退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

衆議院解散総選挙

2024年10月10日 08時08分28秒 | 雑感

衆議院が解散することになりました。10月27日に選挙が行われます。


私は、常々思っているのですが、小選挙区で落選した候補が比例復活をするという制度が理解できません。


有権者は当該候補に「NO!」と判断したのに、政党の都合で議席を得るのです。

これは、有権者の判断より政党の考えを尊重するというスタンスでしょうか?


それは民主主義に反するのではないか・・・勉強不足だからか、私はそんな風に考えてしまいます。


勉強して沢山の知識がある人は、多くの要素の中で優先すべき順位がわからなくなってしまう。

これは、知識人のあるあるではないかと思ったりしているのです。

 


比例復活(重複立候補制度

公職選挙法           
(重複立候補等の禁止)
第87条 一の選挙において公職の候補者となつた者は、同時に、他の選挙における公職の候補者となることができない。

第86条2第4項 第1項第1号又は第2号に該当する政党その他の政治団体は、第87条第1項の規定にかかわらず、当該衆議院(比例代表選出)議員の選挙と同時に行われる衆議院(小選挙区選出)議員の選挙における当該政党その他の政治団体の届出に係る当該衆議院(比例代表選出)議員の選挙区の区域内にある衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区における候補者(候補者となるべき者を含む。次項及び第6項において同じ。)を、当該衆議院(比例代表選出)議員の選挙において、当該政党その他の政治団体の届出に係る衆議院名簿の衆議院名簿登載者とすることができる

 


不思議なこと2

2024年09月13日 19時30分36秒 | 雑感

不思議なこと・・・その2

各党の代表を決めるに当たり、立候補者が色々言ってます。

 

野党の「・・・したい。」はわかるのですが、与党の「・・・したい。」はよくわかりません。

与党なのだからやれば良いでしょう。なぜ今まで出来なかったのでしょう。


「・・・やろうと思ったが○○から横槍が入って出来なかったので、次はやり遂げたい。」ならわかるのですが・・・。

 

不思議です。


推薦人20名

2024年09月05日 12時59分11秒 | 雑感

党の代表を決める選挙で、立候補の条件が20名の推薦人が必要と云うのはおかしなものですね。

自民党は兎も角、立憲民主党は議員数が少ないのに同じ人数はおかしな気がします。

所属議員の10%とか決めればいいのにと思いました。

           自民          民主
衆議院 261 vs. 96
参議院 119    39
   計   380      135   

20名は自民党では議員数の5.7%、立憲民主党では14.8%でした。   

政党自体が組織を持つものに有利に出来ているんですね、政策理念よりも・・・。

 


そんなハードルといえば、一般選挙では「選挙権」と「被選挙権」で権利を得る年齢が違っています。

おかしな気がします。


ましてや、選挙の供託金の存在がスタートから選挙には金がかかる仕組みになっています。
 

 「売名」を目的とする候補者には、公の討論会や選挙公報で、言葉は悪いが「恥」をかかせればよいし、「泡沫候補」という言葉の中には、「少数異見は意に介さない」感が漂いスッキリしない。

 

被選挙権年齢を選挙権年齢と等しくし、供託金を立候補者登録費として実費にすれば、学生でも立候補できるし、選挙に関する議論も盛んになり、投票率も上がるのではないかと思っています。

 


9月2日

2024年09月03日 10時22分48秒 | 雑感

9月2日が過ぎました。


降伏文書は、1945年9月2日東京湾上の米戦艦ミズーリで調印されました。

これによって、正式に終戦協定及び降伏が調印され、太平洋戦争は日本の降伏をもって終結しました。

 

日本の降伏文書調印に対するマスコミの報道はあったのか?


NHK 新着ニュース一覧

日テレ
 

テレ朝

TBS
 

フジテレビ
 

テレ東


全部を確認したわけではありませんが、「太平洋戦争終結」や諸外国の「戦勝行事」に関するニュースは目にとまりませんでした。

 

「玉音放送で終戦」という考え方は、世界の常識とはかけ離れているようです。


これが、戦争に対する中途半端な反省の象徴で無いことを願うばかりです。

 

 


終戦記念日考

2024年08月16日 20時08分05秒 | 雑感

終戦記念日を迎え、多くのTVで、戦争に関する特集が組まれていました。

その多くは、戦争の悲惨さを伝えるものです。

 

ところで、なぜ終戦記念日は8月15日なのでしょう。


太平洋戦争は1945年9月2日、「日本への降伏要求の最終宣言」という降伏文書に調印し発効により終わったとされます。

ゆえに諸外国における戦争終結の記念日は9月2日です。


日本がポツダム宣言受諾を中立国であるスイスとスウェーデンに向けて送信したのは8月10日。

やがて駐スウェーデン公使から、アメリカの回答は日本の申し入れを受け入れたという報告が届き、ようやく政府が宣言受諾を決定したのは14日。同日、終戦の詔勅も発せられました。

9月2日でもなく、8月14日でもない8月15日・・・これは玉音放送がなされた日ということでしょう。
 (「玉音放送」現代語訳はこちら

 

白井聡氏は、その著書「永続敗戦論」(2013年 太田出版)で、『純然たる「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジュームの根本が成り立っている・・・』と断言しています。

つまり、都合の悪い事実を言葉巧みに言い換えることにより、「問題の本質から眼を逸らそうとしている」よくいえば「その方が復興のためには都合の良い」ということだったのでしょうか。

 

なぜ戦争は行われなければならなかったのでしょうか。312万人もの犠牲者を出しながらも。(312万人は日本人のみです。それ以外に各国に犠牲者がいます。)


敗戦を終戦と言い換え、玉音放送日を記念日にする。


こんな処も、歴史を正しく評価する(責任を追及するということではなく、後世に正しく伝えるということ)ということが等閑にされてきている一つの例でしょう。


「等閑」・・・いやむしろ、周到な計略のもとに、あえて触れないようにしてきたのかもしれません。


そんな部分が有るとすれば、反省が乏しく「歴史は繰り返される」となってしまうのではないか。

 


戦後80年が経とうとしています。

 

もうそろそろ、政府が戦前の事実の検証をしても良いのではないか。


最近は「戦前」のようだ・・・という論調を目にして、思わず考えてしまいました。

 

『戦争の悲惨さだけを伝える報道』が、マスコミの自慰行為でなければ良いのですが・・・。