下町のパンを食べてみませんか?

千住、緑町ゆうやけ通り下町のパン屋パレット

バイクならぬ調子に乗ってしまって・・・恐怖!

2007-06-12 23:26:32 | パンのパレット
先週に続きケーキの注文がありましたので
苺探しをしてみました。
先週まではちょっと大きなスーパーはじめ
どこの売り場にも苺はあったのですが、
今週はどこも談合でもしたかのたように
さくらんぼが前面に出て苺が見当たりませんでした。
有るだろうを見て無かったのですが
あそこならに向う途中で片側3車線のど真ん中を
後続車も離れていたのでバイクのハンドルから
手を離してノビをしました。先日は横浜からの帰路で
このバイクの安定性の良さを確認していたので、
安心しきってのノビだったんですが、少し上体を
後ろに反らしてみたんです。
バイクのマニュアルには前後重量配分はほぼ同じで
誰にでも乗れる素直な特性。
ところが体重を後ろに掛けて手を離していたもんだから
ハンドルが怖ろしい速さで左右に振れ始めたのです!
ナンジャこりゃ~~~~   
ひぇ~~~の悲鳴をヘルメットの中で噛み殺し
ナケナシの腹筋に活を入れハンドルを運良く
一発で掴みました。
当然というか勿論、背中に流れる冷たい汗など無視して
自分としては平然を装って走り続けましたが、
かなり慣れてきましたから気をつけなくちゃ・・・
雨は当然ですが、普段からマンホールの蓋や
鉄板の上は通過しない癖をつけています。
いつまでも乗っていたいから
調子と鉄には乗らないようにしなければ・・・
僕の免許の金色の線は事故と検挙に遭っていないだけの
運の良さだけの色かもしれませんから
今後は内容も充実させなきゃなりません。

肝心の苺は先週ここはイイと当たりを付けておいた
お店の隅にありました。以前はこの季節は苺は
使わずにケーキを作ったんですが、大抵のモノは
手に入る時代になったんですね。

夏の始の天気雨・・・なんだろか?

2007-06-10 22:35:43 | パンのパレット

自転車で行きかけた時に雨が降り出しました。
急遽、足を車に変更して出発。
東京には大雨だか雷雨だかの注意報が出ました。
目的地にはすぐに着きましたがカミナリまで鳴ってます。
傘を差して主催者の方々に挨拶して車に戻り、
トランクから二つのダンボール函をを運ぶにはカッパの防水性が
頼りです。販売代金はNPOの活動資金の一部にお当てくださいと
言い残して離れた車に戻る時、雨脚は一段と強くなって
みるみる道路は白くなりました。

♪ 夏の始の天気雨 ・・・ ツイテないのは~ 誰のせい~

天気雨とは違うけど、まあ、こんな事は今までに幾らもあった。
スニーカーの中も浸水。キャップはとっくに雨が突き抜けてる。
でもカッパ一枚羽織って雷雨の中を歩くのは
しとしと降る雨に傘を差すより何倍も僕は好きなんです。

気を取り直して昼食に寄った処で偶然に知人のF君に会いました。
彼は仕事で来たそうで、今日の天気が彼に合わせてくれたんだと
思うことにしました。

ここに寄る前に鳥越神社の近くにも行ってみましたが、殆どの
道路は通行止め。沢山出ていた露天の店にも人影はありませんでした。

帰宅後まどろみから醒めると雨はあがっているではありませんか!
夜、人を日暮里近くに送ってから
もう一度鳥越近くに行くとすっかり日は暮れていましたが
祭りの余韻は残っていました。
 帰ったらコナとの散歩です。

♪ 優しくなくていいよ クールなまま近くにいて~

僕には縁の無い歌詞ではありますが嫌いじゃありません。
(当然、僕は優しくホットな訳でもありません。)

藤沢周平さんの映画「武士の一文」のキャッチコピーに
かつて、この国にあった・・・と聞いたような気がします。
僕は現在も確かにそんな心があるんじゃないかと思います。
中村中さんの「友達の詩」の歌詞にも心を感じます。
大切な人が見えていれば上出来
大切な人は友達くらいでいい
友達くらいが丁度いい

今週はまた暑くなりそうです
蝉しぐれは去年より早いかも知れませんね。

 


オファー

2007-06-08 22:52:11 | パンのパレット

日曜日の天候は予報によると良くありません。
出張販売を勧められているのですが雨天中止だそうで
出店判断には迷いがあります。
車の積載量から駐車代金を考えると完売金額だけではペイしそうにありません。
まあ当日は鳥越から合羽橋にかけてお祭りがありますから
見物がてら挨拶を兼ねての気持ちで出店するのが妥当かもしれません。
駐車代節約、温暖化防止協力になるなら
イッソのこと自転車で行くかとも考えています。
最近の自転車宅急便のようなリアカーがあれば最高なんですがね・・・
販売しながらマーケットも楽しんで町おこしにも協力できる。
おまけに自転車で僕の健康の為にもなるなんて美味過ぎるイベントですね。
たぶん自転車を利用しても利益は昼食代で消えるハズですから、
自転車でパンと昼食を交換しに行くぐらいに思っておきましょう。
販売依頼のあったパンは発芽玄米のパンです。
このパンがハーケンとなり自転車はピッケルとなって
登頂できたらいいのですが・・・

 


試食テスト

2007-06-07 22:00:01 | パンのパレット

気温、湿度ともに上昇、しかも天候は不安定。
今日は角切りベーコンを試食してみました。

 なんとなくチト寂しいイロドリ。
明日は味か色かを加えてみますのでお楽しみにしてください。

四国に帰省していたお客様からお土産をいただきました。

 薄皮饅頭といえば茶色のヤツとばかり思っていました。
夜行バスで9時間寝てたら四国に到着していたそうです。

昔はオートバイの名前には「号」がついていたんだと思い出しました。
 それにしても「生沢」???
角店なのでもう一方の看板にはこの店の名前と思しき屋号が書かれていました。
生沢とはあの方のことなんだろうか?としばし記憶を辿ってみたのですが、
やはり浮谷東次郎亡き後に日本のモータースポーツを背負って走った
生沢徹さんのことしか想い浮かびませんでした。
白いヘルメットの上を赤く円形に塗った氏の写真を思い出します。
英国を拠点にヨーロッパのサーキットで活躍された記事を僕は
毎月読んでいました。活躍がもう少し遅ければたぶん日本人最初の
F-1パイロットになっていたと思います。
チームオーナーとしてレース活動をなさっていましたが、チームのエースドライバーである
中島悟がHONDAのオファーを受けてF-1に行ってからはモータースポーツの世界で
氏の名前を見ることが僕は無くなりました。
その後はクラシカルなデザインのバイクのタンクを製作していたり、
自転車の工房をなさっていたように思います。
僕が勝手に覚えている氏の印象深いレースは
バイクレースから4輪に転向してポルシェ904(式場氏、スポンサーはトヨタ?)を
相手にプリンス・スカイライン2000GTで短いながらも904の前を走った
鈴鹿の日本グランプリ。
F-1のタイムを凌ぐF-2が現れるドライバーズ・サーキットのドイツ・ニュルブルックリンクでの
白い車体に赤い日の丸のホンダSを駆ってのクラス優勝。
優勝者の国歌を流す表彰式で主催者に「君が代」の準備が無く急遽居住先の
英国国歌が流れたエピソード。
英国F-3で頭角を現してF-2にステップアップ。定かではないけれど、たぶんスエーデンの
サーキットだったかで暴れん坊のC・レガツォーニに追突して表彰台を逃したレース。
その後レガちゃんはF-1フェラーリチームで走ってますから当時の
生沢氏の速さが分かるというものです。
その間にも日本に帰国して第4回日本グランプリで今度は因縁のポルシェ・カレラ6を
ドライブしてニッサン(プリンス)R380Ⅱを相手に優勝してみせました。
サーキットの看板やTVのCMにはコカ・コーラがスポンサーに付いていましたが、
TV画面の映像には生沢ポルシェに貼られたペプシ・コーラが
放映時間いっぱい映し出される結果となりました。
僕は「生沢」の二文字を見てそんな事を想いました。
お店はお休みなのか廃業してしまったのか分かりませんが
いつか確かめてみたいと思う気持ちと
聞かずにおこうと思う気持ちとに分かれます。


収穫

2007-06-06 22:27:55 | 夢見るお年頃

パセリとチャービルの芽は僅かながら成長しました。

 パセリ

  
チャービルとローズマリーの花。

 ラズベリーはそろそろ収穫。

ブルーベリーは色づき始め先日いただいたレモンバームは無事に根付きました。


続・画像

2007-06-06 22:27:19 | 夢見るお年頃

お祭りには縁日がつき物のような気がします。


 
素盞雄(すさのお)神社・天王祭。(境内にて)

  南千住と今戸の提灯。

 
地域や子供の神輿に付く大人の対応によって将来の担ぎ手の姿は
違ってくるかも知れません。

浅草神社では国際結婚が神前で行われていました。
 浅草神社。


 二天門。

 メインストリートの一本裏の道。

 のれん専門店。

 二十年くらい前には年に数回は
お邪魔していたおもちゃ屋さんもモンチッチ専門店に変身。おそらく僕より身長は高く、
180センチはありそうです。生き残り、益々の繁盛、見事でご猿!
ダーウィンの進化論では強さや賢さ以上に変化に対する適応性が生き残るには必要と
説かれていたような気もしますが、現在浅草にある店舗の多くが江戸下町情緒たっぷりな
演出でデザインされリニューアルしているように見えました。
本道から外れた細い路地には「浅草名物揚げまんじゅう」の看板を出す店内に
日本語でも韓国語でもない言葉で会話しながら大陸の逞しいオバサンが二人
黄色いTシャツを着てまんじゅうにトロを付けて揚げておりました。

昔のままに残っているお店も数は減りましたが在りました。
 ブロマイドのマルベル堂です。
僕が中学校の帰りに友人と通った時にも貼ってあったような小林旭や
白馬童子、凄く若いキャンディーズ、元祖御三家、若大将なんかもいたりして、
40代以下の方に名前当てクイズ全問正解者はいるのでしょうか?

 三社祭り後のこの時期、
下町は毎週どこかで祭りや縁日が見られます。植木市のポスターも僕の
父はお富士さんと言っていました。あまり好きではなかったハズの浅草に
僕達兄弟が行ってしまう理由は子供の頃に父が浅草を原風景と思うように
マイクロチップを兄弟の体のどこかに埋め込んだに
違いありません。そう考えると全てが納得できるのです。

 
鳶の頭。カシラに聞けば宮出し、宮入り、今どの辺か・・・
神輿の位置や時間が分かります。動くGPS!
祭りではそんなシステムになっているんです。







 
先頭の神輿が6斜線の日光街道を
神社目指して渡り始めてから最終の神輿が道路を渡るまで数百メートルに6時間を要します。




 
ウマの上のマエストロの扇子はタクト。
担ぎ手はオーケストラ。リズムが狂ってくるとサポートが「LowLowLow」と声をかけながら
棒に躍動する動きを与えます。サンバホイッスルとは違いますがピリピリの笛も鳴り再び神輿は
一体となった動きをします。勿論、カンタービレで・・・
毎年何十基もの神輿を見ている人達は巧い下手を見抜きます。

二天棒の神輿は上下ではなくて左右の動きの「神輿振り」を見せます。
町屋に住む友人は南千住に在る神社に奉納したのは町屋の人間だから
宮出しの前棒は町屋が担ぐと言って胸を張ります。
彼の半纏の下は上下共に無地の白。白鳥と呼ばれる物です。
しかしながら、彼の白鳥はマバユイばかりの白というよりはつや消しの薄いアイボリー。
裾などは擦り切れているのですが、僕から見ると実に渋いのです。
加工して作ったのではなくて年月と彼の動きでできた「白物」なのです。
デニムの色落ちや擦り切れに一歩も譲らず引けをとらない代物なのです。
藍染の半纏同様に何ともイイ味を醸し出しているのです。
彼の町では古く小さな神輿を造り直したそうですが、当時の会長が皆で好きなの
選んでおいでと言ったそうで、神輿が通る一番狭い処で神輿の幅を考え、
曲がり切れる限界の長さの棒をオーダーしたそうです。
積み立てや募金を募って見積もりの半分お金が出来た時に
会長が残りは俺が出すからと言ったそうです。
そうして皆で作った神輿は故会長宅の前に来ると止まり、
「神輿振り」を今でもするそうです。そんな神輿を家人全員がご苦労様と迎えます。
祭りにかかわり貢献した人達への礼儀と感謝を彼の町の担ぎ手達は語り告いでいきます。
今回の祭りでは彼を発見できませんでしたがココの神輿を見るといつも彼を想います。


 
先頭は日光街道の立体交差目前。

 

彼が白鳥から浴衣に着替えて祭りに参加するのは
どれくらい先なのか見当がつきません。

途中街路樹の余白?に近くの住人が思い思いの草花を植えて
楽しんでいる事に気づきました。
 
この後は朝顔、ほうずきと続きます。