下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

収穫

2007-06-06 22:27:55 | 夢見るお年頃

パセリとチャービルの芽は僅かながら成長しました。

 パセリ

  
チャービルとローズマリーの花。

 ラズベリーはそろそろ収穫。

ブルーベリーは色づき始め先日いただいたレモンバームは無事に根付きました。


続・画像

2007-06-06 22:27:19 | 夢見るお年頃

お祭りには縁日がつき物のような気がします。


 
素盞雄(すさのお)神社・天王祭。(境内にて)

  南千住と今戸の提灯。

 
地域や子供の神輿に付く大人の対応によって将来の担ぎ手の姿は
違ってくるかも知れません。

浅草神社では国際結婚が神前で行われていました。
 浅草神社。


 二天門。

 メインストリートの一本裏の道。

 のれん専門店。

 二十年くらい前には年に数回は
お邪魔していたおもちゃ屋さんもモンチッチ専門店に変身。おそらく僕より身長は高く、
180センチはありそうです。生き残り、益々の繁盛、見事でご猿!
ダーウィンの進化論では強さや賢さ以上に変化に対する適応性が生き残るには必要と
説かれていたような気もしますが、現在浅草にある店舗の多くが江戸下町情緒たっぷりな
演出でデザインされリニューアルしているように見えました。
本道から外れた細い路地には「浅草名物揚げまんじゅう」の看板を出す店内に
日本語でも韓国語でもない言葉で会話しながら大陸の逞しいオバサンが二人
黄色いTシャツを着てまんじゅうにトロを付けて揚げておりました。

昔のままに残っているお店も数は減りましたが在りました。
 ブロマイドのマルベル堂です。
僕が中学校の帰りに友人と通った時にも貼ってあったような小林旭や
白馬童子、凄く若いキャンディーズ、元祖御三家、若大将なんかもいたりして、
40代以下の方に名前当てクイズ全問正解者はいるのでしょうか?

 三社祭り後のこの時期、
下町は毎週どこかで祭りや縁日が見られます。植木市のポスターも僕の
父はお富士さんと言っていました。あまり好きではなかったハズの浅草に
僕達兄弟が行ってしまう理由は子供の頃に父が浅草を原風景と思うように
マイクロチップを兄弟の体のどこかに埋め込んだに
違いありません。そう考えると全てが納得できるのです。

 
鳶の頭。カシラに聞けば宮出し、宮入り、今どの辺か・・・
神輿の位置や時間が分かります。動くGPS!
祭りではそんなシステムになっているんです。







 
先頭の神輿が6斜線の日光街道を
神社目指して渡り始めてから最終の神輿が道路を渡るまで数百メートルに6時間を要します。




 
ウマの上のマエストロの扇子はタクト。
担ぎ手はオーケストラ。リズムが狂ってくるとサポートが「LowLowLow」と声をかけながら
棒に躍動する動きを与えます。サンバホイッスルとは違いますがピリピリの笛も鳴り再び神輿は
一体となった動きをします。勿論、カンタービレで・・・
毎年何十基もの神輿を見ている人達は巧い下手を見抜きます。

二天棒の神輿は上下ではなくて左右の動きの「神輿振り」を見せます。
町屋に住む友人は南千住に在る神社に奉納したのは町屋の人間だから
宮出しの前棒は町屋が担ぐと言って胸を張ります。
彼の半纏の下は上下共に無地の白。白鳥と呼ばれる物です。
しかしながら、彼の白鳥はマバユイばかりの白というよりはつや消しの薄いアイボリー。
裾などは擦り切れているのですが、僕から見ると実に渋いのです。
加工して作ったのではなくて年月と彼の動きでできた「白物」なのです。
デニムの色落ちや擦り切れに一歩も譲らず引けをとらない代物なのです。
藍染の半纏同様に何ともイイ味を醸し出しているのです。
彼の町では古く小さな神輿を造り直したそうですが、当時の会長が皆で好きなの
選んでおいでと言ったそうで、神輿が通る一番狭い処で神輿の幅を考え、
曲がり切れる限界の長さの棒をオーダーしたそうです。
積み立てや募金を募って見積もりの半分お金が出来た時に
会長が残りは俺が出すからと言ったそうです。
そうして皆で作った神輿は故会長宅の前に来ると止まり、
「神輿振り」を今でもするそうです。そんな神輿を家人全員がご苦労様と迎えます。
祭りにかかわり貢献した人達への礼儀と感謝を彼の町の担ぎ手達は語り告いでいきます。
今回の祭りでは彼を発見できませんでしたがココの神輿を見るといつも彼を想います。


 
先頭は日光街道の立体交差目前。

 

彼が白鳥から浴衣に着替えて祭りに参加するのは
どれくらい先なのか見当がつきません。

途中街路樹の余白?に近くの住人が思い思いの草花を植えて
楽しんでいる事に気づきました。
 
この後は朝顔、ほうずきと続きます。