○…なんかそういう評価主義で学校職場を戦戦兢兢と萎縮させておいてビビりまくった先生たちが誰か何か失敗すると教育基本法とか果ては日本国憲法にも小細工入れる口実に利用しようって腹ですか人が知らないうちに別の所いじっちゃってたりして。今度は大人同士の騙し合いといじめみたいなもんですな。学校の先生たちよりあんたたちのどこが信用できるというのか。よっぽどだろって気がしながら朝のニュースを見て、そして光一氏のソロコンの映像をWSで流れるのを見る。おお確かにこういうMCのしゃべりだったなあ。MAやダンサーさんやスタッフもみなさんツアー最終おつかれさまである。新聞記事のショットといいSHOCKの宣伝もタイミングで繋ぐとはさすがに商売が上手い。一日2公演というのは何歳まで可能なのだろうか。などといろいろ感慨もある。今回のmirrorツアーといえば(前半戦だからもう余所の人は忘れているかもしれないが)自分の場合はやはり福岡で、(※考えたらEW&Fの福岡公演の時も9月で台風のため30分遅れて開演ってことがあったのを思い出した)まずは今後もめったになさそうな、珍しい体験をしたとしみじみ思う。死傷者も出ている台風サンサンの暴力的に吹き荒れる破壊的な夜を、我々は彼等とともに生き延びた(笑)。そして明けた18日と10月3日のリベンジ公演。予想外の非常時の窮地に陥った時の人間の判断と行動、まったくその状況の最中ではこっちものんきな事を言ってられない程えらい目にあって心配で大変だったが、今思えば命懸けの「物数奇」(爆)の興奮とともに生身のライブらしさを実感したというべきかもしれない。もちろんそう思えるのも今、命あっての物種というものである。その後、10月はその夜が嘘だったように、本当に晴天が続いた。その10月も終わり。晴れてはいるがいよいよ日暮れ方そぞろに寒くなってきた博多湾岸のPINKの夕景をお送りしてみる。(20061031)
○…なんかそういう評価主義で学校職場を戦戦兢兢と萎縮させておいてビビりまくった先生たちが誰か何か失敗すると教育基本法とか果ては日本国憲法にも小細工入れる口実に利用しようって腹ですか人が知らないうちに別の所いじっちゃってたりして。今度は大人同士の騙し合いといじめみたいなもんですな。学校の先生たちよりあんたたちのどこが信用できるというのか。よっぽどだろって気がしながら朝のニュースを見て、そして光一氏のソロコンの映像をWSで流れるのを見る。おお確かにこういうMCのしゃべりだったなあ。MAやダンサーさんやスタッフもみなさんツアー最終おつかれさまである。新聞記事のショットといいSHOCKの宣伝もタイミングで繋ぐとはさすがに商売が上手い。一日2公演というのは何歳まで可能なのだろうか。などといろいろ感慨もある。今回のmirrorツアーといえば(前半戦だからもう余所の人は忘れているかもしれないが)自分の場合はやはり福岡で、(※考えたらEW&Fの福岡公演の時も9月で台風のため30分遅れて開演ってことがあったのを思い出した)まずは今後もめったになさそうな、珍しい体験をしたとしみじみ思う。死傷者も出ている台風サンサンの暴力的に吹き荒れる破壊的な夜を、我々は彼等とともに生き延びた(笑)。そして明けた18日と10月3日のリベンジ公演。予想外の非常時の窮地に陥った時の人間の判断と行動、まったくその状況の最中ではこっちものんきな事を言ってられない程えらい目にあって心配で大変だったが、今思えば命懸けの「物数奇」(爆)の興奮とともに生身のライブらしさを実感したというべきかもしれない。もちろんそう思えるのも今、命あっての物種というものである。その後、10月はその夜が嘘だったように、本当に晴天が続いた。その10月も終わり。晴れてはいるがいよいよ日暮れ方そぞろに寒くなってきた博多湾岸のPINKの夕景をお送りしてみる。(20061031)
○31日新聞記事:30日は横浜アリーナの堂本光一氏ツアーの最終公演で、当日会見で発表された来年の1、2月のSHOCKに関する紹介が掲載されています。
日刊「~最大の「SHOCK」」(http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061031-110783.html)
スポニチ「~5公演増量」(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/10/31/10.html)
報知「~ソロツアー打ち上げ」(http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061031-OHT1T00048.htm)
トーチュウ「SHOCK~81公演」(http://tochu.tokyo-np.co.jp/00/tkhou/20061031/ftu_____tkhou___000.shtml)
サンスポ「~帝国劇場」(http://www.sanspo.com/geino/top/gt200610/gt2006103107.html)
デイリー「~来年1、2月公演」(http://www.daily.co.jp/gossip/2006/10/31/0000153952.shtml)
○ほらみろ。やっぱり外部評価主義の蔓延の弊害だろう。校長先生みたいな偉いはずの先生すら自分の学校の生徒を何人偏差値高い大学に入学させたかで評定されて、校長としての成績が評価されて低いとCとかDとかEとかついていたたまれないっていうんでしょ。会社員は業務の評定で給料引くとか肩叩きとかの口実に使われるし、テレビ番組は視聴率リサーチが点数をつけて広告出資額に響くし、音楽をやりたくてCD作ればオリコンが成績をつけると。世の中全部そういうことなのか。点数主義だとみんな優等生になりたがるという、人の心ほど弱いものはないからね。…個人的にあくまでも私自身の考え方としては、他人のつける評価の基準なんて所詮他人様の程度の基準なんであって、結果的に良かろうと悪かろうと、偶然良くて人に優等と思われようが逆だろうが、結局最後には、自分の中でやりたいことなのか、中身として充実した仕事をできてるかが大事だと思うんですよ。長期的普遍的に見て「価値が残るか」っていうのもそこだろうし。まあそれは別としても、所詮他人な人から嫌われたからとか他人から悪い評価をつけられそうだからっていう理由で自分で自分を殺すっていうのが私にはできなさそうな気がする。そんな悪意に満ちた相手のことを自分が愛して服従しなきゃいけない義理がないし、そうしちゃうのは自分の中にその義理の基準が欠落してるか、よほど心身が衰弱していて思考と体が弱っていてさらに気の毒な状態だからではないだろうかとも考える。自分は小学校に上がるまで幼稚園とか保育園とかに行った事がなくて、その分おっとりして集団生活に慣れてなくて近所の園児出身徒党組連中から小中学校の時は格好の餌食としてこっぴどくいじめられまくったのだが、今思い出して、なぜ死なずに今まで生きてこられたのかと考えると、結局自分には自分の世界があって、そのimageで一人の時間も頭の中を一杯にすることができて(自己満足imagination上等)、それは親兄弟だろうと親友だろうと完全には共有できっこない、死ぬまでおそらく自分独りにしかわからない大事なものだ、と思った絶望を出発点にして、十数年以上長い時間をかけてようやく社会と折り合いをつけてこられたからかもしれない。勝ち負けで負けて人に死ねと言われてすぐ死ぬのではなくて、いじめられる側はそれなりの生存の方法で、「勝たない」けど「負けでもない」方法を探していったように思う。ちょっくら気晴らしに家出したりすると、自分を囲む世界など狭すぎるブロイラーの鶏舎みたいなもんにすぎないことも後でわかる。そして防御の方法としては、今でも自分の「偏愛する奇矯なもの(笑)が何か」について、血縁だろうが他人だろうが容易に立ち入らせない、日頃ほとんど人に打ち明けないで脳内で熟成させる(最近の言葉で言うとツンデレというやつか)秘密主義の癖と、仕事の顔と趣味の顔とを分ける生活が身についてしまって、人の評価は、自分が好きに生きるためのある程度の妥協点の駆け引きの目安でしかないと思ってしまう。なぜならそんなもんよりもっと強力な、時に自分を極めて非人情にしてしまうくらいに、否応なく陥ってしまう抵抗しがたい快楽的刺激があって、味わないまま死んだら未練で死ぬにも死にきれず、そっちの方が人生では(刹那的であろうと)最高に大事だと思ってしまうからである(苦笑)。もちろんこれから先死にたくなるようなことも起こるのだろうが、そうなったところで何も誇るものなどない、所詮私は無用者の不良だから(^^)そう自分で解ってそう行こうと考えるようになってきたから。それにしても音楽や美術や文学をはじめとする諸芸術というものを好いたおかげで(腹が一杯になるものでも金儲けになるものでも人から誉められるものでも全然無いが)自分は生きる上で本当に救われてきているのだろうと思うし、そんなことは長年当然のように慣れてしまったので大した「戦い」だとも気づかなくなってしまったが……だから、そういうふうな意味の事をちらっとケリーが話してくれた場所、思い出の第一次タンクが終了というニュースを今朝は感慨深く見るわけだ。そう「青い気持ち」で思い出すとそれって確かに今みたいなご時勢じゃ「戦い」なんかな。ね、「今日の日本社会全体に何が欠如しているのか」なんて時事的にも無縁な話でもなさそうでしょ(^^)。皮肉にもCXの方でちょこっと記念に映像も録れた。新聞記事もまだあくまでも「抱負」って感じの文章に思えたが、まあ正直言えばとにかくソロでもグループでもいずれにせよ提灯記事の煽て関係なしに本当の意味で「いい仕事してますね」ってことをやってくれれば見ている方も美味しくっていいや、と祈るばかりなのである。直接の紙面は夜中に慌てて思い出してコンビニで買う。なんか回を重ねるたびに写真に撮られる格好がサイケな感じになってくなあ(笑)で、今日は相方様の追加最終日こちらもおつかれさまです。これは明朝にご期待というところでしょう。桜が残るってのは面白いかもしんない。(20061030)
○30日新聞記事:29日夜のENDLICHERI☆ENDLICHERI横浜・千秋楽の関係記事が掲載されています。1会場で一年間通算100回公演が達成され、桜の木は残るそうです。
日刊「~千秋楽」(http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20061029-110215.html)
スポニチ「~次は地方」(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2006/10/30/06.html)
報知「~同一会場年間最多」(http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061030-OHT1T00051.htm)
サンスポ「~第2弾にも意欲」(http://www.sanspo.com/geino/top/gt200610/gt2006103005.html)
デイリー「~みなとみらい卒業公演」(http://www.daily.co.jp/gossip/2006/10/30/0000153253.shtml)
(20061030)
○晴れて薄くピンクの広がる夕空の下、来週分の食糧の買い出し(やれやれ)から戻って、ちびまる子ちゃんの頭の所でようやくハイチュウCMぼやきナレーション青りんご編をGET。なぜかナレーション編になってから見る機会がなく、やっと初めて見ることができたのであった。夜8時前、既に佳境のENDLIタンク付近の阿鼻叫喚の騒ぎをネットで見始める。すまんな電波が発せられているから数百km越えてキャッチするのさ♪(^^)。俄然緊張倍増(爆)。おちつけ(笑)。えらいことになっとるようですな。しかし目出度く100公演目が大団円を迎えたようです。ケリーも皆さんも本当におつかれさま。そして噂ではその次に…詳しくは明朝WSに来るんでしょうかな。アナウンスを待ちませう。(20061029 20:28)
○営業の後、時間がフリーになり、途中の古本市で再び散財。20冊前後バイクに積んで帰る。各冊数百円程度だから大した額ではない。しかし嵩張る。引越後約1年4ヶ月が経過した自室、茶の間と控えの板間は来客用にまだ空けてあり、掃除も以前より習慣づいて定期的にしているが、寝室とCD棚にだいぶ本とCDが増殖し積み重なり、以前の混沌が戻りつつある(涙)。読む本のジャンルは小学生の頃からばらばらだ。村井弦齋や國枝史郎はともかくスコアなんてどーするのかというともちろん曲を聴きながら追って笑うためであり、たとえばこのぶにぶにベースに譜面が忠実なわけがありえん(爆)とか、もしカラオケに強引に連れて行かれたとしても大体コードが合ってるからってこんな高度にくるくる変わる旋律を歌えるかっちゅー(笑)などのワザへのツッコミを聴取実況スピードで入れるためである。よくわからないけどスコアにグラビアがついていたりする(爆)。顧みて思うに、堂本剛という人はハワイで写真集を撮ったが、ENDLICHERIの人は横浜のタンクの楽屋のうちあわせか歌ってるところの神がかってるところを写真集にするべきじゃないのか。そういう剛毅な写真家はいなさらんか、と思う。でもって多分ば~いドレミ出版かシンコーとかあたへんで、Cowardの全曲バンドスコア付きで二~三千円で売る(スコアと写真とどっちが付録かわからない仕様・笑)。で、後日、スコアのPerc.の段見て「きゃーSteve様の×××だわ」とか叫んで遊べる。…あまりやってもらえそうになさそうだが(^^;;)。少なくともスタジオ録音と全然違うんだから、ライブ盤音源は一枚くらいあってもいいのでは。そんな読書で夜ささやかな息抜きをしていると、キンキラの光一さんの「リスナーに乱暴な(笑)」ラジオも始まる。まずタンクの方が明日最終日ですな(思い出して少し緊張)。(20061028)
○…そして金曜夜、写真集を見たところで水曜深夜録画分の正直しんどいハワイ編つづき(KBCではYOUさん前編のwalker)を見る。いつものしょぼい都内巡回編とは全然違って、30分に詰め込みきれてるとは思えない程のロケ場所数と趣向で物凄い金かかっているように思ってしまうのは私だけだろうか。そしてこの写真集といい、つくづく「ネ申」とは思うがなぜ日本国内じゃないのかとか正直予算的に大丈夫ですかテレビ朝日(笑)とか思う。さて寝るか。工房の作業進行がまた遅れているというのに今日も昼間に外へ挨拶回りの営業が入ってしまった。明日も外回りがある。服の準備しなきゃ。ふとカレンダーに気づくと10月も終わる(泣)。そうか今週末はENDLIタンクも横浜アリーナも所謂千秋楽がやってくる、って話だったはずだ。すげーっす。私は留守番組で風の便りに双方御盛会をお祈りするばかりだが、なんか気象庁レーダーから見たら神奈川県横浜市上空付近に煩悩のピンクの雲とかそーゆーのが台風みたいに渦を巻いてたりしないかと(爆)(20061027)
○…はずかしい(笑)。これははずかしいぞ。またもや我々は試されているのか?日も暮れた後に書店に来ると、棚の前に横積みになっている一番上に、でっかく顔があって表題も記されている、そのへんの雰囲気からしてはずかしい。その前で立ち読みしている若いお姉ちゃんらが立ち去るまで、気後れして手が出せない。いい歳こいてこんなの買ってるところを知ってる人に見られたくない。ううう。躊躇し続けて、何度か音楽雑誌の棚の前でARENA37℃とか音楽と人とか読んだりして(それはそれで別の意味でちょっとはずかしい^^)、まだ人がいなくならない(涙)と思ったら、もうしょうがないからPATI・PATIとかWHAT's IN?の放談我報まで読み始める。字がちっせえよ(爆)。別にいいけど。そしてようやく人が去った。ううっ。勇気を奮い起こして一冊手に取り、誰も並んでないぞ今だ!とレジに行く。ところが!思わぬ伏兵が…そうだバーコードは裏表紙に面した帯についていたのだ!ひっくり返され露わになる裏表紙にまぎれもなきヌードが(笑)。げげっ。(しまった!) もちろんレジのお兄さんは何ごともなく表紙を裏返した後、そこの部分へ「ぴっ」と読み取り機を当てる。その間、思わず、まるでインフルエンザの予防接種を受ける際に腕にささる針先から目をそらす時のように、小生の視線はやや宙へ。これってエロ本買ってる中年の親父さんの気分なんかい。「2000円になります」渋面のまま支払い、ようやく書店の袋に入れられていく表紙に心底安堵しながら、しかしあくまでも無表情にレシートと共に受け取り、粛然と書店を出る。帰宅。大体こんなもん表で、人前で開けられるかいっつーの(汗)。ようやく開く。むうう(笑)。そして開くと改めて裏表紙からしてますます赤面。帯の下見たらもじゃもじゃが続いていたりする。やばいだろうこれは(笑)なんだよこの挑発的なぷよぷよむっちりは(^^;;)カラヴァッジオかいあんた。「どこ見てんだよ!じゃなくてGJばくちゃん!」と思わずツッコミを入れながら見る。これが、堂本剛御歳27歳の『正直I LOVE YOU』(東京ニュース通信社)いやぁ、買うのがこんなにしんどい(大笑)本だったとは。なお、ラストページに「毎度毎度、こりない物好きな人/あなた」くらい入れてもらってもかまわんよ^^(20061026)
○うちの田舎ん時は90年代の改訂のずっと前だから1年地理2年3年世界史と3年日本史とその他倫社政経やって、結局受けたのが世界史=△で倫社=◎って感じだ。そして放課後はバンド部活動?の時間(爆)だった。大体3年だとほぼ代替わりで引退してたまに息抜きに来て演ったりするが、卒業したギターとかドラムの先輩が、もういらなくなった参考書を置いていってて、それらが楽器庫室の壁の脇んとこにうずたかく積もっていた。きったないんだけど、そっから使えそうなのを只でもらってきたりする。目をつぶると、そんな薄暗い校舎の端っこでちょっとかびくさい感じの音楽教室の景色と空気のにおいみたいなのが、当然当時の高校生の時に聴きまくっていた暗い音楽のBGMつきで(※夢の中でも音楽が聞こえるように、回想シーンでも大概世は歌につれ的にBGMがつく・笑)、浮かんでくる。そういう3年のこれから受験の時期なのに追加で新規科目の補習が重なるってのは酷い話だな…と、話を聞くとなんかこっちまで3年の時の緊張してたその季節の頃を思い出して気の毒で痛々しく辛い。だってだまされてたみたいなもんだもんね。受験指導優先、ていうのが原因だとすると、いくら受験対策の要望があっても先生がそういうのは止める側じゃないといけないのではないか。この生徒の人たちが10代の後半で、いろんな意味で失望して、もう無人島で生き延びているような気合いで大人のいう事など何も信じないぞ、くらいな心持ちを持ってしまった場合、そういう偏見のままで、ちゃんとしたまともな大人の人(※まともな人もいるのだ)に遭遇するチャンスを将来失ったりしないでほしいと思ったりもする。そうなっちゃったら先生って職業に対する偏見を、自分が親になった時にも持ってしまい、悲劇はその子供の先生観にも影響してくりかえされたりするわけでしょう。やっぱり、我々歳とった者は、自分が死んだ後でも自分より若い者が育っていて社会が続いていてほしいと思うなら、育てる気持ちで考えるべきで、若くて刹那的な意見に下手に阿ったり、自分の目先の短期的な業績として子供の進路合格率の数を扱ったりしてはいけないのではなかろうか。自分だって数十年前は高校生だったってことを大人の人が忘れてるのだろうか。私自身は生々しくどんなに辛かったかを忘れられなくて、今だって「数学の授業の直前」の夢でうなされるし、回想するとまさに悪い夢から覚めた後のように思い出すのだがな。それに、歳とってる分、しなきゃいけないことをしなかったらその先どうなるのか、分かって若い人に教えてあげられる立場なんだから。そういうこっちの中身が出来てきてないとしたら歳とってく意味もなくて、それこそ無駄に醜く老いさらばえていくだけの人間になってしまう。非常につまらん。最近、学校経営戦略とかいって生徒や学生を商品みたいに売るような言い方を公言する学校経営者の発言などもwebで見かけるので時々とんでもねえなあと慄然としていたが、そういう末世的な状況に来てるのか、てな気分もしなくもない。…てなニュースを見られたのも、夜22時半頃仕事がやっと終ってとっぷりと暮れた後帰宅してからである。日本シリーズで遅れたどんなもんやにはぎりぎり間に合ったけど。うーん本屋に行きたくても閉まってるのだこの時間(涙)。(20061025)
○合掌。「ときめきジャズ喫茶」であのフジタクさんのすっごく嬉しそうな声が聞けないと寂しい。自分が九州に住んでから知ったばってん荒川さんも亡くなった。気づくと、本当にテレビを見なくなってきた。一応朝のWSはタイマーで機械的に一部録ってはいる。放送される人や内容が10年前より激しく偏っててつまらない、なんていうのは今更当たり前な話ではあるが、ざっと見て消してしまう。ドラマは元々全然見ない。ニュースも出てくる人や言っていることがなんか嫌な感じがすると気持ち悪くなってきて耐えられなくなるのは去年から同じだ。ニュース関係で見るのはこれくらいとこれくらいで、あとは娯楽関係ではYouTubeで遡って過去音楽映像を探す(そしていい曲だと思ったら、それの入っているCDを探す)とかである。いいんだ私自身はKinKi Kidsみたいな優等生じゃないから。所詮、不良だから、見るか見ないかの基準は他の誰でもない、私の中にあるのだ。その上、悪天候で買った品が濡れるのが嫌でまだ本屋に行けないでいる。そのくせCD屋には行ってまたまとめ買いしてサービスポイントをためてしまった。そして家に帰って編集して聴きながら本を読んで、遅々として進まない仕事の文章を書く。病んでいる(^^;;)けど別にいい。今週のどんなもんやはつよしさんがまったり一人で保守している。QRは10月に入ってから森永のラジオCMがなくなってしまったので、意外と数分早めに待機してないとすぐ終わってしまったりするから注意を要する。(20061024)