『任命責任は、政策の実現で・・・』
これは、先日安倍総理が記者団の前で言っていたことばです。
『政策の実現で・・・』は、政策が実現できる与党サイドの発言で、野党には言えないことです。
つまり、政権与党では許されて、野党には行えない特権といえるでしょう。
「責任を実感している者」が取る責任の取り方に於いて、このような立場の違いによる差があって良いものだろうか?
それに、よくよく考えてみると
「自分のやりたいことを頑張るから許して」
的な発言にも聞こえる。
桂小三治師匠も、銀座ブロッサムでの独演会で
『任命責任任命責任って何回も言ってんだから、自分で責任とれ』
って仰ってました。
でも、
よく解らないのは、「河井克行法相が31日、参院選で当選した妻の案里氏が、参院選選挙運動を巡る週刊誌報道を受け、辞任した。」ことです。
公職選挙法違反であれば、当然本人が議員辞職すべきことでしょう。
夫婦といえども、お互い独立した個人であり、有権者の信任を得た公人なのだから、「亭主がやめる」のはお門違い・・・と考えてしまいます。
広島3区の人たちは、どう考えるのでしょうか?
やっぱり「法務大臣」という肩書きだからでしょうか?
辞めるということが、事実を認めることであるとすれば、法務大臣という役職を私物化しないで、案里氏に
『議員辞職しろ!』
と言う方が先かも・・・とか思ってしまいます。
安倍総理の神妙な表情での「任命責任はこの私にあります云々」ほど無責任な発言はないと思っています。
カメラ向けの芝居なんでしょう!
昨日の国会でも「1ヶ月の内に2人の閣僚の辞任がありましたことは・・・」と発言していましたが、
新聞各社にほとんどのマスメディアは「1週間の内に二人辞任した・・・」という報道を安倍君!らしく1ヶ月と表現して問題を薄めようとしたと私には聞こえました。
『政策の実現で・・・』なんて表現は単なる建前でしょう。
河井克行氏は法の番人の法務大臣でしたら当然辞めるべきでしょう。
かみさんの選挙運動もしっかりやっています。
かつ、私も家内も預り知らないところでウグイス嬢に法定の倍額が支払われいたなんてありえないことだと思います。
大臣を辞めることによって委員会での追及を免れたわけですね。
たぶん、自民党は野党からの彼の喚問要求に応じないはずです。
これで安倍総理を辞めた二人が守ったんだと私は理解しています。
私もよく解らない(理解できない)ことが多いのですが、
安倍総理の「論点のすり替え」は、とても気になります。
「ことの本質より自分の考えを守る」が、出発点なので、ディベートにもなりません。
巧妙(下手な)作戦なんでしょうが、それに振り回される野党・マスコミがだらしない。
「思考に蓋」をして得た大臣の椅子を、このように手放すのは、
やはり、
「俺が大臣にしてやったんだから、俺の言うことを聞け」
なのでしょうか?
大臣の椅子ですら、単なる道具でしょうか? 軽いものです。
異見を排除し、御託を並べるのは、彼が大好きな某大統領に似ています。
しかし、某大統領には、自国ファーストが見えるのですが、彼は憲法改正ですか? 解らない。
私は、年を重ねるごとに、職場で「自分に対する反対意見が聞こえづらくなった」ことに怖さを感じていました。
それは、自分が見えなくなる危険を感じたからです。
今、某大統領もうちの総理も世界中の指導者も危ない。
もめにもめて選挙になるイギリスが、羨ましくさえ感じます。
広島3区の人だけでなく、みんなが考えた方がイイ。
昔のことは知りませんが、私のイメージする90年前と似てるのではないかと心配です。
コメントありがとうございます。
「小父さん」さんには感謝しかありません。
私の「勉強しなくては」というモチベーションを支えて頂いているのですから。