創業以来46年になる
屋台のアラジン珈琲に
行くためにマズ食事。
夕飯は佐野のアウトレット近くの店。
外観はコンクリートのウチッパナシでライトグレーのキューブ型。
デザートにはタルトなんかもある「蕎麦」の店。
コーディネーター先生のオススメは「蕎麦」も旨いが「うどん」もイケるし車海老の天麩羅は外せない…
結局、選んだメニューは
蕎麦うどん盛り合わせ天麩羅付き。
東京より量の多い一人前…
もう食えません!
話していて思ったんですが
当たり前!?人によって「海」というのがドノヘンなのか違うもんなんですね。
京成線沿線の住民にとってマイカー時代の少し前は京成電車で海でした。
CMで「グングン京成」などと流れていたのか車体の色のせいなのか
イマイチ箱根・小田急ロマンスカーとか茅ヶ崎、江ノ島とは違ったイメージでした。
海が見えてても大磯ロングビーチ!で船橋ヘルスセンターとは違ってた。
ロングビーチでは夏のTV番組では必ず登場したロケーション。
大きなプールといえば池袋のマンモスプール、西新井の東京マリンに
後楽園にも流れるプールが在りました。
東京マリンの中の急角度の滑り台上からは足立の花火も見えましたっけ。
彼と話していて彼の海は茨城、御宿だったりしましたが外房は波が荒く
放浪癖のある僕は厳重注意を受けてからの海でした。
稲毛も谷津遊園も潮干し狩りに行ったような記憶。
でも京成沿線で一番記憶に残るのは中学生になって友人と行った
船橋サーキット。
エキゾーストノートと焼けたカストロールオイルの匂い。
デイトナ・コブラやEタイプのジャガーは大きなボディを持て余し
Z以前のフェアレディも走ってましたがホンダ、トヨタの800バトルや
ロータス・エランが強く印象に残ってます。
ホンダは生沢さんでトヨタは浮谷東次郎さんのイメージが残り
市川には浮谷さんの実家もありましたね。
もう知ってる人の少なくなった話ですね。
僕は日本で最初に F-1のシートに座るのは浮谷東次郎だと思ってたんです。
夏は毎週末 バイトが終わって皆に遅れて一人飛ばした車
この数十年ではコナを連れてった N ちゃんの住む海が一度 ・ ・ ・
コナは波打ち際でノーリードの老いたハスキーに出会いました。
それにしても免許取りたての頃
弟と引き取りに行ったベレG・Rはオレンジの車体にボンネットがマットブラックで
おまけにマフラーのどこかに穴でも開いていたのか人の迷惑かえりみず
爆音撒き散らし夜でなかったら自走して帰ってくる気にはなれなかったカモ
http://www.youtube.com/watch?v=8TX-VZhcR0s
マッ免許取ったばかりの頃はセダンに限らず軽でもトラックでも
走るモノなら何でも運転してみたかったもんです。