今日は、ピアノソナタ第14番イ短調D784 の第1楽章第1主題について述べる。
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シューベルトの音楽は、誤解されているかも知れない。 素晴らしい歌曲のおかげで「旋律性」にあまりに偏り、解釈されているような気がする。 「誤解されている曲 = 器楽曲全般」について、である。
1.「主題」は、ハイドンやモーツァルトに比べるに及ばず、ベートーヴェンさえも超す「息の長さ」が【命】であるにも関わらず
2.「ハイドン」程度の「ブツ切り主題」と解釈され
3.音楽全体が「台無し」になることが多い
が原因。
D784 第1楽章第1主題呈示は、(まともなピアニストが譜読みすれば誰でも同じだと思うが)
●第1小節 ~ 第25小節
である。大馬鹿な解説で「第1小節 ~ 第4小節 が主題呈示、第5小節 ~ 第8小節 が第1確保」と書いてあるのを読んだ時は、頭がブッ飛んだ。 「頭大丈夫?」と。
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クレメンティやクーラウの「ソナチネ」程度の曲を作曲するのであれば、「主題の息の長さ」は必要ない。(クレメンティのソナタについては言及していないので、誤解ないように!)
「大ソナタ」(← 初版出版時のタイトル!) を作曲するには、ベートーヴェン以降の作曲家であれば、「ベートーヴェンと同じか、それ以上の規模と内容」を盛り込むのは当たり前であり、シューベルト が最も尊敬していた作曲家は ベートーヴェン!!!
●第1楽章第1主題呈示 = 第1小節 ~ 第25小節
●第1主題第1主題確保 = 第26小節 ~ 第60小節
以上で「呈示部の第1主題」は全部終了する。
1.ベートーヴェン並みの男性的な主題呈示
2.+ 各種の「七変化」ができる主題素材
にしか、この楽譜は(ベーレンライター新シューベルト全集であろうと、ウィーン原典版であろうと、ヘンレ版であろうと、ロンドン王立音楽院版であろうと、ユニヴァーサル版であろうと)どの原典版でも、他の解釈はあり得ないほどである。
・・・なのに、各種「解釈版」やらの悪影響にて、D784 は誤解されまくっているのである。 この続きは 明日号にて。
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循環ソナタ形式を支配する 素晴らしい D784 第1楽章第1主題
シューベルトの音楽は、誤解されているかも知れない。 素晴らしい歌曲のおかげで「旋律性」にあまりに偏り、解釈されているような気がする。 「誤解されている曲 = 器楽曲全般」について、である。
1.「主題」は、ハイドンやモーツァルトに比べるに及ばず、ベートーヴェンさえも超す「息の長さ」が【命】であるにも関わらず
2.「ハイドン」程度の「ブツ切り主題」と解釈され
3.音楽全体が「台無し」になることが多い
が原因。
D784 第1楽章第1主題呈示は、(まともなピアニストが譜読みすれば誰でも同じだと思うが)
●第1小節 ~ 第25小節
である。大馬鹿な解説で「第1小節 ~ 第4小節 が主題呈示、第5小節 ~ 第8小節 が第1確保」と書いてあるのを読んだ時は、頭がブッ飛んだ。 「頭大丈夫?」と。
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クレメンティやクーラウの「ソナチネ」程度の曲を作曲するのであれば、「主題の息の長さ」は必要ない。(クレメンティのソナタについては言及していないので、誤解ないように!)
「大ソナタ」(← 初版出版時のタイトル!) を作曲するには、ベートーヴェン以降の作曲家であれば、「ベートーヴェンと同じか、それ以上の規模と内容」を盛り込むのは当たり前であり、シューベルト が最も尊敬していた作曲家は ベートーヴェン!!!
●第1楽章第1主題呈示 = 第1小節 ~ 第25小節
●第1主題第1主題確保 = 第26小節 ~ 第60小節
以上で「呈示部の第1主題」は全部終了する。
1.ベートーヴェン並みの男性的な主題呈示
2.+ 各種の「七変化」ができる主題素材
にしか、この楽譜は(ベーレンライター新シューベルト全集であろうと、ウィーン原典版であろうと、ヘンレ版であろうと、ロンドン王立音楽院版であろうと、ユニヴァーサル版であろうと)どの原典版でも、他の解釈はあり得ないほどである。
・・・なのに、各種「解釈版」やらの悪影響にて、D784 は誤解されまくっているのである。 この続きは 明日号にて。