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複眼を忘れてはいけない→ 「プーチンは犠牲者だ」世界には親ロシア目線でウクライナ侵攻を報じる国がこれほどある(クーリエ・ジャポン)#Yahooニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/7238a6b170b4dbb9c26400cb1f10b9df520891fc …
大学入学の直前にベトナム戦争が終結した(1973年1月平和協定調印)。「民族解放の戦争」といわれた。入学後、学生運動で何度もデモに参加した。「われわれは再び銃を持たないぞ」という反戦シュプレヒコールは、「再び侵略の銃は持たないぞ」が正しいのだと言われた。「祖国」を守るためなら銃を持つこともある、ベトナム人民のように、と。
「侵略の武力行使」と「祖国防衛の武力行使」は根本的に違う。憲法は「防衛のための武力行使」は禁じていない。そう信じてきた。かつて社会党が主張した「非武装中立」は非現実的空論だと教えられてきた。
しかし、果たしてそうだろうか。
ウクライナのゼレンスキー大統領は8日、イギリス議会でオンライン演説し、「どんな犠牲を払っても、われわれの土地を守るために最後まで戦う」と述べて絶賛された。ジョンソン首相は「西側の民主主義国家を結束させる内容だ」と称賛し「英政府はウクライナへの武器供給を推進する」(10日付東京新聞)とエールを送った。
侵略者は常に武力で「国益」の拡大を図る。それに対し、侵略された側が「祖国」を守るために武力で「徹底抗戦」すれば、戦争は長期化し犠牲は膨らむ。
立場は正反対だが、いずれも「国家」が思考を規定している。「国家」があるから戦争が起きる。
「国家」という人類の制度は、もうとっくに耐用年数を超えているのではないか。
戦争だけではない。地球規模の環境破壊・異常気象、世界的な貧富の格差拡大、膨大な飢餓人口、難民の増大、外国人労働者の権利侵害、人種・民族差別、「国家」に翻弄されるアスリートたち…。世界の主要な問題はすべて「国家」という機構と、それに寄生して利益を得ている独占資本家、「政治家」によってもたらされている。
人類はもう「国家」を卒業すべきだ。
「国家」がなければ軍事力は必要ない。戦争は起こり得ない。世界を自治地域の小単位に分け、それを統括する民主的組織を創設する。
夢だが、絵空事ではない。「国家のない世界」という目標を共通認識にして、それをどうやって実現するか、世界の英知を結集すべきだ。
若松英輔氏(批評家)が「ウクライナ危機」に対する特別寄稿で、「「弱い人」の存在によってこそ、平和が守られている」と言っている(12日付琉球新報)。そして、筋ジストロフィーの詩人・岩崎航氏の次の詩を紹介している。
障がい者は戦争のない 平和の中でのみ 生きていける
だからこそ平和を担う 世界市民になれるはず
「世界市民」と「国家」は相容れない。「国家」のない世界でこそ誰もが「世界市民」になれる。
大国の国家主義による「世界秩序」という古い殻を破り、「国家」のない世界をつくろう。そしてみんなで「世界市民」になろう。それが人類の危機を救う道だ。
「ウクライナ戦争」の戦禍を目の当たりにしながら、そう痛感する。