

石川逸子さんの詩に出会う。8月号の「詩人会議」。書下ろし。
朝鮮の言葉1つ書いてないが、読み終わると、「朝鮮人慰霊碑」の撤去の事を歌ったと分かる。
詩が、言葉が、見事な力をもって読む者に迫ってくる。
「たった9文字に 怯えあがったものたち」・・・「彼らは なにに 怯えたのだろう」・・・・
詩も、歌の歌詞も、リンゴ(例えです)だと書かず、「これはリンゴだね」と伝えられる豊かさ、ふところの深さがある言葉で編まれた、詩や歌詞は、本物だ。
俺も、そんな詩や歌詞を書きたいものだなぁ。
群馬!
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑が県の行政代執行で撤去され、数か月が過ぎた。撤去を受けて杉田水脈衆院議員(自民)は「噓(うそ)のモニュメントは日本に必要ありません」と発信。他の追悼碑を攻撃する歴史否定も起きる中で、日本の植民地支配を背景とした労働動員とその負の歴史と向き合うことで、次の友好を紡いでいこうと、対抗する市民の動きも広がっている。

撤去された碑の有った場所を、見続ける・・・・・その無言の示威は、「怯えあがったものたち」を、落ち着かせないだろう。