館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ドン・リーノーとブルーグラスカッタップス 僕の育った音楽Rの仲間達その1。

2015-12-27 06:42:49 | 僕の育った音楽
こちらのシリーズ・・・しばらくご無沙汰。

しかも、Rに入ったとたん、ドマイナーな音楽なのであった。


やっと連休に突入。ちと、本日は計画など立てるかなぁ・・・・




ブルーグラスという音楽ジャンルが生まれたての1950年代 そして1960年代。

偉大なビルモンローとブルーグラスボーイズ・スタンレーブラザース・やがてフラット&スクラッグス・・・などなど・・・
その、ブルーグラス界をリードしてきた一つのバンド に、この、ドン・レノと レッド・スマイリーのテネシー・カッタップスがある。

カッタップスの解散は1964年だが、その後 ドン・レノと レッド・スマイリーが それぞれ結成したバンドがTENNESSEE CUT-UPSとBLUEGRASS CUT-UPSという二つのバンドになるのだった。

ブルーグラスという音楽は、それまでのバンジョーの奏法が一変するのだが、まあ、無くてはならない楽器で、バンジョーなしのブルーグラスは無いといってもいいだろう。そのバンジョーのスリーフィンガー奏法・・・当時は、スクラッグス・スタンレーそして、こちら、ドン・レノ辺りが、創始者は俺だぁ・・などと、言い合っていたのはまた懐かしい・・・

確かに3者とも、それと聴いて、分かる、自分のフレーズ(**節)を持っていたねぇ・・・

まあ、トリッキーなレノのバンジョーは確かにこのグループの特色ではあったが、わしゃ、共演の脱力系の名ボーカルの方々が好きだったな。

スマイリーしかり、ビル・ハレルしかりだわさ。スマイリーさんの、特徴的なDランを、必死にコピーした懐かしい思い出があるぞなもし・・

1972年1月2日、レッド・スマイリーは糖尿病のため47歳で亡くなってしまうのだが、全く惜しいのだった・・・

こういう、時代のブルーグラスはほっとするし、飽きないのだった・・・・


いいねぇ!


こちらもいいねぇ!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする