独立して数年後の正月前に A 君に聞いたんです
” 伊勢海老クウ?”
彼、母にも言ったらしく僕が彼の家を訪ねると
オバサンが 「 悪いわねェ~ 」 と玄関で僕を迎えたんです。
カッコ悪かったァ~ 僕が持つ箱の中の伊勢海老は僕が焼いたパンでできていたから ・ ・ ・
ずっとずっと前のコトなのに今でも思い出すと顔から火 ・ ・ ・
それだけじゃなくイロンナ事があったのにジジイになっても会えば十代に戻れるんです。
彼と初めて出会ったのはクラブハウス?のモトクロス・バイクの前でした。
そういえば
掛け持ちしてた一つのバイト先で給料日に「職人は給料もらうと休むが君はドウ思う?」って
聞かれたんです。
今なら”ソウなんですかァ”とか言えたのに当時は”そりゃマズイですね”みたいに答えた記憶。
給料日の夜モトクロス仲間がドライブに皆を誘って車を走らせ始めたんです。
当時は東北道も完成してなかったと思うんですがノッテしまって栃木の先で下りたんです。
下道には雪の壁が現れ雪の上には 〇。
〇 はバスの停留場の看板で時間は夜を大きく過ぎた深夜。
会社の車を引っ張り出してきたハットリ君(ホホに蚊取り線香は無かったが忍者ハットリ君に
似ていた)はシッカリ有給休暇取っていて残る三人は翌日も仕事やバイトがあったにも関わらず
走り続けて真夜中、雪の会津若松。
ハットリ君はレースで優勝、入賞を重ねて翌年はノービスからジュニアに昇格するほど速く
二輪も四輪も運転は巧かった。
だからアイスバーンも僕等は全く不安無く同乗してたんですが数台のバイク積んだトラックでも
ハットリ君はハーフスピンさせながら走るなどオフザケが過ぎるんです。
その彼が「眠い!休もう」と言い出して真夜中に予約も無しに泊まれる処の
オバサンいわく「 特 別 に 」で一部屋に男四人。
皆、初めてのそのような施設利用でドンナだったかはご想像にオマカセです。
翌朝、一人を除き欠勤決めて吹っ切れた三人は「鶴ヶ城」など観光と会社への電話。
電話は A 君の次で彼の後ろに立ってたんですが
自宅で一緒に仕事をしてる兄に彼が「 俺、今、会津若松」と ブッキラボウに言うと
僕にも聞こえた大きな声で「バカヤロー!!!」
僕の電話もケッコウ辛く当たり前のようにバイト先での信用は失った。
その時の四人にはイキ急いだ仲間もいるけど今もバイクに乗るのは僕一人になった。
A 君の兄貴は稲垣潤一に似てて今でも何かで見ると彼の お兄さんを思い出すんです。
http://www.youtube.com/watch?v=nMnrKFgh62Q
もっともっとイロイロあったのに A 君がひょっこり現れるのには感謝です。
仕事より異性より やっぱ友情?
誰にもバッサリ縁が切れる人、切れない人がいると思うんですが
僕を切らないでいてくれる常識的でフツー ・ ・ ・ じゃない!!人たちに
支えられてるような気がします。
http://www.youtube.com/watch?v=9gKnQn-DW80
帰宅した兄との間に数人の姉をはさんだ次男で末っ子の A 君にオバサンは
「折角行ったんだからもっと泊まって遊んでくればよかったノニ ・ ・ ・ 」と言ったそうです。
女手ひとつで子供たちを育て上げたオバサンは
何でもズバズバはっきり言う怖くて優しい人でした。