〇そうだったのか、と朝にニュースで知った。
多分感染症禍で外出制限の期間が始まった頃から、朝ひっそりこっそり人と接触しないように出勤する生活になったのだが、その頃から朝ラジオのニュースと天気予報と交通情報をわりと聞き流しながら支度をするようになった。外に出られない時も交通情報を聴きながらその地名に思いをはせていた。だからここ数年程度ではあるのだが、森永卓郎さんの声をほぼ毎週、朝になんとなく聴いていた。経済の人なのに貧困の人の方を心配しているような話をいつもする。その声が聴けなくなるのは寂しい。お別れとは言わなかったけど、ラジオでみんなにあいさつを言いたかったのかもしれない。こんなに、人間が生きているぎりぎりの時の最後まで話して声を届けてくれた、その生きざまのような瞬間に、偶然にも立ち会ったんだな、と思うと厳粛な気持ちになる。恐らく27日のラジオをたまたま聴いた、どのくらいいるかわからないが相当数の幾千幾万のリスナーもそうだろう。しばらくがっちりマンデーの録画で偲びたい。また自分が「声で記憶している人」の場合、その人が書いた文章を読む時、頭の中で「その人の声で」文字の音読が再生されてくる。そういう感じでモリタクさんの記事を読みたい。
BGM:Shallow Sleep / HYDE (「Roentgen」)
そしてJR東海のドクターイエローもさよなららしい(20250129)