〇朝から夕方まで予定の会議と作業だったので夕方のニュースをビットワールドの裏で何本か留守録しておいたのに、特番のせいかことごとく録画されてない。番組録画だとデジタル波まで忖度してるのか。こういう時は日時指定録画で固めとかないといかんのか。と思いつつ帰ってからニュースを見てもまだ大本営色が抜けていないのを感じ
BGM:「森光子生誕100年放浪記の物語」(BSP 8/28 22:00~)
帝国劇場前の自撮り棒(!)の堂本光一さんを見ながら、webでChoose Life Project の、8月28日のライブ放送が21時から始まったのの第一部から第二部の望月衣塑子さんの話を聞いている。
この何年もの間の生理的な嫌悪感が素朴にある。「人の支配の国になってしまった」倫理観の崩壊した社会について、個人的な体験から喩えると、何十年か前の中学の校内暴力の頃のHRを破壊しつくすヤンキーの司会する学級会のような状態の国家が、消費増税後の不況と感染症禍に突入したみたいな感じ、という気分だ。ヤンキーがヤンキーのまま中高年になってDVをくりかえすようなもので、DV被害者のような人々が異様にヤンキーを英雄視したり、ある種の同一化なのか依存的になっていたりする。多少はおこぼれをもらえる奴らがおだててるだけで、ほとんどの人がカツアゲされタカられてるだけなのに、である。そして、絶対謝らず自分の間違いを認めないヤンキーが自分の都合で規則を破って勝手なことをするのを、「おかしい」「間違ってる」と注意した人の方が、いじめられたりするという。これは健全な普通の市民の社会の状態ではない。学校でいえば無法にヤンキーが教室を威圧的に牛耳り続けて教員も学校も当たらず触らずで機能しないような異常さである。自分の味わった、しらけきった校内暴力の頃がそうだった。この数年間、嫌なニュースを見聞きするたびに、非常にその頃の感覚が悪夢のようにフラッシュバックして、正直言って生理的に苦痛である。中学校だったら3年で卒業してその環境から脱出できたのだが、それが国家的に社会的に全体に蔓延しているから逃げようもなく苦痛を感じる。今日の一人の会見ごときに気をとられず、カルトな密室談合だの公文書の行方に注意すべきということであろう。裁判もあり隠蔽も改竄も帳消しにはなるまい。(20200828)
(写真:先日の野菜を買いに行った帰りの県道の歩道にいるキイロイトリ)
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