館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

北海道海坊主・ついに北の大地に帰る・・前編。

2016-04-12 05:46:59 | 生活雑感


10月から東京で請負で測量の出稼ぎであった。

ついに海坊主は故郷の北海道に帰る。

3泊ほど我が家でのんびりして・・・と・・・まずは、東京の垢を落とすべく温泉!



初日の夜はすっかりなじんでしまった、佐野のM氏も加わって宴会が始まった。



メインは僕が沖縄で買ってきた「沖縄天ぷら粉」で、もずく・さかな(カジキ)・いか・そして冷蔵庫に余っていた、ふきのとうの天ぷら。

モズクを揚げるには少し工夫(現地で覚えてきた)があって、どれも上手に揚がっただよ。



畑の三つ葉のお浸し・・・

やつがくると、基本野菜がメインにしている。



ブロッコリーのナムル・ノビルの油味噌。



タニタのはかりが、あきらかにオカシイ値を示し、それまちがってますから・・なのに、体脂肪15に喜ぶM氏。

海坊主も、こちらにたくさんの友人が出来たな。




翌日は海坊主のご所望の名所めぐり・・・・

まずは田山花袋の生家とか記念館・・・

館林にあるんだけど・・地元だと行かないの法則で、僕も初めて訪ねた。




なかなか、立派なのに新鮮な驚き。



館林の戦前からの産業振興の中心であった「上毛モスリン」の事務所。
こうした戦前・明治期の建物では、群馬でも指折りらしい・・・

やがて、この工場も、共立モスリン・中島飛行機・神戸生糸と会社は変遷し・・今は無い。

僕が紅顔の美少年だったころは、神戸生糸で、近所の方など働きに行っていたなぁ・・・



館林は城下町である。明治に消失するが、徳川が治めた時代は石高25万石だ。
あの5代将軍綱吉が、将軍になる前までここであった。

のちに転付で城主が変わり、最後は山形から秋元家で終焉。

当時を忍ぶ土塁跡・・・わし・・初めて行っただよ。



近くだと行かないの法則に、わし・・・反省!




続いて例の菜の花畑に行く・・・やはりすごい・・・ここは、栃木県佐野市。



旅は、ついに利根川を超えて埼玉県熊谷市・・・

日本最初の女医、荻野吟子さんの記念館・・・

ここまですべて海坊主チョイスの旅であった・・・



遅い昼飯は、成味のチャーシューメン!!



昼寝などまったりして、夜の部に突入!!きょうは2人で乾杯!




島ラッキョウとか、リクエストで2日連続のノビルの油味噌など・・・

そして、舞茸と鶏肉のバルサミコス炒めが本日のメイン。

本日はアクティブな1日であった・・・・こうして、海坊主の館林の前編は終了したのだった・・・
コメント (4)
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