詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

『モモ』(エンデ再読)

2010年07月26日 | 歴史
この有名なファンタジーの「時間」という言葉を、「お金」や「資本」と置き換えれば、このファンタジーはそのまま資本主義批判やマルクス批判になるのではと思う。(マルクスは資本に付随するものとして利子を考察)

約10年前のNHKの「エンデの遺言」という番組で、死の直前のエンデが、ゲゼルの画期的な思想として紹介した「老化(減価)してゆく貨幣」という方がまともなのであって・・すべての物が老化して最後には死滅してゆくこの世界で、唯一利子を増やして増殖してゆく「お金」「資本」こそが、異常なのではないのだろうか!?

《時間というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象(かたど)ったものなのだ。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。》(「モモ」より)