

遍照寺・広島に原爆が落とされた朝・・寺に集まり、住職の読経の中鐘を突く。市の平和都市宣言の朗読・・・と、わずかだが、思い込められた時間が流れる。
(この日、俺は猛烈な下痢で参加を見合わせ・同じ時間部屋でバーチャルに鐘を突いた・・・写真は女房)
この1年に1度の集まりは、長く長く続いている。

何度も被爆にさらされている日本。この政府は「核拡散防止条約」という、アメリカ・フランス・イギリス・中国・ロシアの核所有5か国以外の核兵器の今後保有を禁止しようとする条約には加盟、批准しているが、考えてみればよい・・・持っている国以外は持つなという、あきれた条約だ。
そして、「核兵器禁止条約」という、すべての国が核兵器を持たない・使わないという条約には、参加してはいない。理由がふるっている・・・「核保有国が一国も参加していないので、核廃絶につながらない」という詭弁でだ。(現在92か国が68か国が批准している)
率先して、参加すべき国のはずの日本政府は、毎年毎年、広島長崎の願いを無視し続け・・・あろうことか、原発も必死に再稼働志向中である。

世界中に12520発の原爆が存在している。アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・北朝鮮・イスラエル・パキスタン・インド・・・保有国はまさに戦争が好きそうな国々だ。
このアメリカの核の傘の下で、アメリカのポチをやってるのが我が国・日本だ。恥ずかしい・・・・
原発が生み出したプルトニウム・・もてあまし、捨てることもできず、世界中にあふれ出さんばかりだ。再稼働が始まったこの国も、分離プルトニウムをすでに長崎の原爆の7633発分、保有しているのだ。
悲しくて・・・・我が国と・・言えない。
挨拶 原爆の写真によせて
あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ
すでに此の世にないもの
とはいえ
友よ
向き合った互の顔を
も一度見直そう
戦火の跡もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を
その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ
地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか
しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる
一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。
詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』1959年