私も酷い環境に育ったが、私の恩師も相当な家庭で育ったようだ。
各物理が専門の彼は、父親がなぐれもの(チンピラの意味)だったので、仕事をセずに博打を打ってばかりだったので、借金がひどかったらしい。
この辺は、ビート武氏の「たけしくん、ハイ!」と殆んど同じである。
ただ、目のちっちゃい鼻の大きなメガネの男の子が、ヤクザと似たような(ウチの母方の一族と似たような)奴らと対応していたらしい。
この母親が鉄火肌で、高島礼子さんを勝手にイメージしていたが、まぁ間違いはないみたいだ。
そんな母親が「払え!」と凄まれても「無いものはない!」と返す日々が続いたんだよぉ〜。と笑っていうのだ。
ああ、内はまだマシか?いや同族の攻撃の方が酷いよな?と思ったものである。
それが物理の理屈を色々言う正義派の、ちょっとイデオロギーは左翼系?でも軍事のネタは宮崎駿と同じようなミリタリーマニアだった。
思えば、あの時代が一番幸せだった。
女っ毛はないが、本当に話が遭う人間ばかりだった。
まぁ学部に戻ると異星人だけど。
何か工学部って違うよなぁ〜俺?と思う日々だったのだが、実は私は、その核物理の先生の影響を受けて、物理の方に興味を持った。
ちょうど、この頃、テキサスインスツルメンツ提供で「相対性理論下の宇宙」という2時間の番組があり録画していた。
この時に、色々あったのだが、実は宇宙理論物理学は今のそれと、大して進化はない。
少なくとも力の問題に関して言えば「電弱力理論」で止まっている。
物理学の4力と言うものがある。
重力・電磁力・核内の弱い相互力、核内の強い相互力である。
この内最初の重力以外は理論的に統一できたのである。
1985年の頃である。
そんで昨年ヒッグス粒子(重さを与えるゲージ粒子)の発見である。
と言うより正確に言うと「ヒッグス粒子と思われる粒子がいるからこそ発生する理論値との違いのカーブが再現された」のである。
この辺は、ここが専門の筈の竹内薫が言っている事が意味が分からないのである。
こいつは「ヒッグス粒子が発見されましたね」とか「ヒッグス粒子の存在する形跡が発見されましたね」と言うが、それほど明確に出ている訳でもない。
この辺は、昔の化学の教科書を見ていない人は分からないだろう。
昔の化学の教科書の最後のページの見開きは周期律表だった。
その原子番号は、当然変わらないが質量数が毎年変わっていた。
確定されたと言うのは、私が大学に入った後ぐらいだろうか?
それほど、原子核の世界は計測が難しく、また最先端になればなるほど、データがメチャクチャばらつくのである。
三年ほど前に、筑波大学の先生が文科省の嫌がらせで解雇されて、その理由となった解析データを見せられて、元データに対して処理後のデータの違いに目を見張ったものである。
このデータ処理に依る、データのばらつきは、ある法則性を持っており、そのフィルターを通すと、ランダムに見えたデータが綺麗に並ぶのである。
我々は最小二乗法ぐらいしかしないが、まぁ一応小細工の処理はするが、この高度な統計力学的処理には恐れ入った。
だからヒッグス粒子の存在を証明したデータというものも、まぁ、確かに真っ直ぐに変化するものじゃないとは分かるが、それでも、こんな弱いデータで強弁するかね?と思った。
私は、ヒッグス粒子の問題は、今後分析能力が上がれば、別の見方があるかも知れないと思っている。
そして、このヒッグス粒子の計測は何の為?と言う事を竹内薫は言わないのである。
まだ電弱力理論までしか出来ていない。
重力を計算に入れた「大統一力」って、チョンのエセ宗教みたいだけど。
この理論を作る為である。
そう電弱力理論から30年経っても、まだ重力の計算に入れ込みが出来ていないのである。
何故なのか?
それは重力が無限に届くからだ。
他の力は、例えば核の相互力は核の内部でしか働かない。
電磁力は電磁シールドで隔離できる。
だが重力は何を持ってしても遮断できない。
4つの力の中で唯一、作用する範囲が制限が出来ない力なのである。
そして1985年の理論物理学の嘘が、またバレた。
それはインフレーション宇宙後の空間の拡張速度が「減速膨張」と皆が口を揃えて言っていた。
だが、私は「誰が、それを明言する論拠を与えたのか?」と思っていた。
それは進撃の巨人の「壁の外にいる巨人の歩く外の世界の人類は死に絶えた」と言う伝承に対する疑問と同じである。
それが「相対性理論の批判」だった。
この辺はわからないだろうが、相対性理論で、空間を図る方法として測地線と言うものがあり、それは光を動かした路程を測ったものである。
実はアインシュタインは、ビッグバン理論より先に一般相対性理論を出していた。
彼の頭の中には「始まりもなければ終わりもない宇宙」であり無限の過去から無限の未来まで同じ宇宙と言うものである。
これは「謹厳なクリスチャン」としてのアインシュタインの考え方が大いに影響している。
だが、それは間違いだった。
と言うかクリスチャンなら旧約聖書の「創世記」を思い出すべきだったのだろう。
実際、ビッグバン理論は「創世記」を百億倍苛烈にしたようなものだった。
ただ、彼らは、状況を再現できないのに信じる癖がある。
それが有名な「ビッグクランチ論」の中の「時間逆転」のパラドックスである。
「宇宙が減速膨張していると、宇宙は減速して収縮して1点に戻る」と言う「神話」が存在して居たのである。
これは「対称性」を信じている考え方から出たのだろうが、或る意味進歩していたが、別の意味では、対称性を疑うものばかりだった。
それでも、対称性対称性と出てきたのが、超対称性粒子の存在で、今存在する粒子と同じものが存在するっていうのである。
所が、それは過去言われていた「反物質」とは違うのか?と言うと、今の理屈では「反物質は、宇宙が生まれた時に常物質とぶつかって対消滅して熱に変わって膨張を支えた。」と言うのである。
なら、今問題となっているダークマターの問題は?と言われると黙るのである。
今の宇宙論は「大統一力」もはっきりせず、反物質に対して常物質が多かった理屈もはっきりせず、ダークエネルギーの説明も出来ない。
これが今の物理学である。
そして一番問題なのは、観測技術は確実に上昇して、理論の間違いを点くのである。
それに大して理論物理学は、銀河間の相互力とか、宇宙が生まれた場合の初期条件を変えて、色々な宇宙の進歩を計算しているだけで、それがナカナカ今の宇宙論と当てはまらないのである。
何しろダークマターは、観測の3倍増し、ダークエネルギーは10倍増しである。
そして「減速膨張している筈」の宇宙は「加速膨張している」のである。
そこで、私は思った。
私の考え方がまだましであると。
それは実に奇妙だが今の状況を考えると実に納得される理論である。
「宇宙は、存在すると最低でも光速で膨張する性質を持っている」と言う空間物理学である。
つまり「ハッブルの法則」が前提として立てられたら相対性理論はどうなるか?である。
それは測地線ではなく、相対速度による位置の設定という観点である。
そう、相対性理論は、位置を固定のものとしていた。
だが相対性理論の究極の位置とは、無限時間後の未来に有限の位置を持つものである。
それは「全く同じ運動している存在」が「同じ位置」であり、その他の位置は相対速度が光速から、どの程度ずれているかで判断するのである。
しかし、そうなると困る事がある。今の観測は静止位置を基準としている。
だが、この理論では、実に象徴的問題が明らかになる。
それは「ハイゼンベルグの不確定性理論」である。
つまり「位置と速度は同時に測れない」と言うものだ。
だが「位置」つまり「構造としての位置」は、速度で決まるとなると「位置とは何であるか?」
その答えは「存在の確率」である。
つまり「量子で表される存在」が「空間で実物として存在させる」のは、「その存在を規定する構成方程式で、それが確定しなければ、位置は相対的なもの」として扱われるものである。
これは「シュレーディンガーの猫」である「猫が生きているか死んでいるか?」を判定するまでは「猫が生きているし死んでもいる状態」が続くのではない。
生きているか?と尋ねる為に計測用の電子なり、光子を飛ばすと、空間が構成され、白黒が判定されるのである。
つまり、猫も静止、他の状態も静止している状態では、存在は不安定なママ存在し、それを壊す状態が発生すると、直ちに、そちらの状態に遷移する。
この一番似ている現象は「過冷却」である。そして、空間物理学の考えは、冷却器の形状にもコメントする。
微分可能な状態から微分不可能な領域までの変動がどの程度なら、蒸気や着氷がありえるのか?
この回答を与えるのが、私の志向する「空間物理学」である。
だが発生理由はとんでもないものだった、だけど、結構形になりそうです。
ノーベル賞は無理だから、イグ・ノーベル賞を狙っています。
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