1958)に現在の天守が再建されました。鉄筋コンクリート造ですが、外観に関しては江戸期の天守を忠実に再現しています。現在、再建天守の老朽化が進んできたことから、耐震改修を行うのか、それとも木造にて再建するのか、議論されているようです。個人的には木造再建が希望ですけど。

 表御門と平櫓は、平成元年(1989)から始められた城跡整備によって再建されています。


広島城 表御門・平櫓|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島城 平櫓・多聞櫓・太鼓櫓|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

▶広島城
住所:広島県広島市中区基町21−1
開館時間:天守閣:9時~18時|二の丸:9時~16時半
入城料:370円(天守閣)

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)

安佐広島1

2021年03月04日 23時59分15秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月17日)
 午後からのイベントに参加するため朝から広島市内に入り町歩きしてみました。原爆ドームからスタートしてみました。見学するのは初めてではありませんでしたが、記録写真残したのは、この日が最初でした。広島県物産陳列館として、大正4年4月5日(1915)に開館しています。大正10年(1921)に広島県立商品陳列所と改称し、昭和8年(1933)に広島県産業奨励館に改称され、昭和20年8月6日(1945)に投下された原子爆弾による被爆により破壊されましたが。中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存しています。
 平成4年(1992)に日本が世界遺産条約を受諾したことをきっかけに、広島市議会が「原爆ドームを国の世界遺産候補リストに登録するよう要望する」意見書を採択し、世界遺産登録に向けて動き出しました。平成7年3月(1995)に国の史跡に指定されたことにより、日本国政府が原爆ドームを世界遺産に推薦しました。平成8年12月(1996)にメキシコのメリダ市で開催された世界遺産委員会会合にて文化遺産として世界遺産に登録されました。


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

 単なる戦争遺跡というだけでなく、核兵器による破壊の悲惨さ、人類全体への警鐘といったメッセージ性のある遺産という性格を持つため、保存に際しては「可能な限り、破壊された当時の状態を保つ」という基本理念を持っています。そういったことから、鉄骨による補強と樹脂注入による形状維持・保全が主であり、崩落や落下の危険性のある箇所はそのたびに取り除かれているのが現状です。大きな自然災害が発生した時に、崩壊の危険性をはらんだままの保全なので、いつまでこの状態を保てるのか大きな問題を抱えた建物でもあります。

▶原爆ドーム
住所:広島県広島市中区大手町1−10

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)

古市・金屋白壁の町並み(柳井市)と岩国・錦帯橋【2003年】

2021年03月03日 23時41分55秒 | 街の風景
※おさかなの旅アーカイブ(2003年6月15日)です。
 下関市からの帰り、柳井市の古市・金屋伝統的建造物群保存地区と岩国市の錦帯橋に立ち寄りました。両地ともこの日が初の訪問でした。
 古市・金屋伝統的建造物群保存地区は、江戸期の商家の町並みが残っていて、白壁の蔵造りの建物が200mに渡って建ち並び、金魚の形をした提灯がぶら下がる独特な雰囲気を醸し出していました。


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


古市・金屋白壁の町並み 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


商家博物館むろやの園 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


佐川醤油店 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5


 柳井市の古市・金屋白壁の町並み散策後、岩国市に移動し錦帯橋に立ち寄りました。この日までは写真でしか見てなかったのですが、初めて目にしたとき、凄い迫力にびっくりしたものでした。現在の木造橋は、昭和28年(1953)に再建されたものになります。


錦帯橋 2003年6月15日 カメラ:NIKON E5

下関市笹山町・豊前田町の風景【2003年】

2021年03月02日 23時56分21秒 | 街の風景
 2003年に下関市で会議があり、休憩時間に30分ほど街歩きした際に撮影したものです。歩いたのは、笹山町と豊前田町あたりです。



下関市豊前田町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000

 銭湯の煙突がいい感じの風景だったのですが、googlemapのストリートビューで確認してみたら、今は駐車場になってました。

下の写真は、笹山町・豊前田町の風景です。こちらは今も残ってるようです。


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市豊前田町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000


下関市笹山町の風景 2003年6月14日 カメラ:NIKON E5000