○そういえばちょうど一年前の今日は厚生年金会館の広島に泊まって厳島神社で、元気のいい鹿に地図を食われたりしてきたのである。という時間の流れを、堂本兄弟が始まり33分探偵らしく髪を切ったつよしの渋い姿を見て突然思い出した。今日は黒か。その黒は、最近のわしらの格好だな。照れ。
一年が経つのが速いといえば速いが、去年の今日はまだ、山梨県や滋賀県がどういう場所か、その景色も空気の匂いも人のしゃべり方も全然わからなかった。しかしひょんなことで、思えばそのたった一年で、全く予想もしない場所に迷い込み、山道を忍者のように歩き続け、そして全く知らなかった人々と遭遇することになるのである。年の瀬の天神地区をパズルラリーで周り、地元福岡と東京と大阪とをぐるぐる。去年の今頃、一年後に大阪ドーム行って梅田で大宴会、なんて、誰が予想できただろうか?
…そして、やはりprofileの更新の必要性を思う。SHOCKがENDLESSに変わったあたりに何かが変わり始めた予感もしたが、多分全然LIVEにも行けず、さらに引越作業や研修出張などで鬱屈した2005年の夏が過ぎて、2005年秋にTOWERのコラボでENDLIなるものが始まり箭内さんとかの姿を見かけだした頃から、自分の職場の地獄絵図の修羅場化(変な日本語><)が激化し、2006年が明ける頃、自分の心も社会的に非常に荒みきった飢餓感に襲われていた。その感覚に言葉を与え、具体化して受け止めるための呻吟の中で、自分は毎晩毎晩、次第に小学校や中学校の夢を見てうなされるようになり、そして自分が小中学校の時にそうであったように、まるで乾いた脳が水分を求めてごくごく飲み干すように、大量に音楽を聴き始める。折から、ダイハツBe-goのラジオCMでつよしが出るので民放FMを平素より長時間流し続けて聞くようになっていた。そこから次から次へと、しばらく数年注意が向いてなかった音楽が聴こえてきて、流れてきたのが…
元々の趣味の傾向は最初に設定した「本日の効果音」(~2007)で述べているとして、そのベースに1996年頃から「KinKi Kidsを観察する」傾向性が混入した時に、それを入口として、せいぜいロキノン読者だった自分がそれまで全く縁のなかったTV雑誌やWSの芸能コーナーから諸雑誌スポーツ紙等に至るまでの現代日本文化に触れる羽目となり、さらにそれを入口として全くの文系人間がPCとnetと携帯をゼロから学んでしまう羽目となったのである。ついでに言うとこのまま東日本で一生を送ると日本の西半分の文化を知らず日本を知ったことにならんということに気づき、全半生を過ごした東日本から本州を出た海外(!)に移住してしまうという無謀な冒険に出たのがこの10年かそこらである。そして、2005年頃から今日までには、さらに上記の如き公私の変質が発生した。多分2ちゃん風に卑俗な表現でいうと「なんだよじゃにおたかららるおたまでのはなしかよ自重w」と揶揄されそうだが、まあそんなもんだ。近年3年近くの記述は如実にその傾向を表していよう。ただ、受容範囲と行動半径は確実に拡大深化したと思う、二次元も三次元も。という点でも変質している。例として、39コンとソロコン、そして先日DVDにもなったφコンも、この一年の自分の旅の中の「一部」であって、大部分ではない。しかし、この一年の旅を総合する主体としての「自分」がいて、まぎれもなく「すべて楽しめる」自分でなければ味わえなかった一年である。そしてそういう感じ方ができなければ書けない事を、ここに自分は書いているようだ。と、今は読み直して思い出しながら、実感しているのである。主体性がないとただ消費するだけで搾取されている空しさばかりになるだろうが、そういう空しさではなく、確かな享受者側の手応えをどう作るか、という方法を学んでいるのかもしれない。単に、病膏肓に入る、ともいえるが。
(話を戻すと)そのような点から考えても、早晩profileは少し更新しようかなあ。と思いつつ、時間がなくて遅れているので申し訳ない。と、日付が変わったところでそんな感想めいたことを急いで記す。また朝から仕事なもんで失礼。(20080630 0:49)
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