館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

今月の僕の新譜・その2(07・2)。

2007-02-14 07:34:39 | お勧めCD/LPなど


昨年悲しいかな、お亡くなりになってしまった、ジューン カーター。

映画のヒットもあって、またぞろ、過去の音源の焼きなおしが、沢山並ぶ。
まあ、「カーター」と冠されりゃ、無意識に買ってしまっている、僕である。
しかし、見境が無いそして、いつものことだが、編集物故、結構ダブってるんだよ。
この手のCDの出し方・なんとかならんか?えー!

★「KEEP ON THE SUNNY SIDE」(写真上)
ジューン カーター・2005年・SONYである。

ジューン本人・キャッシュと一緒・カーターシスターズとのもの・メイベル入りなどで構成。
1曲・ニッティーグリティー&アール スクラッグスと一緒などが、変ったトラックか?これ、晩年の歌唱である。さすがに声は出ない。しかし、ますますメーベルだった。すっごく、いいよ。


★「「EARLY JUNE」(写真真中)
2006年・COUNTRY STARS CTS-55537

CDの題名の如く・幼かった頃(オースザンナなどやってるが、実にキャワイイ!)から少女、メイベルに引き連れられていた頃の、「カーターシスターズ」の音源が中心。当然の如く、チェット アトキンスの流暢なギターもフンダンに入っています。

あっちゃこっちゃの僕のカーターライブラリーとダブりまくっていますが、初物もあるので、買ってしまうのだ。

かしましかったシスターズですが、これ、なんかいいっす!

ヘレンの歌唱力を、妙に再認識しました。

★「DELIVERANCE WILL COME」
ジャネット カーター2004年新譜であります。
BEAR FAMIRY REC  BCD-16335 AH。

こちらは、セーラさんの娘さんである。

日本にも招かれて来日。今は無き「高石ともや&ナターシャセブン」との宵々山コンサートのジョイントはすばらしかった。

いくつかのCDが日本でも紹介されたが、本新譜・前作よりも声に張りがあって、入魂のできである。
まさに、伝統のカーター節が堪能できます。

そう・・・お母さんのようです。

すぐ、こちらファンの皆様は、購入に奔走しましょう。

さて、カーターファミリーって何?ってな方に、オリジナルメンバーの時代・その他カーターファミリーの冠される、グループなど、ちょっとメモします。




① Mother Maybelle and Carter Sisters (1940年代前半)
メイベル・カーターと彼女の三人の娘さん。ヘレン・ジューン・アニタで活動されていました。

② カーターファミリー(1952-56)
AP・サラ・ジャネット (榊)

③ ザ・オリジナル・カーター・ファミリー
A.P.カーター(アルビィン・プレザント・ディレィニー゛ドック″カーター)1891年12月15日生まれ(1960年11月7日没)ヴァージニア州スコット郡に8人の子供の長男として生まれる。線路工夫の仕事をした後26才頃から苗木を売る仕事をはじめた。そのため近郊を旅しているうちに故郷についての歌をつくりはじめていた。多くは採譜したものであるようだが、彼のオリジナルとして、クレジットされている。

セイラ・カーター 1898年2月21日、ヴァージニア州ワイズ郡に生まれ。おじのニックルスとその友人が弾くフィドルの伴奏として幼い頃からバンジョーを練習した。後に当時アパラチア山間地ではめずらしいオートハープで唄うようになる。A.P.がニックルス家をたづねそこで家族とうたうようになって、やがて二人は結婚する。(1915年6月18日)

メイベル・カーター(1909年5月10日生まれ)二人の結婚のとき、6才、セイラの家とは近所同志で育った。1926年3月13日(16才)にA.P.の弟・エズラ・カーターと結婚して、カーター家にやって来た。3人で演奏するためにメイベルが新しく買ったギターが当時としては非常に高価なギブソンL7($125)だった。

最初にレコーディングした“柳の木の下に″など三曲にメイベルは18才の若々しい歌とギターで加わっている。

この3曲ではじまる、オリジナル カーターファミリーの作り出した音楽とそのスタイルが、以降のアメリカのフォークやカントリー、ブルーグラスに及ぼした影響は、計り知れない。原点たる音楽の創造をした、グループである。

少しながくなりました・・・
コメント (4)
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