今日は日本全国で「文化祭」が一番多く開催される日かもしれませんね。
学生時代はソニーもホンダも元気ハツラツ伸び盛りで世界に挑戦してました。
もちろん、今でも世界に名を知られた企業ですが、当時の日本企業は
成熟し世界にも歴史に残る大きな変化がいくつもありましたよね。
さて文化祭なんですが、学祭とも言ってましたっけ・・・
僕らが学生の頃は当然、携帯電話もパソコンも有りませんでしたが、
バイクや車は今より野蛮で個性的、しかも身近にあったような気がします。
アノ頃の11月は毎年各学校自動車部の主催するラリーに参加してました。
アノ頃とは車でいえば、初代ボンダ・シビックが発売された頃です。
僕らは埼玉の草加もしくは松原団地の近くに位置する
獨協大学自動車部が主催するラリーに3年くらい連続で参加したような記憶。
それ以前に初めて参加したのは立教のラリーでした。
大きな事故は一回、真夜中の筑波山道でブルーバードSSS横転、
タイロッド破損で自走不能なんてコトもありました。
それ以来、僕がナビの時は正確さより安全優先して計算では遅れてても
ドライバーには 「 オン タイム 」 と伝えてましたから入賞は絶対できませんでした。
独協ラリーの楽しみは規定時間内にゴールし、完走を確認した後に行く体育館?でした。
僕らが決まってソコで食べるのは毎年ボルシチ。
自分でも寒くなるとボルシチ煮込むんですが、赤いスープを作るたび
思い出すのは独協のラリーです。
そうそう、一度だけトロフィーもらいました。
友人の父が所有してた「観音開きのクラウン」で参加した時は、それまで毎年
その賞を取り続けた東京大学自動車部を破っての快挙?だったんです。
賞のタイトルは「オールドファッション賞」で
ラリー参加車中、最も年式の古い車を完走させたチームの栄誉をタタエル賞でした。
毎年、東大の「縦目のセドリック」が賞を独占してたんで僕らの秘密兵器「漢音開き」を
登場させたんです。
2~30分指示された時間に遅れようとも気になりませんでした。
ただ、完走だけは出来なければ賞どころかスタート地点で多くのギャラリーから
笑いながら見送られたダケのことになってしまいますから必死でした。
黒いボディには白いマジックで「どうせ消せるから」と先輩が言った言葉を真に受けて
いろんなイタズラ書きしてたんです。
友人の父に返す前、洗車なんてナマヤサシイ作業では全く白が消えませんでした。
全員、ベストキッド1の少年なんか問題にならぬほどゴシゴシやって全ての白を
消し去った時には黒いボディのクラウンのツヤも消え、もはやマットブラック!
ツヤの消えうせた愛車を見た時の彼の父の顔は お気の毒で想像すらしませんでした・・・
もちろん、トロフィーは差し上げましたけどね。
それと ・ ・ ・ あまりに ふざけたチーム名だったんで、大きな教室の結果発表、
表彰式でチームの名前が呼ばれても、
僕達は誰一人「ハイ」は当然、手を上げる挙げる者はいませんでした ・・・
それはもう、なんとも不思議な光景で司会進行役の部活顧問と思われる方の
大きな声だけが教室にリピートしてました。
結局、ザワザワ、きょろきょろするオーディエンスの中を ・・・
しかねぇかと立ち上がって最後列から最前列前の教壇に向かって
階段を下り始めたトコで僕の記憶は自己防衛本能からか無くなってるんです。