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今回の退職では、「建築方面に行くのかと思った」と幾人から言われた。
結果としては今までの「表示装置」を軸にした仕事なので違う。
新しい選択に至った経緯。
DRAMなどいわゆる揮発性メモリは記憶状態を維持するために
一定サイクルでのリフレッシュ動作を必要とする。
多分これに似た感じ。
仕事が拡大基調であれば(それは年功序列の前提条件みたいなもの)、
昇進などでそうしたサイクルは自然と訪れるが、
年々それは難しくなっている。
例えば私はこの15年間に8人の上長を仰いだが、
まず同じ上長と2年以上付き合うことはない。
そしてそれらの上長の内、さらに上に昇進した人は1人しかいない。
みんなどこへ?
私の居た事業はすべて遠からず産業革新機構のお世話になっている。
気づいたらみんな社外へと。
新規事業に取り組むならば、サイクル前提の継続ストーリーが必要。
少なくとも3サイクルくらい先を見込んで目の前のサイクルへの投資を行う。
でも自分が3サイクル先までいないんだから、誰もそんな絵は描かない。
目の前の1サイクルで精一杯。それも完結できない。
だから自分自身のサイクルは自分で作る。
本当に判断は4年遅いと思う。
僕も十分に早いとは言えない。
好きだから建築は学んだんだけど、
仕事にするかという点においては、過信はしていない。
でも組織を、いや社会を客観的に見るきっかけを貰った。
例えばエネルギー。
実は真剣にエネルギー関係をやりたいと思った。
でも日本の中だけで省エネ叫んでも駄目。
だってエネルギー消費の大半はアメリカ、そして今後は中国だから。
彼らと一緒に仕事しなくちゃ。
だから外資へ行くことにしました。
でも自宅から。
定年までのライフバランスも考えて。