Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアノソナタ第17番ニ長調「第2大ソナタ」作品53 D850(No.1585)

2008-08-17 18:20:52 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
本日は両端楽章について記す。


シューマンに罵倒された第4楽章


 ロベルト・シューマンが「シューベルトを崇拝していた」ことは事実である。交響曲「グレート」D944,ピアノソナタ ト長調作品78 D894,即興曲集D935 などに寄せた絶賛は有名である上

シューマン最高傑作「謝肉祭」ではシューベルトの「パクリ」がある


こともシューベルトファンは覚えておいてほしい。

  1. シューベルトファンはシューマンの曲を(シューベルトほどは)聴かない

  2. シューマン「ガクシャ」は不勉強でシューベルトの曲を全くと言って良いほど知らない


ので、あまり広く知られていないが(爆
 シューマンはシューベルトに絶賛を寄せただけでなく、罵詈雑言も多く寄せている。

一流作曲家は『全部自分の感性で創作している』ので他の作曲家への評価は極めて主観的


の事実を腹に入れておけば問題無いのだが、シューマン自身が「オレは客観的な評論家でもある!」を偽装し、多くの人が騙されている事実をここで明らかにしておきたい。(作曲家シューマンは一流の作曲家である、ことは 当ブログのカテゴリー『作曲家:シューマン』を読んでほしい)

 シューマンに拠る『ニ長調ソナタ作品53 D850 第4楽章批評』は次の通りでである。
  • 曲全体にがしっくり合いにくく、ひどく滑稽である。
  • これを本気に受け取ろうとする人は、滑稽に見えるであろう。フロレスタンはこの楽章をプライエル=ヴァンハル流のぐずぐず様式への当てつけだと呼び、オイゼビウスはコントラストの強い個所のなかに、子供を脅すときにやるしかめっ面を見いだしている。いずれの解釈もユーモアに帰着している」

とヌカしている。ちなみに

シューマン「子供のアルバム 作品68/12」でそっくりそのままパクったことを ブレンデルはDVDで披露している!


ので、興味ある方は是非購入して見て頂きたい! 『罵倒するだけしておいて、パクる』がシューマンの作曲人生なのだが、名曲もたくさん産んでいる作曲家なんだよなぁ(爆

 ・・・と言うシューマンの罵倒の影響で、第4楽章は「真面目に擁護する評論家」がほとんどいない。『必要なことで、他人のしないことを実行するのが私高本』が「デイリー」時代からのモットーなので、擁護の文を書く。

 ブレンデルも D850第4楽章を「子供の爛漫な気持ちで」と評している(DVD上の発言)が、超有名な大作曲家の1人は違うように考えていたようだ。

ウィーンの大作曲家マーラー は D850第4楽章 =「天使の楽章」と見なしていた


様子である。交響曲第4番と第7番の終楽章で「D850第4楽章風な終楽章」を書く。第4番でははっきり「天使」と明記している。
 マーラー と シューマン のどちらを信じるかは、「聴くあなたの感性次第」である。私高本は この楽章に関しては、圧倒的にマーラーを支持する! 『罵倒しておいてパクリ』のシューマンよりも信頼度は遙かに高い。


 さて、第1楽章について語る。

 自筆譜 と 初版楽譜 では「根本的にテンポ表示が異なる」ことは、旧シューベルト全集 以来、何度も何度も語られて来たことだが、

この楽章への罵倒の全ては「テンポ設定が速過ぎる」ことの1点だけ!


なのだ。マジ。影響が多大であった2人の発言を引用しよう。

  1. これはイ短調ソナタ(D845)よりもはるかにヴルトゥオーゾ的であって、われわれは、ボクレットを考えて書いたことが第一楽章にための構想を台無しにしたと言わざるをえない。それは形式においては因習的で、長大ではあるが、いささか内容空虚であり、ただ第二主題のあとの<ウン・ポコ・ピュ・レント>の純粋で和音的で、変化したリズムによる主題だけがビーダーマイヤー的、フンメル的シューベルトでなく、<ロマンティッシュ>なシューベルトから」生じている。(アインシュタイン)

  2. 提示部の繰り返しを守る無駄であるだけでなく、曲を台なしにすることがある。繰り返しがぜひとも必要なのはニ長調のソナタ(作品53)だけで、他の3曲(高本注 : ハ長調D840,イ短調D845,ト長調D894)はどちらでもよい。素材の出し方がもっと簡単だからである。(ブレンデル)


 う~ん、アインシュタインの言い方は腹が立つし、ブレンデルの言い方は「ニ長調ソナタの第1楽章は 複雑過ぎる出だしの上「短い」ことを指摘している。
 ・・・ので、他のソナタより圧倒的にわかり難い」の意味が直裁的に出ている。ホントかよ、、、

 もう1度、「初心に返って」シューベルトの「初版楽譜」に準じた楽譜で D850第1楽章を読んでほしい。(皮肉なことだが、「新シューベルト全集」とヘンレ版だけが「自筆譜」優先校訂で、「旧シューベルト全集」「ペータース版」「ユニヴァーサル版」「王立音楽院版」「ウィーン原典版」の5種類が「初版楽譜」優先校訂の出版) つまり

  1. 第1楽章 Allegro vivace 4/4

  2. 第3楽章 Allegro vivace 3/4

  3. 同一速度で演奏したのを聴いたことある???


である。
 テンポについて最も関心を寄せているのは、「王立音楽院版」である。シューベルト自身が「確信を持てないママ」に出版した様子を伺わせる記述である。すなわち

  1. Allegro 2/2

  2. Allegro vivave 4/4

  3. 双方はテンポ自体は全く変わらないハズ


である。つまり「テンポ自体は一定だが、ピアニストに対してどのように表現すると誤解が無いか?」が(少なくともシューベルトにとっての)最大関心事であっただろう。

 我が家には「シューベルトのピアノ曲のCDとLP」は腐るほどあるのだが、D850第1楽章について「第3楽章と同じテンポの録音」は皆無である。

全て『第1楽章のテンポ > 第3楽章のテンポ』で第1楽章が無闇に速い!


何で?

シューベルトは「テンポを厳格に守ってほしい」為に、2/2 → 4/4 に表記を変えた


と思われる。それを「プロコフィエフ : トッカータ」並みの超高速で弾かれたら、細やかな感情表現は全部消えるだろが!(怒
 ブレンデルの記述も「D850第1楽章は速く弾かれる」ことを前提にしている。ブレンデル自身相当速い演奏だ。私高本は好まないが。


 シューマンに罵倒され、アインシュタインに罵倒され、ブレンデルに皮肉られた D850。私高本は『D960に並ぶ名曲中の名曲』と思っている。但し、

テンポを落とせば落とすほど、「全曲演奏時間」が長くなりピアニストの負担が増大する!


問題がある。
 交響曲「グレート」を1人で弾く、ような負担のあるこの難曲を ブレンデル以上の名演で弾き通してくれるピアニストが1日も早く現れることをここ30年以上願って来た。(ブレンデルの旧録音を聴いてからの年月だ!)

 佐伯周子のテンポ設定はどうなるのだろうか? 近い内にインタビューしたい! と考えている。
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