◆米中はおそらく、日本解体で合意したのではと思う。日本は異常な国だ。19年間海外資産が世界一という金持ち国なのに・・あらゆる面で先進国中最低の国。
政治・軍事・金融や資産強奪では米国が主導権をとり、生産活動・文化では中国・韓国が日本と置き換わってゆくではないのか・・
日米安保条約など即廃棄して、日露安保条約を結ぶべきなのかもしれないなと思う。
◆辻元清美さんの離党表明について
ニュース / 2010年07月27日
今日は、一文を綴るのが重い。1996年11月初当選以来の同僚であり、約14年にわたって政界の中で行動を共にしてきた辻元清美さんが「離党の意向」を党幹部に伝えたというニュースについて、触れないわけにはいかないからだ。とても残念だし、他に方法はなかったかと思うが、すでに本人は記者会見の準備に入っているようだ。
辻元さんは「政権交代選挙」で、民主党、国民新党の協力を得て、小選挙区における選挙協力で当選している。私は、当選にこそ至らなかったけれど、同じ構図の選挙を体験している。「連立政権離脱」をめぐって「よくやった」「筋を通してよかった」という支持者の反応とは別に、「普天間での意見の違いはあっても、政権内にいて協力してほしかった」「今後、野党として何をやっていくのか」という声もあったことは、想像にかたくない。6月に彼女の選挙区で開かれた集会に私も比例区予定候補として参加したが、5月下旬の社民党の連立政権離脱を「離脱すべし」「残るべし」との意見が半々だった。
私は、国土交通大臣だった辻元さんが23年に及んだJR不採用問題で汗をかき、解雇された労働者の側にとって大きな前進となる条件で決着を見たことを大きく評価している。沖縄・普天間基地問題でも、鳩山総理や小沢幹事長とも頻繁に連絡を取り、昨年末の「辺野古決定」を止める大きな役割を黒子として果たしていたこともよく知っている。辻元さんは社民党が、政権内にいることの強みを生かして、仕事の成果を重ねていきたいという思いがあったし、その能力があった。
普天間基地をめぐる5月末の「福島党首罷免」は、鳩山政権を結果として瓦解させた。鳩山氏は罷免をしてしまってから、改選前の参議院の議席状況では、社民党の協力なしに法案は通らない状況であることを知ったという。それだけではない、小選挙区と同じ参議院の1人区は、自民+公明の選挙協力と対抗するためには、全国各県で5万票前後ある社民党の票が勝敗を決する選挙区もある。前回の衆議院選挙における民主党圧勝の影には、選挙協力の作用があったところも少なくない。もちろん、連立政権離脱後の選挙でも「選挙協力」は行なわれたが、「離婚後」の協力に熱は入らない。
今回の社民党の参議院選挙結果は、これまでになく票を激減させた大きな敗北だった。私は、候補者として選挙戦の只中にいたので、まず自らの非力を詫びるべきなのだが、街頭で「野党になった社民党はどうするのか」と何回も聞かれた。また「民主党だけだと心もとないので、社民党が少人数でも居てくれた方がよかったんだが」という意見もあった。昨年の小選挙区で11万余票を獲得した杉並区を中心として活動をしていたので、こうした声がかなり多く耳に入った。
たしかに菅政権の「消費税」発言の迷走はひどかった。選挙中は、これを批判しないわけにはいかなかった。ただし、選挙後に「完全野党路線」でいいのかは、もっと考える必要があった。労働者派遣法をはじめ連立中に積み残した課題もある。もし、民主党が「新自由主義」「小泉路線」の色彩が強いみんなの党と手を握ったら、派遣法改正が成立する可能性は皆無となる。
もし、仮に私が議席を得ていたら、昨年の「政権交代」の共同の大義を確認して、社民党の発言権も確保して、民主党政権を「自民党化」させないための仕掛けを打つ作業をあれこれ考えたと思う。何のために自民党政権を倒したのか、誰と力を合わせて政権交代を実現したのかを考えると、このまま政権交代の価値も色あせ朽ちていくのは、私たち自身の責任でもある。それなら、社民党が自民党やその他の新党と野党の末席にいるのではなくて、一致出来ることと出来ないことを峻別しながらの政策実現の道を提示しながら、少数政党を制度的に絞め殺す「比例定数80削減」などを真っ先に止めるべきだろう。
政治は「筋を通す」と同時に、「実を取る」ことも大事だ。参議院で政権交代後、連立与党の多くのプロジェクトを実務的に支えていた「連立政権の仕事人」=近藤正道さん(前参議院議員・弁護士)は、今回、無所属になって戦ったものの新潟選挙区での共闘は難しく落選してしまった。これで、辻元さんが社民党を去ることになれば、社民政党として現実政治にコミットすることはより困難になり、あらゆる局面で「反対野党」として筋を通していくことが多くなるとも予想される。
本当にそれでいいのか。今、永田町には危うい空気が流れている。あっという間に、「自民」と「民主」が手を握ってしまったら、「憲法9条改定」も「集団的自衛権」も「比例削減」も瞬間的にすべて成立する。文字通りの大政翼賛会への道は、福田内閣当時よりもずっと大きな入口となって開いている。
「普天間基地」も日米共同声明が履行される確率は100%ない。すでに、徳之島への訓練地移転の調査費を断念した段階で、どのような具体性も持たない紙証文となった。もし、菅政権が普天間問題の「現実的解決」に乗り出す決意なら、沖縄での支持率第一党となった社民党を無視することは出来ない。当然、普天間基地撤去のプロセスを優先させるべきだろう。ここは、鳩山前政権が、一回は自民党に軍門に下った「誤り」を修正する結果につなげていく可能性は大いにある。
社民党は、原則を持ちながらも、しなやかで融通のきく「したたかな方針」をもって難局に対応する政治力を駆使することが求められる。ただ、原理原則の反対野党では、急坂を転がるように影響力を消失させていく道をたどる。浪人の身ゆえに、こうしてブログに意見を書くことぐらいしか出来ないのが悔しい。
どうやら、大阪で記者会見があったらしい。重い文章は、今日はここまでとする。
政治・軍事・金融や資産強奪では米国が主導権をとり、生産活動・文化では中国・韓国が日本と置き換わってゆくではないのか・・
日米安保条約など即廃棄して、日露安保条約を結ぶべきなのかもしれないなと思う。
◆辻元清美さんの離党表明について
ニュース / 2010年07月27日
今日は、一文を綴るのが重い。1996年11月初当選以来の同僚であり、約14年にわたって政界の中で行動を共にしてきた辻元清美さんが「離党の意向」を党幹部に伝えたというニュースについて、触れないわけにはいかないからだ。とても残念だし、他に方法はなかったかと思うが、すでに本人は記者会見の準備に入っているようだ。
辻元さんは「政権交代選挙」で、民主党、国民新党の協力を得て、小選挙区における選挙協力で当選している。私は、当選にこそ至らなかったけれど、同じ構図の選挙を体験している。「連立政権離脱」をめぐって「よくやった」「筋を通してよかった」という支持者の反応とは別に、「普天間での意見の違いはあっても、政権内にいて協力してほしかった」「今後、野党として何をやっていくのか」という声もあったことは、想像にかたくない。6月に彼女の選挙区で開かれた集会に私も比例区予定候補として参加したが、5月下旬の社民党の連立政権離脱を「離脱すべし」「残るべし」との意見が半々だった。
私は、国土交通大臣だった辻元さんが23年に及んだJR不採用問題で汗をかき、解雇された労働者の側にとって大きな前進となる条件で決着を見たことを大きく評価している。沖縄・普天間基地問題でも、鳩山総理や小沢幹事長とも頻繁に連絡を取り、昨年末の「辺野古決定」を止める大きな役割を黒子として果たしていたこともよく知っている。辻元さんは社民党が、政権内にいることの強みを生かして、仕事の成果を重ねていきたいという思いがあったし、その能力があった。
普天間基地をめぐる5月末の「福島党首罷免」は、鳩山政権を結果として瓦解させた。鳩山氏は罷免をしてしまってから、改選前の参議院の議席状況では、社民党の協力なしに法案は通らない状況であることを知ったという。それだけではない、小選挙区と同じ参議院の1人区は、自民+公明の選挙協力と対抗するためには、全国各県で5万票前後ある社民党の票が勝敗を決する選挙区もある。前回の衆議院選挙における民主党圧勝の影には、選挙協力の作用があったところも少なくない。もちろん、連立政権離脱後の選挙でも「選挙協力」は行なわれたが、「離婚後」の協力に熱は入らない。
今回の社民党の参議院選挙結果は、これまでになく票を激減させた大きな敗北だった。私は、候補者として選挙戦の只中にいたので、まず自らの非力を詫びるべきなのだが、街頭で「野党になった社民党はどうするのか」と何回も聞かれた。また「民主党だけだと心もとないので、社民党が少人数でも居てくれた方がよかったんだが」という意見もあった。昨年の小選挙区で11万余票を獲得した杉並区を中心として活動をしていたので、こうした声がかなり多く耳に入った。
たしかに菅政権の「消費税」発言の迷走はひどかった。選挙中は、これを批判しないわけにはいかなかった。ただし、選挙後に「完全野党路線」でいいのかは、もっと考える必要があった。労働者派遣法をはじめ連立中に積み残した課題もある。もし、民主党が「新自由主義」「小泉路線」の色彩が強いみんなの党と手を握ったら、派遣法改正が成立する可能性は皆無となる。
もし、仮に私が議席を得ていたら、昨年の「政権交代」の共同の大義を確認して、社民党の発言権も確保して、民主党政権を「自民党化」させないための仕掛けを打つ作業をあれこれ考えたと思う。何のために自民党政権を倒したのか、誰と力を合わせて政権交代を実現したのかを考えると、このまま政権交代の価値も色あせ朽ちていくのは、私たち自身の責任でもある。それなら、社民党が自民党やその他の新党と野党の末席にいるのではなくて、一致出来ることと出来ないことを峻別しながらの政策実現の道を提示しながら、少数政党を制度的に絞め殺す「比例定数80削減」などを真っ先に止めるべきだろう。
政治は「筋を通す」と同時に、「実を取る」ことも大事だ。参議院で政権交代後、連立与党の多くのプロジェクトを実務的に支えていた「連立政権の仕事人」=近藤正道さん(前参議院議員・弁護士)は、今回、無所属になって戦ったものの新潟選挙区での共闘は難しく落選してしまった。これで、辻元さんが社民党を去ることになれば、社民政党として現実政治にコミットすることはより困難になり、あらゆる局面で「反対野党」として筋を通していくことが多くなるとも予想される。
本当にそれでいいのか。今、永田町には危うい空気が流れている。あっという間に、「自民」と「民主」が手を握ってしまったら、「憲法9条改定」も「集団的自衛権」も「比例削減」も瞬間的にすべて成立する。文字通りの大政翼賛会への道は、福田内閣当時よりもずっと大きな入口となって開いている。
「普天間基地」も日米共同声明が履行される確率は100%ない。すでに、徳之島への訓練地移転の調査費を断念した段階で、どのような具体性も持たない紙証文となった。もし、菅政権が普天間問題の「現実的解決」に乗り出す決意なら、沖縄での支持率第一党となった社民党を無視することは出来ない。当然、普天間基地撤去のプロセスを優先させるべきだろう。ここは、鳩山前政権が、一回は自民党に軍門に下った「誤り」を修正する結果につなげていく可能性は大いにある。
社民党は、原則を持ちながらも、しなやかで融通のきく「したたかな方針」をもって難局に対応する政治力を駆使することが求められる。ただ、原理原則の反対野党では、急坂を転がるように影響力を消失させていく道をたどる。浪人の身ゆえに、こうしてブログに意見を書くことぐらいしか出来ないのが悔しい。
どうやら、大阪で記者会見があったらしい。重い文章は、今日はここまでとする。