毎度馬鹿文科系大学出の経済学部という経済音痴の分際で偉そうに吹聴するクズを量産する所の出身の馬鹿が偉そうに経済を吹聴する。
これは池上彰ことハゲ嘘もホザく嘘であるが「両替商」を「銀行」と言いたげであった。この事自身が池上彰と森永卓郎が経済音痴である。特に江戸時代の経済を知らないと暴露しているに過ぎない。
「江戸の価格」と言う回では、遺憾なく嘘と白痴を吹聴しまくっていた。
両替商は基本的に両替が基本である。そんなに両替が必要なのか?と言えば、この時代、現金で金を景気良く貰っていたのは大工ぐらいで、棒手振り(つまり、一心太助のような、物売りの人)ぐらいで、基本的に現金を使って払うことは殆ど無かった。
そうそう森永卓郎の最初のウソというか見え透いた寝言が、金の含有量を減らして、小判を振り出した事を誉めそやしたが、それを一番最初にやったのはマイダス王である。ローマ帝国も順当な方法として使っていた。日本では、そのやり方は天保銭でどん詰まり、金の含有量を増やしても、通貨混乱が続き、結局、丸々損をしたと言う歴史的顛末を「知らないのに経済学者なのぉ~」と聞きたい聞きたい!(当麻沙耶モードです)
また、この金の純度問題は、当然経済を口にしているなら日経の深夜の経済番組で海外の経済指標が流されていた昔、必ず「今日のナポレオン金貨の価格」と言うのがあったのは見たことは無いのかなぁ~?ねぇ?聞きたい聞きたいなぁ~。
君のゼミは馬鹿を量産しているんだね。
さて今は風格さえ漂う糸井重里だが、昔は徳川埋蔵金を探していた。だが、色々江戸時代の経済を見ると、徳川の手持ちでは、当然経済の制御が出来ないことは分かっていた。私の過去のブログには、この手の話が満載だ。特に一番言うのは「二束三文」は安物を言うことではなく、逆の意味で「デフレ」を指していると言うことである。無論森永卓郎のゼミの馬鹿は知らない。
実際中国の宋王朝はデフレで社会混乱を招いた結果滅びたとも言われる。
経済音痴の分際で経済を吹聴する糞馬鹿の集団マスゴミは、例えば昔大平内閣の時にやろうとしたデノミ(デノミネーション)が馬鹿げた事であると分からない。何故か?日本の通貨の設定は、隣のトンスル帝国もそうなのだが、悪くない値なのである。何故か?
実は欧米各国の通貨は当時の金貨の価格が基礎となっているからだ。これは池上彰も知らない。1ドル、1マルク、1ポンド、1フランどれも金貨だったのだ。だから価格が大分似ていた。だが、それでは通過として日常の役に立たなかった。そこで補助通貨を作った。セント、ペニヒ、ペニー、ええとフランスは何だったっけ?この補助通貨の価格は円と大体同じである。なら、1ドル20セントなんかよりも120円の方が簡単では無いか?
元々円も日銀通貨博物館にある通り、兌換紙幣だった。だから1円金貨と言うモノはナイにしても、強く言えば金に替えてくれたのである。
さて、江戸時代に戻るが、江戸時代のちょっと前、中国に置ける通貨問題があって、中国の金や銀が日本に大量に入り込んだとの歴史がある。またNHKBSの歴史番組で応仁の乱があったが、この応仁の乱は実は通貨システムの復活を呼んだのである。
日野富子の通行税による経済支配は10世期末の通貨制度の完全な失敗の後ほぼ完全になくなった日本に通貨経済を復活させたのである。その辺は日銀通貨博物館をご覧ください。
実は、この頃に日本では最初の株式会社(宮大工の会社は、この800年ほど前からあった)が出来たのである。また日野富子とは別に「講」と言う互助組織が日本全般に広がっていて経済が発動した。この辺は「日本借金事情」と言う遡り日本史(NHK教育)にありますので、NHKに圧力をかけて再放送させましょう。
さて、経済の話で金の問題ばかりを言っていましたが、実は先ほども述べたように、江戸時代現金は殆ど表立って出ておらず、往々にして掛売り、つまり「ツケ」で月末、年末に回収するのが基本だった。だから鬼平犯科帳で「お代を」と金を払うのは、極めて異例なのである。一見さんは、基本的に食い逃げの可能性があるので嫌ったのだ。
そして、この掛売りに日本のマスゴミと政府・銀行、そして、落語家まで一色単になって、隠蔽しようとする歴史的事実がある。それは「借金の踏み倒し」である。
例えば昭和40年代までの時代劇には、毎度年末には、借金取りから逃げて除夜の鐘が鳴ったら「明けましてお目出度う」で「借金が帳消し」になる「不文律」があったのだ。
この事はほぼすべての人々が忘れている。内海芳江師匠と私ぐらいしか覚えていないだろう。
これに似た話は「物書き同心」の中にあった。これは極めて異例である。
当然辛抱しない嘘つき痔瘻は大声で「そんな事はありません!」と騒ぐだろう。所詮は「嘘をホザいて騙す蛆虫」だ。そして経済的感覚が優れているとホザく低能の集団関西蛆虫のヒーローと来たもんだ。経済のケの字も知らない馬鹿の集まりめ。
さて、番組の中にもあったが、色々な仕事が江戸時代には発生している。これらは極めて経済の方法論の優れていた為に発生した。
それは「もったいない」と「合理的」と「未練がましい」と「つましい」と言う想念の成せる技だろう。
それを支えたのは西の儲けの大関、両替商?違う違う。西の大関は「札差し」である。両替商の儲けなんぞ屁みたいなモノで「札差し」は莫大な利益を上げていた。はっきり言えば今のマネー経済の手本である日本の上方の商人の知恵と竹中平蔵以外の経済学者が、特に欧米の竹中平蔵よりはるかに高名な先生が誉めそやす知恵は「米券の転売によるマネー増殖」つまり「米バブル」なのである。
また、この米バブルで一番の被害者は、一番のお得意さん「大名」なのである。大名が一様に借金で首が回らなかったのは、特権的な免許を幕府が与えた「札差し」からのものである。
ここまで来ると分かるだろう。経済学的にと吹聴する糞馬鹿の馬鹿文科系大学出の経済学部の馬鹿が「経済的に馬鹿な政策」と呼ばれるモノは、極めて「当たり前」である。何故なら、この「莫大な利益を生み出す免許」をほぼ「タダ同然」で与えていた幕府なのである。そして、元手が殆ど0でボロ儲けなのである。
特政令なんぞ10年に1回やってきても「ボロ儲け」は変わらないのである。
あれ?森永卓郎くんのゼミの経済音痴グループはどうしている?知っていた?
あれ?知らないのに幕府批判?大笑い!
例えば「何時の時代も金を右から左に回す人間が儲かる」とホザくが、これも認可制であり、顔のつながりがあってのものだった。
大体両替商の所での話も寸足らずだ。
両替商の為替機能を吹聴していたが、まず赤点。
両替商の基本は手形の割引、両替、ついで為替である。
両替とは?それは江戸時代までの通貨は、どこの通貨も扱った。今も古銭が残っているが、鋳替えをしなかったからである。でないとナポレオン金貨の様に鋳替えをして無くなっている。上杉謙信、武田信玄の振り出した金貨は、特に信玄の太鼓判と言う印鑑ではなく小判(金貨)として価値があった。それを取り扱ったのである。
また、この頃古い錆びた銭は1/4の価値で鐚銭として引き取られた。それを引き取るのも両替商の仕事である。また甲州金・銀などのように、秤量貨幣があったので、これを銭(銅貨)に替えたのも両替商の仕事であった。
また岡場所の遊びは現金支払いが基本。払わないと付け馬が付いて払うまで付いて回る。
更には江戸と上方の支払いを云々と馬鹿の権化が!
実は、江戸と上方の支払いは内部決済で行われた。つまり現金が動くことは殆どなく、証文の売り買いで江戸と上方はおろか、全ての大名小名との国関係の取引は決済されていた。そして、その差額が現金で動いた。これを行ったのが年間3回往復する「三度便」である。
これは当時の公式郵便システムで唯一のモノだ。この三度便の人足が被っていたのが「三度傘」である。元々渡世人の為の傘ではなかったのだ。
当然馬鹿文科系大学出の馬鹿は知らないよね!
また、売買は両替商がやっていたように吹聴しているね。さすが経済音痴歴史音痴だ。
実は業界と言う言葉は、この時代に発達した。それが「座」である。銀座は「銀」を扱う座で「銭座」は「銭」(銅貨)を扱う座。である。この銭は基本的に一般決済用の通貨であり、これは室町時代からの習わしである。龍馬伝でも岩崎弥太郎が材木が売れて儲かったと持っていた金は穴あき銭に紐を通したものがあった。
基本的に両替商は両替の業界であり、現金が必要な急場の場合、約束手形の決済前に手形を割り引く事があり、その時が両替商の出番である。その場合も証文の裏書をみて、それを座の関係者と確認して値段を出した。
この様なシステムがあったと知らないで日本の経済学部の教授いや講師すら名乗れないだろう。
竹中平蔵なんか全く知らないで教授だぞ!慶応は、経済音痴の詐欺師の量産工場!
文句があるなら学識で反論しろ!経済音痴集団。