時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

サッカー日本代表 新監督選び

2010年08月14日 | サッカー
サッカー日本代表の新しい監督の決定が予定より遅れているとの話。来月はじめの親善試合の指揮を取ってもらえるよう間に合わせたいが、無理かもしれないとか。煽るのが商売のスポーツ新聞(ここでは日刊スポーツの記事を参照してます)は、「難航」だとか「後手後手」だとか「完全に裏目」とか言ってるけど、私はこれを喜ばしいことと受け止めています。

というのは、この現状は、JFAがやっとコネ人事・根回し人事をやめて、本当の「交渉」をやっていることの証だからです。後藤健生さんのコラムにあったのですが、結局ここのところしばらくは、川渕三郎さんが個人的に決めてきたわけで、ついにそれに終止符が打てたということ。言わば、やっとまともになったと。そこまでつながりのなかった人に一から交渉すれば、難航することもある。記憶しているところでも、韓国とか、イングランドとか、何ヶ月も決まらなかったことがあるはず。まして、はじめて本格的にやるわけで、たとえば交渉に出した原さんが問題があるにせよ、人選やバックアップ体制も含めて、JFAが勉強して、上手くなっていくしかない。

スペインの方と交渉しているというウワサですが、それが日本サッカーの強化にとっていいのか、ということは分からないし、考える気もありません。それは専門家である(あるべき)技術委員会が考えること。重要なのは、その専門家たちが強化の方針、目標を真剣に考え、議論して、そこから導き出した結論を基に候補選びをしたかどうか。それさえ大丈夫ならば、べつに遅れたってかまわない。もっと時間をかけてくれたっていいくらい(欧州のシーズンが始まっちゃうと候補がいなくなっちゃうかもしれませんが)。とにかくなんとしてもやめて欲しいのは「やってもらえそうな」「手近な人物」に当たる「拙速」な人事によってつぎの4年間を無駄にすることですから。この8年間のように。

新体制のスタートが遅れたら、もちろん交渉力も問われるのだろうけど、それは相手側の「日本の監督なんかやって自分のキャリアアップにつながるのか」とか「あんな遠くのヘンな国に住みたいか」という、国の評価も含めた実力の反映でもあるんだから、しょうがない。優秀な、野心ある指導者を候補に立てるほど、その可能性が高まるはず。ニッカンは「観客動員、視聴率面での大打撃は回避できず」なんて言ってるけど、もしそれはそれで問題なんだとしても、この遅れは、興行より強化を第一に考えた結果と、好意的に受け止めたい。ていうか、スポーツ新聞もそういう報道をしろ。

この8年間で、監督選びに手を抜いては絶対いけないこと、そして、それ以上に、技術委員会がちゃんと機能を果たすことが重要であることが、明確になった。個人的には、それが2大会連続の「失敗」から得たいちばんの財産だと思ってるので、やっと違う方向に進みだしたJFAに期待したい。監督が決まった後も、採用した人物に、しっかり注文をして、厳しくチェックして欲しい。ということで、原さんがんばれー。

眼鏡を買うことにした

2010年08月13日 | Indiana大学
日本から戻って早々、眼鏡を失くしたようです。知り合いのご家族の引越しを手伝ったときか、自分たちの引越し荷物を整理してるときか。

近視とはいえ、必要なのは教室の後ろから文字を読むときくらいで、眼鏡無しでも生活には困らないのですが(そのためすぐ外しちゃうから無くし易い)、免許の更新時の視力検査に引っかかる可能性が高いので、そして、免許が切れているので(更新は可能)、眼鏡なしで済ますこともできず、新調することにしました。

やはり近眼のうちの師匠にアドバイスを受けたところ、「安いとは限らないけどいい仕事しますよ」ということで、大学の Eye Clinic へ行ってみました。検査には予約が必要、予約は10日待ち、検査の所要時間は2時間(!)とのこと。今日、やっと検査を受けてこられました。写真がキャンパスの南側に最近新築された、Eye Clinicです。

(↓ つづく)

検査

2010年08月13日 | Indiana大学
インディアナ大には School of Optometry という眼科の学部があって、検査担当は、その学生のインターン。検査は、ホントに2時間。インターンが要領が悪い、などということは全くなく、よく訓練されて非常に手際もいいし、態度も丁重。でも、近視、遠視両方の検査、眼底の検査などなど非常にていねいにやって、最後はホンモノのドクターが確認に来てくれる。

老化による軽い遠視が始まっているので、遠近両用の眼鏡を使ってもいいかもしれない、とのこと(来たか)。本を読むときには外すことにして、それはやめました。白内障もまだ非常に軽いけれども、年齢なりに始まっているそう。白内障の進行には、(1)タバコ、(2)紫外線が悪い、あなたはタバコを吸わないのだから、ジョギングするなら必ずサングラスをかけなさい、と言われました。ということで、眼鏡を作るというためだけではない、総合的な目の定期健診でした。学生の保険が入って、料金は42ドル。安くはないが、高くもないと思います。写真が測定装置です。

眼底検査のため、瞳孔を開く薬品を点眼されたので、しばらく近くに焦点を合わせられないし、夏の光がめちゃくちゃまぶしいので、くらくらしながら帰りました(臨時のサングラスとして、眼鏡型のフィルムをくれました)。バスの中でも本も読めず、どうしようもないので寝てました。

(おしまい)

甘く + 首振り

2010年08月11日 | 
一昨日の夕食中、娘が素揚げのズッキーニを食べているとき。「揚げたからちょっと甘いんじゃない?」とたずねると、彼女は、

「あまく」

まで言って言葉を止め、首を3~4回横に振りました。で、もういちど

「あまく」

と言ってまたそこで言葉を止め、首を横に振る。数回繰り返しました。

「あまくない」と言いたいのでしょう。それなら発音は不十分でも「甘くない」ともう言えるはず。なんで、言語メッセージとジェスチャーをつなげて全体で表現を完成させる。ヘンなことをするもんです。形容詞の活用形が正しいのもなんかふしぎ。

こんなこと二度とやってくれなくて、「あれは何だったのだろう」と思うことになる可能性が高い気がします。

引越しのメリットとデメリット

2010年08月10日 | Bloomingtonにて
引っ越して良くなったことの一つが、洗濯。娘が毎日、服を汚しまくるので、洗濯物が次々たまります。前のアパートでは家に洗濯機はなく、アパートの敷地内にある住人用のコインランドリーに持っていっていました。大量に洗濯ができる優秀な機械が入っていて、洗濯機を買わずに済むし、置く場所にも困らないし、それはそれでよかったのですが、いつでも洗濯できるわけではないし、いっぺんに干すことになってたいへん。アメリカ人は乾燥機を使うので問題ないのですが。

引っ越した先には、逆に住人用のランドリーがありません。2ベッド以上の広めの借家の集合体なので、個々の世帯で所持するのが前提とされているのでしょう。うちはというと、写真のようなものを、引っ越して街を出て行く人から買いました。日本で普及しているのか知りませんが、こちらではポータブル洗濯機とよばれるもので、写真のように水道の蛇口につけて給水、排水をします。家の中に洗濯機と乾燥機が置けるスペースはもちろんあって、洗濯機用の給水・排水口がありますが、そこにはつなげない。だから、使うとき転がして台所まで持ってくる必要があります。

不便じゃないか、と思うかもしれませんが、普通の洗濯機を買うと、恐ろしいことになります。とにかく、でかくて重い。引っ越してきたご近所の家族は「できるだけ小さいのを探した」と言っていましたが、搬入を手伝ったとき、小柄なアジア人とはいえ男3人がかりでもなかなか運べず「これは下手をすれば大怪我だ」と思ったほど(実際、少し手に怪我をしました)。こんなものを運び入れ、引っ越すときには運び出すのかと思うと、ゾッとします。まして、ふつうは乾燥機も横に並べるわけで、たぶんそっちも死ぬほど重い。その二つを置くスペースに、小ぶりの洗濯機が一つ入っただけなので、スーツケース、冬服のケース等いろいろ収納できて家がすっきり。

これで、つぎつぎ出る汚れ物を少しずつ毎日洗える。二階建てになったので娘が寝ていても大丈夫(実際、そのタイミングで使ってます)。ということで、我が家の選択が大正解だったことを確信してます。早めに手を回したニョーボの大手柄。これが今回引っ越したもう一つのメリット。

(↓ つづく)

引越しのデメリットのほう

2010年08月10日 | Bloomingtonにて
一方、やっぱりデメリットもあります。そのひとつが裏庭。プランターが置けるし、娘が安全に水遊びができるスペースでもあり、いいのですが、ここは借りている世帯が管理するスペースなのです。

具体的には、芝刈りが義務。この国では、芝生をきれいに刈りそろえた庭が「よい住まい方」としての象徴的な意味を持つらしく、住民全員が、みんなのために自分が管理する区域の美観維持の責任を持つ。だから、しばらく放置すると管理事務所から「芝を刈ってください」という通知が来て、さらに無視していると罰金を取られる決まり。

写真のとおりの芝刈り機(紐が高速で回るやつ)が管理事務所で借りられます。一度も芝刈りなんかやったことがなかったので、メインテナンスの人のやり方を真似してやってみますが、まだまだ経験不足。どうやら、地面にうんと近く、一定の高さを保って動かす必要があるようですが、これも洗濯機とおなじくひどく重いこともあり、まだ上手くコントロールできない。しかもこの芝刈り機、中間の回転速度がなくて、回せば必ず超高速、恐ろしいうなり声をあげる。草は飛び散る、しばしば地面を削って砂利がすっ飛ぶ。芝刈りを始めると、娘が怖がって家中走り回ります。

今日、二度目に挑戦しましたが、こんな狭い庭をやるだけで25分。実際には20分で返す決まりになってるし、記録を見ると前の人なんか10分で返してたんですが、まだしばらく、そんなふうにはできそうもない。芝がよく伸びる季節でもせいぜい10日に一度くらいでよさそうですが、これは引っ越して増えた負担。

引っ越すとき、間取りや、裏庭の広さを考えて、一階建てを申し込もうかとも思ったのですが、生活スペース(一階)と就寝+仕事場(二階)を分けられたことも、夜の洗濯を考えても二階建てが正解。でも、なにより、裏庭が倍近くになって、今の倍近い芝刈り作業をやることになると考えるとゾッとします。二階建てでほんとうによかった。

(おしまい)

カレーには福神漬け

2010年08月09日 | 
私は漬物が全般的に好きではありません。とくにぬか漬け。それで困ることはまずないのですが、一つだけどうにも我慢ならないことがあります。それはカレーといっしょに出される福神漬け。私はカレーが大好きなのですが、福神漬けをどうしていっしょに出すのか、理解できません。

「嫌いなら食べなきゃいいじゃないか」と思うかもしれませんが、出されたものを残すのが非常に気が引ける性質なので、結局たいてい、しぶしぶ食べることになります。極力カレーの味に影響しないように、どこかで、一気に。人と一緒にいれば福神漬けだけもらってもらうこともできますが、それでも一部にあの臭いはのこる。そんなわけで、大好きなカレーを食べる悦しみを著しく阻害されるのです。

もちろん、「カレーには福神漬けが必須」と思っている人に改心してほしいわけではありません。ただできれば、福神漬けを「オプション」にしてほしいのです。牛丼屋だって、紅しょうがは別にしてあるじゃありませんか。どういう方法でもかまわないので、カレーを頼んだら自動的に横に添えるのをやめてもらえないものでしょうか。あれでは「カレーを食うなら福神漬けも必ず食え」と強制されているような気になる。実質的な不都合・不利益が確実に予測される人がいるにもかかわらず、そういう人も含めすべての人に「結婚するなら必ず姓を統一しろ」とする現在の民法のようなものだ、とでも言ったらいいでしょうか(←だから、食わなきゃいいんだって)。

先日、中部国際空港で日本最後の食事をしたとき、カレーを頼んだのですが、やはり福神漬けが添えてありました。ご丁寧にラッキョウの酢漬けまで(これも大嫌い)。以前、学食で給仕してくれる方に、「あ、福神漬け要りません」と頼んだことがありますが、今後はレストラン等でも、あらかじめ「福神漬けを添えることになっているなら、不要に願います」と告げることにしようかと思います。といっても、しばらく日本に行かないので、そういう機会はないのですが。

今日、夕食の準備をしながらこの件をニョーボにぐだぐだ語ったところ、彼女は日本的なカレーなら福神漬けがあるほうが嬉しい人であることが判明。「じゃあ、うちではオプションにしてあげる」とのこと。Bloomingtonでも日本のカレールーは売ってますが、高いのでうちで日本風を作ることはありません。そもそも福神漬けは手に入るのだろうか。。。(←追記:アジア系スーパーで売ってるそうです、紅しょうがも) 写真はこの間作ったチキンカレー。インド・中東系の学生も多いため、スパイスはたいへん安く買えます。

♪今日の料理 メニューは...

2010年08月06日 | Bloomingtonにて
先日、娘がTVをつけたところ、ちょうど料理番組が始まるところ。さて、今日ご紹介するのは... ハンバーガー! そんなもん、レシピを紹介するほどの。。。 何か違うのかと思ってみていると、さにあらず。実にシンプル。そこで、今日、お昼ごはんに作ってみました。

パティ、牛ひき肉のかたまりにラップをかけて上からのし棒でゴロゴロ、丸く薄くのばす、あとは塩・コショウをして、準備完了(塩はしっかりきつめに)。これをフライパン(油なし)で焼くだけ。

バンズ、バターを塗って、オーブンで軽く焼く。これはやったほうがよかった。やらないとふにゃふにゃ。ちなみにバンズは、引っ越したら近所になった、パン工場のアウトレットで格安で買ってきたもの。あまりに安くて、もうスーパーで買う気になれない。

パティを片面焼いたらひっくり返して、チーズを乗せる。チーズが溶けたらちょうど食べごろ。バンズの片方に載せ、さらに玉ネギの輪切り、レタス、トマト、ピクルス。もう一つのバンズにはマスタード、マヨネーズ、ケチャップを塗る。最後に両方を合わせて、上からぎゅっと押して、ハイ召し上がれ。

写真ができあがり。味はというと... マヨネーズ、ケチャップを多めにすると、わりによく食べるBurger KingのWhoopersとほぼ変わらない。上記のとおり、腕の違いが出るような箇所もなく、誰がやってもほとんど失敗のしようがない。言語学科のピクニックでアメリカ人学生が作ってくれるときもおんなじやりかた。これなら、食べたくなったら作りゃぁいいじゃないかと。専門店とかがあるのは何故だ。

学会で食事に行くと、貧乏学生ゆえ、できるだけ安いものを探すのですが、そうすると最終的な選択肢が「チーズバーガー」になったりする。たしかに、ファーストフードのものよりは美味いのですが、夕食にするのに抵抗がなくはない。さらに思い起こせば10年以上前、仕事で3週間滞在したオレゴン州のとある大学の学生寮で、夕食のメニューがほぼ毎晩ハンバーガーで、驚くやらうんざりするやらでした。ファーストフードであり、ピクニックの定番であり、正式の食事のメニューにもなる。まあおいしいとは思うけど、そんなに食わなくても。。。

私がやる!

2010年08月04日 | Bloomingtonにて
わが娘、ここ一月くらい、単語のみの発話から二語文へと発展しそうな兆しが見えてましたが、ついに使い出しました。最初は、たんに一かたまりの表現を記憶して使っているだけかも(たとえば「こっちおいで」とか)、と思ってました。でも、ここ一週間で頻度が上がり、「おうち、ある」のように、二つのフレーズの間に明確なポーズもある。その他、「これを... はずすと... 出てくるの」「ここ、ある(ここにあった)」「ここ、おして」「コーンが、おいしいね」「しゅうくん、きた」「かえで、やる(私がやる!)」など。1歳10ヶ月はやや遅いほう? ともかく、どうやら確実に二語文を話せる時期に入ったようです。 

それから、最近で目に留まったのは、「持っててて」のように、「動詞+ていて」の口語形「動詞+てて」の「て」をよぶんに言うこと。正しいこともあるし、多すぎることもある。

さらに、最近は「許可を得る表現」を使いたがる様子が見えます。たとえば出かけるときに人形をこちらに見せながら、「持ってく?」と聞くのですが、発話の意図は「持って行っていい?」ということ。その形式を使えないので(親が彼女に対して使ったことは何度もある)、とりあえずこの形式を試していると思われます。

また、こっちに向けてあれこれ話しかけ、こっちが意図が汲み取れないと、そのこと(通じなかったこと)は分かるようで、もう一度、二度と試し、それでも通じないと、戸惑いの表情をうかべる。逆に通ずると満面、喜びの表情。このように、自分が思いつく表現を試してみようという意欲がとても強いのは、外国語学習でも望ましいことで、お手本とすべき態度だなあ、と思います。

振り返ると、日本で過ごし、多様な入力を浴びた一ヶ月は大いに刺激になったようです。Bloomingtonで知り合った日本語を話す親がいるご家族も、日本語の能力を発達させるのに苦心なさっていたようです。日本人が親ならアメリカで過ごしても日本語が習得されはしますが、それだけではフルに言語能力を発達させるのは簡単ではなさそう。多くの旅費をかけて毎夏日本でひと月ほど過ごす、というご家族もありましたが、間違いなく大きな効果があったようでした。

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新しい家には、小さいながら裏庭があります。写真は、先日そこに入ってきたウサギ。これも娘は大喜びでした。

子育て支援 フィンランドの場合 読書録5

2010年08月03日 | 
日本で、たまたま訪れた公民館にあった本。フィンランド語を研究しており、昨年行ってもみた、ということで、興味を持って読んでみました。日本語の本は久しぶり。

渡辺久子他 編著 『子供と家族にやさしい社会 フィンランド』 明石書店

フィンランドがここ数十年で、いかに社会による子育て支援のしくみを充実させてきたか、ということが複数の著者によって述べられています。フィンランドは何らかの理由でかつての極端な少子化状態を脱し、最近はあるていど高い出生率(それでも、人口を維持できるレベルには達しない)を維持しているらしい。ただし、この本で述べられている支援がその要因なのかどうかは、実証的に検討されるべきだと思います(フィンランドの例に限りませんね)。

ずっと前(2005/5/17の記事)、赤川学『子供が減って何が悪いか!』という本の感想を書きました。その本の趣旨に今も賛成で、「結婚しても共稼ぎ、仕事も子育ても犠牲にせず、という「勝ち組」ライフスタイル」に偏った支援がなされるのは問題だと思います。この本も子育て期の収入減を補う支援策に多くのページを割いて説明をしてはいますが、同時に子や親が抱える問題を共有したり、相談できる場の整備(と人材の確保)に力が入れられていることも述べています。

好感が持てるのは、このようなシステムに、医師などの専門家による民間の活動に端を発し、のちに公的施策として取り上げられたものがかなりあるらしいことです。中にはそういう市民活動家から、そのような施策を担当する役人になった人もいるそうな。フィンランドの市民社会が成熟していることを感じました。

ということで、紹介されている支援策は、読む限りよさそうに思えるのですが、問題点(やっぱり、あるはず)がほぼ語られていないので、逆にどこまで本当に評価できるものなのか分からない。いいことしか見せてくれないのでは鵜呑みにはできないかも、という印象が残ってしまうのは、伝え方として成功なのかちょっと疑問です。

もう一つ疑問なのは、本の構成。いくつかの講演の内容がそのまま収録されているからか、複数の著者によって、同じ子育て支援策の情報について再三論じられるなど重複が多い(しかも微妙に違ったりして混乱する)。章どうしの関連も希薄で、一冊全体としてまとまった内容が伝わってこない。こんなに面白いトピックについて、最前線で活躍する人々が論じているのに、ちょっともったいない気がします。

ところで面白いというか、衝撃的だったのが、収録された統計。たとえば子育て期の家庭について、額面の収入と、子育て支援のための税控除・補助金などによる再分配後の収入を比べたデータ。当然ながらほとんどの国で、再分配によって収入は上がり、支援策の恩恵を受けているのですが、そのデータ内では日本のみが、逆に収入がちょっと下がっているというのです。統計は算出方法によって違いが生じるものだから、元データに戻って確認するなどしないと確実なことは言えませんが、本当だとすればすごい話です。再分配の方法が悪いか、分配するといって徴収した税金の一部が、分配されないでどこかに吸収されてるか。。。 いずれにしても、日本の少子化が食い止められそうだと思えるデータではありませんでした。

ともあれ、個人的には、少子化どうこうより、実際に生まれてきた子供たちが、どこに生まれたのであれみんな、大切に育てられる状況を促進するような社会であってほしいものだと思います。