下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

試食テスト

2007-06-07 22:00:01 | パンのパレット

気温、湿度ともに上昇、しかも天候は不安定。
今日は角切りベーコンを試食してみました。

 なんとなくチト寂しいイロドリ。
明日は味か色かを加えてみますのでお楽しみにしてください。

四国に帰省していたお客様からお土産をいただきました。

 薄皮饅頭といえば茶色のヤツとばかり思っていました。
夜行バスで9時間寝てたら四国に到着していたそうです。

昔はオートバイの名前には「号」がついていたんだと思い出しました。
 それにしても「生沢」???
角店なのでもう一方の看板にはこの店の名前と思しき屋号が書かれていました。
生沢とはあの方のことなんだろうか?としばし記憶を辿ってみたのですが、
やはり浮谷東次郎亡き後に日本のモータースポーツを背負って走った
生沢徹さんのことしか想い浮かびませんでした。
白いヘルメットの上を赤く円形に塗った氏の写真を思い出します。
英国を拠点にヨーロッパのサーキットで活躍された記事を僕は
毎月読んでいました。活躍がもう少し遅ければたぶん日本人最初の
F-1パイロットになっていたと思います。
チームオーナーとしてレース活動をなさっていましたが、チームのエースドライバーである
中島悟がHONDAのオファーを受けてF-1に行ってからはモータースポーツの世界で
氏の名前を見ることが僕は無くなりました。
その後はクラシカルなデザインのバイクのタンクを製作していたり、
自転車の工房をなさっていたように思います。
僕が勝手に覚えている氏の印象深いレースは
バイクレースから4輪に転向してポルシェ904(式場氏、スポンサーはトヨタ?)を
相手にプリンス・スカイライン2000GTで短いながらも904の前を走った
鈴鹿の日本グランプリ。
F-1のタイムを凌ぐF-2が現れるドライバーズ・サーキットのドイツ・ニュルブルックリンクでの
白い車体に赤い日の丸のホンダSを駆ってのクラス優勝。
優勝者の国歌を流す表彰式で主催者に「君が代」の準備が無く急遽居住先の
英国国歌が流れたエピソード。
英国F-3で頭角を現してF-2にステップアップ。定かではないけれど、たぶんスエーデンの
サーキットだったかで暴れん坊のC・レガツォーニに追突して表彰台を逃したレース。
その後レガちゃんはF-1フェラーリチームで走ってますから当時の
生沢氏の速さが分かるというものです。
その間にも日本に帰国して第4回日本グランプリで今度は因縁のポルシェ・カレラ6を
ドライブしてニッサン(プリンス)R380Ⅱを相手に優勝してみせました。
サーキットの看板やTVのCMにはコカ・コーラがスポンサーに付いていましたが、
TV画面の映像には生沢ポルシェに貼られたペプシ・コーラが
放映時間いっぱい映し出される結果となりました。
僕は「生沢」の二文字を見てそんな事を想いました。
お店はお休みなのか廃業してしまったのか分かりませんが
いつか確かめてみたいと思う気持ちと
聞かずにおこうと思う気持ちとに分かれます。